個人的なブログの効用というものがあるのかどうか。

 ずいぶんと長いこと事あるごとに考えてきたことだ。ぼくは,そういうことって「あるかもしれない」と思ってきた。しかし一般的には「誰も読まないのなどは自己満足でしかない」という決まり文句で否定する人が多いはずだ(もっとも,この認識はブログを始めた10年以上前のことであり,現時点ではどういう評価が支配的なのかは知らない。変わっているかもしれない)。

 ココ最近のことだけど,ブログつけに意味がないとは言えない,と思わせることがあった。それは,「ぼくは,こんなふうに文章をかけないんですよね」と同僚言われたのだ。お互い理科系で,同じように作業したことを文章にする必要があり,文章書きがマストではない状況においてもぼくは面倒がらず技術レポート・論文の形式にしてしまう。が,同僚はそれをやらない。どうして文章にしないのか?という問いに対して,同僚は「文章がかける人はいいですよね」と言ったのだ。

 ぼくは文章がうまいわけではない。が,情報を文字にして残す,人に伝えることが目的ならば,うまい文章は求められていない。だから下手でいいから「さっさと書いて」しまえばいい。そう思っているし,実際そうしている。考えてみれば不思議な気もする。「あれ,どうしてそんなことをするようになったのだろうか,ぼくは文章嫌いだったはずなのに。」べつに名文を求められていない,だれでもできる程度のところしかやればいいのなら同僚だってできるだろうに。

 ぼくは理科系であり,文章なんて書く癖はなかったし,そもそも読む癖もなかった。だから学校に通っていたとき,とにかくレポートというものが苦痛だった。論文を準備するのなんてホントに嫌だった。計算したりグラフにしたりするところまでは人並みにできたが,文章がつけられないでいた。現在と昔のこの違いはどうして生じたのか。つらつらと考えれば,プログくらいしか思い当たらない。ただ単に年齢があれば文章を準備することが楽になるわけでもないようだから,ならば「だれも読まなくてもブログつけ」は一定の効果があったといえるだろう(もっとも,10年くらいやればなんでもそうだろうけど)。

 人から求められたので文章をかく,という文才に恵まれた人は結構いる。他人の文章をみていると,プロのものでもないのに「上手だなぁ」と感心することがよくあった。それが仕事の上での文章であってもだ。そういうのを読むと,相当にぼくが文章は下手くそなんだと再認識させられた(昔,教授にそう言われたことを思い出した,君が文章をかけないということを論文を読んでわかった,と)。

 だから書くのは嫌だったが,記録を残す,結果を伝える,そのために文章を書く必要があったのだ。それでも辛くて嫌で,だから極力やらないでいた。だいたい楽しくないし。

 「書く必要がない,あるいはだれからも頼まれていないような文章を書く,しかもそれを楽しく」。これを「だれも読まないブログ」をつけていくうちに体得したようである。誰も読まないならばだれも批評しないのだから,いくらやっても上達しないから意味がない。そのように普通の人は教えてくれる。確かに,その通りだと思う。が,べつに「効率」って学習には必要なく,どんな経路であれできるようになればいいのである。