で,今できることにはどんなことがあるか?

 あるようでない。
 しかし生活していけているのだから,ないようでいてあるんだろう。

 こういう自問自答をする。普通の会社員であれば,社内での位置(課長とか部長とか)が,ある種の客観的指標として使えるし,実際多くの人はそう思っているはず。会社員でなくても,あらゆる「組織」には「役割」というものがあって,その役割はつねに「階層化」されているはずで,結果的に組織に関係する人は「階層」のどこかの箱に収められている,はずである。だから人には階層がいつもついて回るし,その階層によって「できることできないこと」がおおよそ決められてしまう。これは一つの「見方」つまりじじつの解釈方法であるので,どのくらい正確なのかは,いろいろな評価がありえるだろう。

 で,自分はどうか?
 まぁドラマにでてくる「会社員」ではないけれど,もちろん階級づけはされてて,それによって給料が決まっている。それによって期待される役割もある。ちなみにぼくは最下層である。ぼくがいる組織での見た目の階層は3段くらいしかないのだが,だからステップが大きくてとても階段を上がることには縁がなかったし,べつに不都合もないので上がろうとも思っていない。

 で,そういう人はこの先どういう憂き目にあうのだろうか?
 わからない。満期になればやめるだろうし,その先は社会システム的にいく分かの費用が用意されているような「期待を抱かせる」仕組みがあるように勘違いする人もいるけれど,自分の親をみて,世の中の状況を報道や本などで知るにつけ,社会保障というのはある種の空想であり,悪いことにいま着々と壊れつつあるのでぼくのころには「え,なに?」って話になっているはず。結構な金額を税金でピンはねされているだけで終わる。そうわかっているから,こんなつまらないことを考えているわけである。

 未来に何が起きるのか。ある種の「ぼんやりとした不安」というものは誰しもあるし,ぼんやりとしていない未来というのは,要するに予定であって,もっといえば「現在」の延長にあることだ。ならば,およそ「未来」などと言えないよ。

 不安なことは不安なままでよく,これは要するに「腹減ったなぁ」とか「眠いなぁ」とか「なんかつまんねぇなぁ」という程度の感情と同じで,それがあろうがなかろうが,そういう感情の海の中でただよっているのが「ふつう」なんだ,と発見するよりないと思う。だからこそ,「なんかやって気を紛らわす」ものなんだと思っている。

 そして,この季を紛らわすための一つの方法が「生きてる」ってことだから,ただ生きてても紛れることはない。昔から多く人が忠告してくれているように,「面白ろがる」のが一つの方法なんだろう。どんな状況でも「うわぁ,でも,それって面白いな」と認識できるようになればいいのである。そしたら,いついかなる時でも「おもしろい」だけになる。これを考えているうちに,なんだ,生きていくうえでの「正解」って,もうわかっているのか。そう思ってしまった。以外にあっさりしている。