思いつきを入力するにはWORDPRESSは都合が良い.「WORDPRESSは」というより,「ブログシステムは」というべきかもしれない.これまでブログ作成には専用ソフトを使ってサーバーにデータをアップロードしていた.しかしプログシステムでは,PCやスマホのブラウザからいきなり入力できて,それが十分きれいにレイアウトしてくれ,更新処理もしてくれる.なるほど10年経ったよな,としみじみ感じるのだ.しかもWORDPRESSは無料なので気兼ねなく使え,実験もできる.いろんな意味で「すごいな」と思う道具だ.

このサイトは誰か特定の人に向けた情報ではないので,思いついたことを自由に言葉で入力している.言葉遣いを気取らなくてよいし,内容を気遣わなくてもよい.自分の中から湧き上がってきた言葉を日本語で書き出すだけ.そこには著作権とも縁がない.まだ日本には表現の自由は存在し,認められている.今のうちにこの空気を存分に吸い込んでおきたいという焦りも今は感じている.この自由はたぶん親と同じで,いつまでも存在し続けることはないだろう.今から一週間後には,もう無意識下での忖度が起動しちゃっているかもしれないのだから.

市井の人であるぼくが自由に書く内容は必然的に,というか作家でもないから創作もできないので,日常生活についてのおしゃべりになる.人から聞いた話やニュースを見て考えたこと,ちょっとした出来事の報告を文章にし,アップロードしている.なにせ人に見せることが目的ではない文章だし,「そもそも」書くという行為を「癖」として身につけるさせるための練習だと思ってやっている.市井の人なのだからこうでもしないと文章を書く機会などない.そして内容はとくにイベントが含まれない,つまり「褻(ケ)」になる.

一方で,他人に見せる(見てもらう)ことを想定した文章にするなら,内容はともかく,身だしなみを整えて丁寧な物言いの文章しなければならない.道案内の看板ですら丁寧語でなければならない.その理由は,読む側に沸き起こる余計な心情を事前に消却しておくため.そして「晴れ(ハレ)」の内容が中心になる.といっても,自慢話とか立派な事件など身の回りにないのでそういうことを書き込めない.だから無意味な紹介文になってしまうのだが.

これらハレとケの内容を一箇所で同時に提示するとおかしなことになってしまう.プラスとマイナスを一緒にするというか,熱いものと冷たいものを混ぜ合わせるようなことをしており,両者の特性が際立たなくなってしまうからだ.ラフ普段着なのか正装なのか,どちらともいえない変なサイトの印象が残るだけだろう.本来分けるべきものを分けておかないと両者はクラッシュし,両者ともにダメにしてしまうのだ.これは避けたい.significa.jpはケのサイトだから,新しくするbsd.tokyoはハレのサイトにしなければならない.

Lineやツイッターなのにある「裏アカ」というものがある.一人の人が別人格を装って別のアカウントを独立して取得し,表立って言いたくないことを裏アカで言いまくることをするそうだ.なんだかインチキっぽい行為なのでぼくは嫌なのだが,ハレとケとがあると「裏サイト」と勘違いされるかもしれないが,両方共に「本名」を名乗っておき,きっちり連絡先を載せておけばそういう問題は起きないだろう.両者が扱う内容はそもそも違うし,ハレは「丁寧語・ですます」を採用するので紹介文のようなページになる.ある意味別人格の発言とも取れるが,社会人なんだからそのくらいの使い分けを上手に行うことに問題はない.

ハレのページがないことで,それなりに不便に思う機会がこれまで何度かあった.情報を貼り付けて他人にリンクを連絡したいが,ケのサイトでは「くだけすぎ」のところがあるし「ぼやき」や「しょうもない写真」もいろいろあって,ほとんど面識のない人に「このサイトに貼り付けておきます」という目的に使えなかったのだ.significa.jpは実験場であり,個人用なので人に見せる必要がない.だからbsd.tokyoを別途取得した.そして,会社の人にも学生さんにも「ここに貼り付けておく」ということ中心に使っていく.

この切り分けはやろうやろうと思っていが,今日やっと作業を開始できた.気づけばぼくも還暦まで干支が一周回の歳になっている.もう,無限の可能性なんてないし,それを望むべくもない.地面をゆっくりと歩くことしかできない普通のおじさんであることを重々理解している.だからこそ,今のうちに「越し方と行く末」をきっちり残しておくことは必要だろうと考えるようになった.今まで悪い人生を歩いてきた気はしていないし,どころか普通の人?よりも「面白いなー」と感じる日々を過ごしてきた.やってきたことが他人に評価させることはないのだが,自ら体験してきた感情の履歴を思い返せば,健康だったし,嫌なことを強いられることもなく,嫌いな人とは会わない・避けて通ることができてきたし,いろんなことがわかるようになったし,できるようにもなった.その意味では満足いく結果を得ていると思っている.だから,その満足したものの一部を少しずつだが還元していくことも必要かなと考えるようになっていたのだが,それをやっと始められる.

ちょっと高尚な動機で始めれば,なんでも物事はうまく転がりはじめる,ということは絶対にない.だからハレのサイトをつくっても,それで「第三者からみて有益なもの」が最初からできるとはさすがに思っていない.最初はしょぼい内容だろうし,ダメな結果しかできないだろう.とはいえ,なんか始めないと先にすすまない.しょもくても実態がないと「改良」プロセスを動かせられない.惨めな気分がするものであっても,一歩目を出す必要がある.これは,なんだかきれいに思えるけど,実体験の積み重ねと,それで結果的に意味のある結果に繋がったという経験から学んだことで,だからそれをbsd.tokyoというサイトに適用してみようと思っている.さぁ,どうなるか.