新しい技術に飛びつくが、すぐに飽きてしまう。

新しく文字を入力する道具として音声入力を使い始めた。革命的なツールになり得ると感じているが、僕はうまく使えないでいる。誰でも初めて使う時はそれをうまく使えないものだ。当たり前だ。そう感じながらも、時間をかけて新しいツールに慣れていく。自分の体をツールに馴染ませていく。こういった、自分を変えていく努力が必要になる。

が、これができない。面白いうちは使い、飽きてしまうと使わなくなる。どんな道具でもおもちゃでもこうなる。これは仕方のないことだと自分では思っている。興味がある、それはすなわち面白いことがあるに違いないと直感しているからである。だから、知ってしまえば面白さが半減することもあるのは承知の上だ。もちろん、道具についてあれこれ知ってしまったとしても、それが入口でしかないことに気づけば、興味を失ってしまうほどつまらなくはならない。どちらになるのかは、それを使い始めたときの自分状態、つまり何ができて何がしたいかどのくらい明確なのか、にある。

キーボード入力をしなくて済むツールとして、音声入力は非常に優れた手段であると直感している。こうしてつまらない文章を入力することだってできているんだから、もうちょっとまともな内容のある文章入力する道具に当然なり得る。

ここで1つ問題が起きる。入力に値するほどの内容がない時に道具が自分に代わって内容を考えてくれる事は全く無い、そういう当たり前のことである。

しかし、どういうわけかよい内容を道具が考えてくれそうな気がしていまう。だから皆、新しい高級なしかも高価な道具は自分の能力を増強させてくれると勘違いさせられる。それで悩んだ挙句、道具に高額なお金を支払ってしまう。そして使えもしない道具をあれこれいじり、飽きてしまい、道具を買ったことすら忘れてしまう。

こういうことが自分の人生に一体何回あったのか、歳をとればとるほどこの全く同じ失敗を繰り返していることに気がつく。

音声入力には重要な前提があることに気がついた。音声入力を使うためには、誰もいない部屋で孤独に作業するときに限られるのだ。したがって、自分1人の部屋を持っている仕事をする人、詳細を自宅に持っている人、つまり普通の人にはあまり縁がない状況にある、そういう人でないとうまく使えないのだ。これは、ある意味わかっていたことだが、やはりそうだったのかという体験をすることになった。失敗に近い心情にあるの深く納得することになる。こんなこと買う前からわかっていたのに、なんで買ってしまったのだろうと後悔するわけだ。

本当に本当に同じ失敗を繰り返している。我ながら歳をとるだけでちっとも賢くなっていない。そう同意せざるをえない。人は歳をとるだけでは頭が良くなるわけではないのだわ。