迷路で迷う

街を歩く。歩けない距離じゃない。4キロ程度だ。
しかしそうは言っても分けわからんで歩くと、効率的でない。
いや、この街を歩くのに効率なんでどうでもいいか。

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密集した家々。それでも景色としてきれいな印象をうける。

道が見えない。道に見えるのはたぶん運河だ。

PB070968.JPG 水の上を歩くと手っ取り早い。そう思ってしまう。運河というとパナマ運河とかスエズ運河か、東京下町の小名木川とか十間川が頭に浮かぶ。バカでかいかドブ川か。東京下町の川は米俵などの物資輸送のために掘ったものだから用途がベネチアと同じなのだが、川べりの風景がぜんぜんちがう。いや、江戸時代は蔵がならんでいて、白と黒、ナマコ壁がきれいだったはずなのだが、今は震災と空襲と首都高速でみるかげもない。それに比べるとうらやましい。

 そういう知識があったとしても、ここは道路にするほうがいいんじゃないか。そう、思ってしまう。自然とね。もっとも、そうする意味はあまりない。ベネチアが効率を求める都市では今はないから。この社会はゆっくり歩く方を、人が荷物を運びボードが何でも運搬する方を選んだのだから。そういう生活は演劇みたい。一種の遊びのような気分がしてくる。生きるとか死ぬとか関係ない人だけが住める。要するに、ベネチアのような街に住めるのはエラく贅沢なことだと思う。そのせいか、ベネチアでホームレスの人を見かけなった。

 言葉や写真では納得できないものはたくさんあるが、ベネチアという街のあり方もその一つだ。

 地図があまりやくにたたないので適当に歩くことになる。不思議なことに、同じ場所に何度かぶち当たる。どうしてだろうか。山で遭難したとき、同じ場所に戻ってくることがあるというが、それと同じだろうか。まぁ、大きな広場に出れば水上バスの停留所へ行けるので、遭難の危険はないのだけど。

 もし直線の道が走っていたら、ベネチアは狭い町だろうなと思う。しかし、全く見通しがきかないから、広いんだか狭いのだかわからない。ローマ市内と比べてどっちが広い?と聞かれても、さっぱりだろう。まぁ、フィレンツェの市内よりは広いけど。

 そういうわけで、町中をきょろきょろ品が歩くことになる。死かも無目的にならざるを得ない。出来れば、携帯用GPSを持ってきて、自分の位置を確認しながら歩くといいだろう。それを後でグーグルマップに取り込むと、どの道を歩いたのか確認できる。意外に歩いていないのでがっかりすると思う。

PB060774.JPG サンマルコ広場の裏手に、ゴンドラの基地のようなところがある。一種の車庫のようなところだろう。朝通るとゴンドリエーレの人が忙しく働いている。ゴンドラは高いから乗ろうとも思わなかったが、乗客は多いようで、どの停留所もならんでいる人が多い。

 円弧を描くようにホテルが建っている。この景色が見える部屋は高いのだろうか。昼間は全部のゴンドラが出払ってしまうから、たいした風景を見ることは出来ない。となると、その部屋に泊まるのは損かな。いや、泊まるのは夜だからいいのか。

 いわゆるゴンドラに乗るには高額な費用がかかる。数千円では相乗りで10分というような程度であって、ちゃんとのるには数万円準備しないとダメみたい。裕福でもないぼくは見ているよりない。ゴンドラにのったって面白いものでもないだろう。誰だったかのエッセイで、ゴンドラで聴くカンツォーネがナポリ民謡だったのでがっかりしたという話を読んだことがある。なんでも喜ぶアメリカ人のおばちゃんか、仕事の用に綿密に観光するドイツ人のおじさんたちが乗っているのかな、と少しうらやましい気分で眺めていた。

PB040410.JPG 高級ホテルだと専用の乗り場があるのだけど、普通はこういう乗り場で乗り込む。団体客のために6,7人で乗れるゴンドラもあるし、贅沢な二人用のものもある。わいわいがやがやと乗り込んだ後に、さぁ出発。しかし、こういう細い運河でゆっくり乗り回して、ホントに面白いのだろうか。

 マドンナの「Like A Virgin」という曲のプロモーションビデオはベネチアの運河でゴンドラにのったものだった。LinkIconYouTubeでビデオを探してみてみると、よくまぁゴンドラの上で歌って踊れるものだなぁと感心する。

