月別: 2017年12月

今年中にやっておきたかったことの一部をやれたが

2017-12-31 おしゃべり

随分と前からほったらかしになっていたブログサイトを整理した.
最初はBiNDでつくっていたが,更新の面倒さからWordPressの方を使い始め,そのうちTwitterもはじめてしまい,結局どれも長続きしないというよくある話の展開となり,結局「全部を一つにまとめてしまう」ことで対処した.
更新する機会が多かろうその中身はWordPressを使い,めったに更新しない内容のページはBiNDでつくるという,そりゃそうさという方法で落ち着いた.
我ながらに思うが,工夫したごころがなくてちょっと不満だが,サイトは動くことが一番なのでこれで一年ほど試してみることにした.

自分の記録が主だった内容のサイトは他人から参照されて情報を提供することを目的としていない.
過去や未来の自分に向けた記録を自分のPCとは別の場所に保持しておくことが主な理由なんだと思っている.
「そんわけはない,自分のローカルなディスクにすべてのデータを残しておくが一番だろう」
そう反論される人も多かろうと思うし,それはそれで90%以上正しいとは思う.
が,その残り10%未満の部分は「外のサーバーにおいておくことが結果的にデータ保全に役立った」という場面も想定してのことで,それが最近クラウドという方式が流行っている理由だと思っている.

いわゆる検索サイトはキャッシュを公開してくれない.ならばなんだかんだいってもローカルPCのデータを自分でうっかり潰してしまう可能性はゼロではなく,そのとき公開サーバーに残っているものをサルベージさせることでなんとかピンチを乗り切った助かった,という経験がある.
その一方で,公開することは自分の情報を不特定多数にさらすだけであって,これらの世の中では「自分にとって不利」なことが多いと考えている.
両者を同時に考えてみれば,それでもまだ数年は「一般人のぼやき」が金につながるわけではなかろうし,フィッシング詐欺集団への有力な,あるいはとっかかりとなる情報提供になるまで5年の時間猶予はあるだろう.
そういうわけで,そのようなことが社会問題化するまでは今のまま続けていくことにしたい.

さて,年末の大晦日.
こういう状況で人の行動は極めて保守的になるだろうと思っている.
毎年あれこれ違うことをやろうかなと思っていても,いざその場面になると「新しいことができない」自分に気づくものだ.
それは,年越しそばを食べるとか,知らないうちザッピングをして紅白を見ているとか,そういうことである.
そしてぼくもその一人(紅白は見ないけど).

年末になってからやることはたいてい「普段の休みではできない長い時間がかかること」なのだが,しかしその作業に取り掛かるのが大晦日だったりして実際は数日程度の時間しかとれない場合も多く,だから年末休み作業の進行速度は思ったほどよくない,いや実際は全くできないとなることが普通である.
むしろ通常の週末にまとめてやってしまう方が「非日常感」に邪魔されることもなく作業が捗ることをぼくは知っている.
そして知っているからできるというわけではない.

ぼくの場合もこの悪い例にもれず,年末になるとどういうわけか自分のWEBサーバーが気になってあれこれ整理しはじめる.
これもアルバムの整理するかのような罠があり,その内容を確認しはじめると思った以上に時間が取られてしまうので,結果的に想定したようには進まない.
それでも心を鬼にして進めていても,ご飯を食べたりビールを飲んだりしていしまい,結果的に「まぁいいか大晦日だし」という「いつものような展開」となり,中途半端に整理作業が終わってしまう.
そして誰でもが気づくのだが,長い休みにやれることは「実際はないのではないか」思うわけで,そういう計画を立てるのはやめたほうがいいな,と少し酔っ払った状態で反省するのである.

しかし今年はどうしたことか,ある程度WEBの整理ができてしまった.
それは「手を抜いた」からで,1,2時間で作業が決着したからだと思う.
これはよい,と思って別のことを始めてみる.
それは,例えば今年の十大ニュースを考えるとか.

思い返せば日本社会,とくに政治と報道の劣化,今年は異様に加速した.
そうは思っていない人も多いかもしれないが,海外にいる日本人はこの「事の重大さ」をわかっているだろうし,だから絶望している人やその先の状態にたどり着いた人も少なくないような状況だと伺える(すくなくとも,知りうる範囲ではだが).
そういうことを考えていたら暗くってきて,とても正月を迎える気分にはならない.
考えてもしょうがないことを追求してもしょうがないかと,これまた年末の雰囲気の罠にかかってしまうわけだ.

さて,今年もこの蕎麦までたどり着いた.
来年も辿り着けるのか,正直わからないが,たどり着きたいと思っている.

デマと妄想とは、同じだよなぁ

2017-12-16 ぼやき

SNSを覗くとそこかしこにデマが溢れていることを体感する。

根拠なきことを事実だと言って放言する、あるいは針小棒大な解釈。

人の体に中にも、デマってあるよなぁと気づく。

妄想や記憶違い、それらが感情によって拡大された誤解。

結局、どうやって生きていくかを身につけた人は、デマには踊らされないわけだなと理解する。

ときどき失敗すると,いろんな意味で暴走しないので,結果的に良いと思っている

2017-12-16 おしゃべり

ときどき失敗すると,いろんな意味で暴走しないので,結果的に良い.
そう思っている.

いろんな場面において,「何かをしなければ」ということは誰にでもある(と思う).
目立とうが目立たまいが,結果的に自分がそう発言し,そして何かをする.

そこでうまくいけばば問題はない.
その結果ある種の信頼のようなものが形成され,これを繰り返すことができれば信頼はより厚くなる.
いいことだ.
が,世の中,そんなにうまく話が進むわけがない.

ぼくの場合,成功するより失敗することが多いように思うし,その結果長い期間にわたって「くよくよ」してしまう.
個人的な性格に原因があると思う.
くよくよするの実態は「女々しい態度」というより「思い出し怒り」として顕れるのだけど,そうなっている期間中は何をしていても嫌なことが突然頭に降ってきて,「思い出し怒りが」が自分をすっぽりとらえてしまう.
具体的には,嫌な場面が頭に浮かび,そして思わす手の動きを止めて,しかも反射的に,今やっている内容とは関係のない独り言を口にしてしまうこともある.
その独り言は,目下の作業に関係のあることにしようと努力する.
だが,実際には「なんであのとき,あぁしちゃったんだろう」と思う.
この後悔は悲しさや苛立たしさの裏返しである「うなり声」に意味を持たさた結果発せられるもので,他人からみれば言葉とやっていることがちぐはぐな言動だろう.
だからトイレで用を足していたり,駅でエスカレータに乗ったり,職場でエレベータを使っていたりするときだけにしようと努力している.

それがどの程度の衝動を伴って再現するのかは失敗したレベルによりちがってくる.
が,まぁ数日から数ヶ月,とくに嫌な思いをしたものは10年近く嫌な思いをし続ける.
これも失敗の質によって違うのだけど,その時間を経過すれば消えるし,それに次に同じことがあっても「耐性」がついているのでほとんど嫌な思いをしないで済む.
これは経験という意味では大きなメリットではある.

良くも悪くも歳をとると,自分の性格の使い方も把握できるようになってくる.
ゆくゆくは,嫌な思いはすべて瞬時に忘れてしまえるようになりたいが,無理だろうが.

UWFをめぐる物語にプロレスを知らない自分が惹かれる理由

2017-12-10 ぼやき

1984年という,いまからは遠い昔の出来事について関心を持つ理由はなんだろうかね。プロレス自体には興味が無かったし、今でも無いのだけど。それでも、どこでも似たような展開があるものだなぁ、と歴史の成立過程を地面から覗いてる気分がするからかな。