どうやったったところで自分の年齢から逃れることはできず,期待を期待のままに維持して生きていけばとても危険な目にあうだろう。そう思っている.

 頭に浮かんだことは,あれもこれも「そのうちできるかもね」とその場では思ってみるが,思ったことのリストをつくるわけではない。だから,そういうことを気にした思いついた,という事実自体をそのうち忘れちゃう。これって,「まぁそういうことはあるよね」と同意していただける人はいるだろうと思っている。この一見無害な忘却グセだが,こっれは実は」結構危険なこと」じゃないかな.そう思い始めるようになった.

 そろそろ,現状の自分ときちんと向き合う必要があろう。つまり,自分には今何ができて,今後なにができそうなのか。そして何はもう無理だから「できそうなことリスト」から落とす必要があるのか.なんでもかんでも未来でなら可能かも,という考えを捨てる,シビアに判断していく作業が必要だよな。そう自覚している.

 身体的な意味で歳を取る前に,情報処理的な意味で歳をとった状態を想像し,それに体を慣らしていくことととも言える.もはや過度な期待を自分にはかけないでおくようにしたい.でないと,今後は寂しい気分ばかり味わう人生になってしまうだろうから.自分には期待をかけないで,淡々と生きていく.ある意味これは大変寂しい作業だが,しかし自分に一定の知性がある存在ならば「来し方から行く末」を推定するくらいはできるはずだろう。寂しくても「それくらいやれ」と思っている.そろそろ本腰をいれてこの作業を普段の生活に組み込んでいこうか。そう思っている.

 多くの爺さんを通勤電車,とくに帰宅時の中でみかける.その人達を1,2駅分だけでもなにとはないし観察していると,人の精神的な老化にはいくつかのタイプがありそうだなと気づく.べつの根拠はないのだけど,そう観察できる.

 一番多いのは「これまで通りの日々が続くとおもっている」というものである.それは,自分たちはある一定の年齢以後は加齢しないと考えている人たちである.この特殊な例として「以前よりもより若くなっているとでも思っているのではないか」人もいる.次に「年齢の呪縛から逃れているが,ただ単に精神的に不調をきたしているようにみえる人」である.例えば,普通の人なのに自分が重要人物だと勘違いしている人,単に不機嫌な人というもの.これは漫画みたいな人たちだけど,実際にいる.最後に,ぼくが見ててほっとするのは「そのままの人」.つまり年齢通りの風貌と挙動を無意識のレベルからできている人.おそらく,周りの人からすれば,このようなタイプの人が一番付き合いやすいだろうと想像される.

 自分の服装や挙動を他人からとやかく言われる必要はない.それは本当にそうである.おしゃれをする必要はないし,ある意味清潔なものを身につける必要すらない,といえる.それこそ,その人の裁量である.

 にもかかわらず,どうしてそういう服装なんだろう,と思うことがある.わりとよく見かけるのは,無理した若作りである.いや,本人はそんなつもりはないのだろう.昔からそういう服装だし,というものを身につけるだけかもしれない.しかし,昔から身につけている人の姿は,正直それとわかるものだ.着慣れている人の服装は,大抵はその人の存在に溶け込んでいるもので,だから「気にならない」のである.しかし,意図している服装は身体から浮いているのですぐにわかる.その爺さんが若かったときにはそういう服装が流行っていたのだろうな.それならわからなんではない.若いが進んで,たぶん本人も意識していないのかもしれないが,少年の服装になっている人がいる.帽子のかぶり方,シャツやパンツの着方,そして車内での挙動である.静かに佇んでいるだけだかから,特段問題はない.問題はないのだが,人生の最後に近づいてそれはないだろうよ,ということいなっている.