それにしても,もうどうしようないニュースが政治面社会面に連日踊っている.大変気分が悪い一方で,あきらかに「頭がおかしな人間が要職にいるんだな」とコミカルな気分にもなる.いいおっさんなのに,なんであんなアホな言動をつづけているのだろうか,そう不思議になる.が,これは笑いごとではない,といって市政の人が今すぐどうにかできるわけでもない.
 
 嘆くことよりも,問題はなぜそんな連中が権力の中枢に「ずっと居残っていられるのか」である.現実的な意味で自分の生活を脅かす危機だといえるのは,おかしな首相がいることでも大臣が発生したことではなく,そいつらが何年も居座っていることだ.社会的には非難を浴びているが,賞賛する人もいるらしく,それが理由で居座っているのだろうか.

 いや,賞賛があるよという程度の話ならば普通やめるだろう.単に,彼らは「彼らをやめさせる主体,仕組み,前例」がないから続投が続いている.そういうコメントなり解説を目にすることはある.しかし,あの連中の行動・発言の異常さのグレードは「さすがない」レベルなのだが,本人がその仕事を希望し,選挙で選ばれ,党のなかでリーダーとみなされれば現在ような官邸の風景が維持されてしまう.やめるやめないは本人の希望もあるだろうという味方が与党内の希望なんだろうと想像できる.

 現在の状況は,いってみれば政治システムのバグであり,タイルの目地にいついたカビのようなものである.

 権力は腐敗する.専制的権力は徹底的に腐敗する.この言葉を思い出すが,「ありゃ,本当だな」と腹の底から感じる.腑に落ちるというが(本当は「腑に落ちない」しか辞書的な使い方は存在しないことは知っている),この言葉が腹の底に当たった内蔵感覚がするくらいはっきりと理解できた.この現象を集約するとこの文章の冒頭の言葉になる.極めて適切なものだ.

 権力についてはわかった.権力とは,本来ならば権力がない存在のはずでも,僅かな謙虚をもっている人が大勢「すりよってくる」ことで権力が発生され,おかしな連中が権力をもつことができるようだ.証人喚問や参考人招致での発言を聞いていると,見ている人は「だれもあなたのことが事実を語っているとは全く思っていない」状況下で,嘘をついている.猿芝居である.そこから考えて,この連中は「エリートの自覚」を持っている人なんだろうな,とわかる.というのは,おそらく「自分以外は全員バカであり,そんな人に何かを伝えるつもりもなく,ともなく,ここで喋っている私はすごい人なんだ」としか考えていないだろう.そういう,ある種の宗教的な信念がないと,まともに生活できないだろうと思う.いつの世も信仰をもった人を相手にするのは大変で,可能な限り相手にしないで生きていくべし,という気分を思い出す.

 明治以後太平洋戦争敗戦まで,いや半戦後においても日本人は宗教的な動物だったといえる.それはキリスト教や仏教のような形をしていないが,明治政府が人工的に植え付けた観念である国体護持ようなもの,戦後は天皇制というものを自分の上にあるものとして行動したわけだ.一連の半藤一利さんの著作を読んでいるが,たぶん戦前のある時期の帝国陸海軍から政治家,あるいは一般の人とすら,いまのぼくとは「会話が成立しない」だろうと思う.これらの人は現在の過激なイスラム教徒の人たちとなんら変わりないだろう.宗教のような「自分より上の存在が絶対である」とした社会規定をもっている人たちの行動は,歴史書をみていると事例にことかかない.

 行く末はもう見えた.ただし,歴史を知っている人は少なからずいる.皆が皆頭が悪いわけでも,俺が偉い病ということもない.バカとまともがどうせめぎ合っているのか.まともな人が少しでもまともに生きていくためにはどうしたらいんだろうなとは思うが,そうこうしている間でもおかしな法律が続々通過するようで,どうにもならない的な気分はある.これからの人は,実にかわいそうだなと思うが,社会のおじさんがほぼリーマンで占められた段階で,こうなる状況になることは確定いたのだろうなとも思う.