身の丈位合わないことはしないほうがいいと言われるが、それは本当だ。歳をとってやっとわかった、というか実感した。「身の丈」には能力だけでなく、育ち、家柄のような、自分にはどうにもならない歴史のようなものも含まれる。およそ世の中にある面倒なものをひっくるめ、分を知ることが最も快適に時間を過ごせるコツなんだ。

こんなことをいえば若い人から反論されるし、自分が若い頃でも白眼視しただろうなと思う。が、そうは言っても人の社会という、あるいは日本社会という枠の中でぼくは生きてるわけで、そこは理想郷ではないのだから、現実的な身のこなしを知っておくほうが結果的に不幸にならなくてすむはずだろう。

勘違いされたくないのは、奴隷に生まれたら奴隷でいろ、という話とは違うこと。というのは、身分制度は物理とは違うから、そんなもので我が身を粉飾し続ける必要はない。問題は、自分がそう行動することではない。相手に自分を認めさせることはやめたほうがいい、ということだ。

背が低いとか、子供の時に何をしたとか、そういうことは自分の好きには出来ない。過去のことはどうすることもできない。そしてそれらは事実なんだから、どうにかしようと頑張ってもあまり効果がない。

一方で、すごい人に自分もなりたいとか、仲間に入りたいとかは、事実をどうこうとは違って他人から見た印象であって、だから他人の意思次第。人の感じ方を自分の思うように変えること出来ない。何をどうやろうと実際問題影響しないのでやるだけ無駄だ。

だからですね、他人のことはほっておくよりない。

職場での人の群れ型を見ていると、はっきりとその人の所属している社会を反映していて、人ってこういう動物なんだなとはっきりとわかる。それで、改めてそういう生き物だなと悟ったのだった。