ボッティチェリが見たい

フィレンツェ。ウフィツィにある「プリマベーラ」「ビーナス誕生」を見たい。塩野七生にして「もう、2度と絵画の評論はするまい」と決心させたほどのもの。画集をみてもピンとこない。仕方ない、行くか。

作成日 2003-03-25

徒歩で散策する

IMG_0058.JPG 小さな城壁都市なので徒歩が一番。

 フィレンツェの中心(チェントロ)。ドゥオーモ、ウフィツゥイ、パラティーノ、バリジェッロ、アカデミア、・・・。目的の場所は市内中心に集まっている。ほとんどが徒歩5分以内。中心街は20分もあれば端から端まで歩けてしまう。

 街の中心にある小さなホテルに部屋をとる。こうすれば、歩き疲れたら部屋に戻ればいい。夕食も近くのトラットリアへ行けばいい。ドゥオーモまで歩いて行きづらいところには大型ホテルもありますが、絶対にチェントロに部屋をとったほうがよい。勧めるとしたら、それくらいなもの。あとは、適当に歩けばいい。

ヨーロッパの街に感心するところ

IMG_0027.JPG 何にせよ、屋根の統一感がすごい。サテライトの地図をみてもわかるだろうが、色と材質の統一感が感動的で思はず息を飲む。フィレンツェの町並みの写真を見たことがあったし、旅番組でレポーターが感心して話をしたことがあったのかもしれないが、この屋根の色は現物を目の当たりにするまで「意識」されなかった。

 まじかで見るとスゴイ。芸術が好きなんだな、この街の人は。言葉じゃ何とでも言えるだろうけど、実際損得勘定から言えば必ずしも快適な結果になるとは限らないこの屋根を今でも守っているのだから。

 そういう街の美意識みたいなものを感じたのはここフィレンツェが初めてだけど、ヨーロッパの人の街にかける情熱はスゴイという話をきいていただけあって、これがそうなのかと。

 日本の場合、戦争で焼け野原になったあとに昔の街を再興するという発想そのものがなかった。当然そんな経済力も気力も残っていようがなかったのだと思う。生きていく、という言葉通りの生活だったのだから。でも、気がついたら普及不可能な状態になっている。ドイツにもロンドンにもそういう場所があったと聞く。ただし、このフィレンツェはそうではない。だから、この景色をみてそんな話を思い出すのは変なのだが、昔の街を残していこうという意気込みの存在を感じたのだ。だから、フィレンツェを見てそう思った。

IMG_0125.JPG このあたりは見上げるとドォーモがある。もちろん、場所によっては全く見えない。4階くらいの建物に囲まれていたり、道幅が狭かったするところでは見ないのだが、少しるけば白い稜線に紅色のドームが目に付く。街のコアである。建物がもつ求心力というものを体験するにはこれが良い例だ。

 背景にドォーモがあると遠近感が増し、ちょっと古びた建物も貴重な記念物に見えてくる。この写真なんかもそういう感じがする。1400年台からだからもう600年くらい存在感を放ち続けており、まだまだ持つのだろう。現代の建築家の建物は200年ももつだろうかという状況だから、なんだかうらやましい。お金でも買えないものの一例になっている。

 さて、ドォーモならば写真はたくさんとれるのだが、美術館は基本的に撮影ができない。当然、ウフィツゥイやアカデミアで存分に学べたし、代表的な教会もじっくり見れた。しかし、ここでは紹介できない。

 町並みは本当に古いものもあるが、新しく古びたものを作ったものがほとんどかもしれない。一種のディズニーランドのような感じだが、決定的に違うのはその「存在感」である。いくつかホンモノがあうと、それに連なっている建物に畏敬が伝染するのだ。

ミケランジェロ広場まで歩く

STE_0031.JPG 少し長めの散歩をしてみる。ポンテ・ベッキオを渡り左に曲がる。川沿いの道を歩き、途中で右にY字路を入っていくと急な坂道になる。これをひたすら上がっていく。いや、そんなに急でもない。小学生のピクニックにもでてくるような程度の坂である。それを上りきると通りにでるので左に曲がる。数分でミケランジェロ広場にでる。

 とくにミケランジェロが通ったとかいういわれはない。というか、最近作ったものだそうだ。フィレンツェといえば、という写真が撮影される場所だから目にしたことがある風景を肉眼で確認できるところだ。問題はここから。

 広場に面した通りをスタートし、ここからピッティ宮まで歩いていく道を選んでみた。正直しんどかったが、歩いて良かった道だ。いわゆるトスカーナの山並みを楽しみながら道を歩くのでピクニック気分である。が、しかし。人通りがない。観光客とすれ違わない。なぜなら、普通はこの場所観光バスで来るからだからだろう。

ビアンカ・カペッロの邸宅のファサード

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今から数えて、ほぼ百五十年前の一八二七年のことである。当時、出版を業としていたヴィンチェンツォ・バティッリは、新しく買ったばかりの家の地下室で、古い書き物の束を見つけた。家というよりは大邸宅と言ったほうが適当なこの建物は、フィレンツェの町中を流れるアルノ河にほど近いマッジョ通りにあり、四世紀も昔にさかのぼる一五〇〇年代に、有名なビアンカ・カペッロが、まだ対抗の愛人であった頃に住んでいた屋敷である。

(塩野七生「愛の年代記」新潮文庫)

 で、これがその家。車通りに面しているため排気ガスでファサードが煤けてます。このままだと数十年でこの装飾はダメになるかもしれない。まぁ観光資源ではあるだろうし、イタリア人のことだから補修して使い続けるだろうとは思うのだが。

 どんな美人だかしらなけいど、日本と関係ないじゃん。でも、実は違う。カペッロさんは「天正少年視察団」とも会っており、逆に彼らは彼女の肖像画を購入している(よっぽど美人だったのだろうか)。だから、日本の歴史と無関係ではない。そう考えると、派手な外壁の家を見るときの気持ちは変わってくる。

 どういう人が住んでいるのだろうか。関係者というのが今でもいるのか。あるいは、お金持ちが趣味維持しているのか。観光客は入れないから、観光のために維持しているわけではないようだ。ふと東京を思う。関東大震災で焼け、東京大空襲で灰燼となった。木造家屋が残るわけない。参考になる例がないのだから、街がどんどんごちゃごちゃになっていくのは当然だな。

お気に入りの宿

 地図の中央にあるのは共和国広場。この広場が旧市街の中央ではないかと思う。広場から左にいく道を1分もあるけばストロツィー宮、北東に1分も行けばドォーモだし、南西に1分いけばシニョーリア広場、ポンテ・ベッキオ、ピッティ宮とならんでる。

 泊まった宿は共和国広場に面している「Hotel Pendini」というところ。昔の建物を改造して部屋にしている変わったところだった。部屋そのものは広いのだけど、風呂がないので後付けてつけてあったり、そもそもホテルではない部屋だったのだろうけど、一連の部屋にや隣へ行くドアがあったり(当然しっかり施錠されている)する。気に入ったのは天井の高さ。本当に高い。それと、窓の外が広場に面しているので、ちょっとした喧騒を楽しめること。

IMG_0069.JPG この部屋が良い部屋なのか悪い部屋なのか、全体像をしらないのでわからない。ネットで予約したとききちんと対応してくれたし、食事する場所について色々教えてくれたのでサービスはよかった。もう一度行くならば、またここに泊まるだろうな。