 家が密集しているのだから、運河はそれにあわせて細く、しかも入りくんでいる。ゴンドラは細長い。トレーラーが交差点を曲がるときに気をつける内輪差はないのだけど、方向をいきなり90度曲げるのは船では難しいだろう。どうやって曲がるのか。そんな疑問は角がある運河に立ってまっているとあっさりと解決する。

IMG_4467.JPG 意外に思うが、壁を蹴っているのである。そもそもスピードがでていない。それに、壁は蹴られることを想定しているようで、運河が曲がるところで蹴り場所が決まっている。

 ゴンドラに乗るとずっとこんな感じではないかと思う。いや、乗ったことないので無責任な発言なのだが、多分楽しくないだろう。観光地の目玉商品というものは、たいていもうひとつな感があるものだ。

 このように水っぽいところだ。もし、日本でこのようなところがあったら、壁中カビだらけになり、ちょっとおぞましい風景になるだろう。隅田川の水はきれいになったと言われるが、それはウソだろう。100年前、500年前ならばきれいだろう。いかにも化学的に汚染された川ではない、というだけであって、「きれい」という単語が拡張されている困った例だ。

 では、このベネチアの運河はきれいなのか。においはないが、透明度はよいとはいいがたい。もっとも、それは水が汚いからというより家々が迫っていてそもそも光が差し込まないからだと思う。そもそもこの水は海水だし、しかも毎日満ち潮引き潮というタイミングで新しいものになっている。原理的にアドリア海の水だから、汚いほうではないはずだ。しかし、イメージ先行でゴンドラにのるとギャップがあるかもしれない。

狭い路地だけど、なんだかデザインされている。

PB050549.JPG モノは古くなる。古くなると、違いがでてしまう。みな同じに古びるのはない。詫びさびのある古さと、消耗してしまった状態とは違う。この街は繁栄期から数百年たった古びた街だが、とんでもなくおしゃれな雰囲気になっている。それこそ、青山だと代官山だの広尾だの、束になってもかなわない感じがする。

 ベネチアは町中の路地がこんな味わいがある。そんなまち、日本にはないよ、ホントに。観光地だからといって敬遠するのはあまりにももったいない。何気ない、ほんとに何気ないところでもこれだけの味を持っている。道に迷っているだけなのに、勉強になってしまう。まったく、イタリアには勝てない気がする。

 まず最初に経済が興隆する。それが頂点をこえて衰退し始めた頃になって質が高まり、高度な文化を形成していく。人のやることは大抵こういう順序になっているものらしい。ベネチアを歩くと、かつての興隆期はすごかったのだろうと思うし、その時代にうまれ「興隆している」ことが当たり前になった世代が質の高い贅沢品としての街をつくったのだろうと思う。日本は今の中年の世代から若者の世代が文化を作るタイミングにあるはずなのだが、こんな街を築けるのだろうか。

これ、欲しいなぁと思ったもの

IMG_4635.JPG飾りつきのプレート

白いプレート。その上に装飾があるのではない。彩りがきれいな付け合わせが、プレートの一部なのだ。付け合わせいらず。結構便利かも。

PB071055.JPG見ているだけでも面白い

このお店には、お皿以外のものもそろえてある。嫁さんはなんだかいろいろ買い込みそうな雰囲気だったが、重くて割れやすいものを旅行で買うのは無謀であると説得し小さめのお皿2枚に。

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こういう仮面などのコスチュームの飾り物はお土産の候補かもしれないが、実際問題高いし、貰ってもうれしくないだろう。とはいえ、宴会芸用にホンモノを買っておくのも悪くないかも。東急ハンズ品より良い品だろうし。

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嫁さんが気になった靴。モノはよさそうだけど、はく機会は永遠に来ないだろう。嫁さんは自ら写真を撮ったのはいいのだが、手ブレ防止がないカメラだからぶれた画像になっている。

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手袋屋さん、という店があるのかと驚いたのだが、ヨーロッパならばあり得るのだろう。ディスプレイもきれいなものだ。でも、僕らの生活で必要な手袋は実用性と嫌みのないデザインであって、エレガントはあまり重視しない。モデルさんには必要なのだろう。

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ぼくはこれ欲しい。西ローマ、東ローマの正帝、副帝の4人。ディオクレティアヌスやコンスタンティヌスがいるから。外そうものなら国際問題でしょうね。お土産用に手のひらサイズの小さいコピーがないものか探したのだがダメだった。