SNSは相当怖いツールだろう.
SNSで流れてくる情報に怖いものがあるではない.
SNSに時間を奪われてしまい,まるで廃人状態になってしまう,という危険があると言いたいのでもない.
もっと単純に,気軽に発言できてしまうならば自分の馬鹿な部分を増幅させて社会に発信させてしまう可能性が非常に高いから.
気軽=感情であり,感情表現の,とくにネガティブな感情のはけ口になりやすい装置だよな,という意味で怖い.

少し前に,バカッターなる現象が若い世代を中心に流行していた.
コンビニやファーストフードのアルバイト店員が,衛生的に本来すべきない,普通の人なら「するわけがない」ことを実行し,それを勇敢な行為として写真にとってツイッターにアップしていた.
当時は,どうしてこんなことをするのだろう,と疑問に思った人は多かっただろう.
隠れてやるならば「いたずら」だろうけど,それを「あえて」公衆にさらして多くの人に見てもらうことをわざわざやっていたわけだ.
だから「まともな」人は驚き,自然とネットで話題になり,そのコンビニなりファーストフード店が謝罪する(ひどいものは閉店する)ことまで行われた.
この流行によってツイッターはバカ発見器としての絶大な効果を人々に知らしめたわけだ.

しかし,どうして「わざわざ自分の愚かさを公衆にんさらすのだろう」と今でも不思議だが,そういう人はまったくいなくなったわけでもなく,今でもたまにニュースで取り上げられている.
ならばおそらく今後も消えないだろう,と予想している.
これはつまり,そういう人は一定の割合で社会に存在しており,ツイッターという装置のおかけで誰かの「妄想」が「現実化」してしまいやすい,ということが今後も続くだろう.

あえておかしなことをしてまで自慢するつもりなどぼくはないが,言葉だけならば似たようなことをしまいがち.
そう自覚している.
写真投稿をするつもりはないが,それでも「ニュース」などで「おかしなこと」や「腹立たしいこと」を読んだときは,その感想をついついツイッターに入力していたのは事実だ.
今はもうツイッターのアカウントを廃棄したが,ツイッターのアカウントをもっていたときは実際そうしていた.
それに,なんだよこれ,と思ったツイートも,メモ代わりにお気に入りにしていた.
ほっておくとロボットがやたらフォローしてくるので適宜削除してフォロワーはほぼゼロに維持していた.
ロボットがフォローしてくる理由は,新聞記事についているツイートボタンでついつい感情的な感想を入力してしまっていたことだろうと思っている.

ツイートすること自体,とくに自分の感情を文字にしてツイートすることは,それはそれで「いいことだろう」と最初は思っていた.
というのは,フォロワーは2,3にしていた(あとはブロックしていた)ので,ぼくがツイートしても「だれも読まない」とわかっていたし,それが検索エンジンに記録されたたまたま誰かに読まれたとしても,1,2人だから「結果的にどうでもいいこと」でしかないから,悪いことには作用しないと考えてのことだ.
それにくわえ,文字しておくことは「自分で自分を観測する情報」になるわけで,あとあと自分で読み返すこともあるかもしれないし,言葉にして入力することはある種の訓練になっている.
ならば,マイナスはなく,プラスは期待できるので,ならばツィートすることが悪い方向に働くことはないはずだ,と考えてたのである.

が,あるときに気がついた.
それは違う,ツィートとして感情表現を入力することは「自分の時間を潰し」かつ「自分の馬鹿な部分を増幅させるだけでしかない」だろうと気づいた.
良い表現であれ,悪い表現であれ,表現することでその回路は自分の中で「強化」される.
一時的な感情ならばすぐに忘れてしまっていたが,言葉にしてしまうと「それが残って」しまい,それを繰り返すと「強化」してしまうので,悪感情をいだきやすい人になってしまう.
自分から「ネタ」を発信できる人は,そもそもからして「悪感情」を発射することはしないように思う.
ネガティブなことを考え,それを発信していると,精神的に「沈む」わけで,そんなことを繰り返すとそのうちうつ病にでもなってしまうだろう.
あるいは周りが敵ばかりに見えてきて,社会生活を継続できなくなる.

おお怖い,これはやめよう.

そう思って,もうスマホ自体をやめてしまった.
そういう身になって通勤していると,車内でも歩きながらでもラインやスマホの画面をいじっている人が多く,身震いしていまう.
何かの教義を植え付けているわけではないから洗脳とはいえないかもしれないが,それでもスマホでSNSをしている人をみると,その人はしっかりと教化されてしまった人だよなぁと思ってしまう.