月別: 2016年10月

頭という漢字をみていると頭にみえてくる

2016-10-29 おしゃべり

頭という漢字の偏をじっと見ていると、これが頭に見えてくる。豆なんだけど、鬼の顔というか、顎が目立つ人ととしてぼくの頭は認識しているから不思議だ。冷静になるとそうとは思えないのだが、ここはちゃんと白川先生の辞書をひく必要があるのだが、今は与太話だからその必要はない。持ってないし。

こん感じで、普段あまり注意を払わないことに意識を過度に集中すると認識機構がおかしくなる。偏自体に意識を集中することはないので、よくよく集中するとおかしな気分がしてくる。

変だな、と思うのならば、そう感じた瞬間では判断や価値基準はいつもとは違っているはずで、だからそういうときの判断をそのまま信用していいものか、悩む必要がある。なぜ普段はおかしいと感じないのかと。

素直に自分の心を感じ入るというか、観察することは、「奨励されている」ような気がする。感覚を研ぎ澄ます、という言葉は良い意味であって、できれば多く人が使うべきだという価値として捉えられている。

その意味で、この話も、普段とは違う価値基準を尊重せよと言っている。

今漠然とした疑問の重要度が強くなっているのを感じているが、これも普段は感じないことを感じているからで、だとすれば何かに気ずくことは価値の発見というより、ある種の勘違いなのではないかと思っている。

撤退戦のはじめ

2016-10-17 おしゃべり

10年先までのばくっとした予定をみた。それをみてたら、俺がやりたいようなことはもうできないな、と理解した。年齢の問題はどうにもならないし、普通は起きそうもないぼくに都合が良いことがぼくにだけ起きるとは思えない。

未来を先取りするようなことは誰にでも起きるだろう。未来には道がないことを悟った人は撤退戦の準備をしようと思い至るはずだ。本気でやりたくはないことに残りの時間をかけてなるものか、とい考えるにことはおかしいと思わないでだろう。考えを少し明るい側に降ったとして最後にはうまく行くとしよう。でも、今から頑張ったとして、ギリギリで何かができるようになって、それでどんな意味があるだろうか。人は誰もが「勝者」になれるわけではないのだ。

撤退をするときは、これまで学んだすべての能力を使ってみるのが良い。いかに気持ちよく過ごせるのか、に自分の能力を惜しみなく注ぎ込むはとても自然なことだ。そして、それを実践すべきときが今き来ているのだなと思うのだ。つまり、負けを確信したのだ。どうやったら無傷で麓まで行けるのか。考えどころである。

勝負しない、そういう場面からは逃げる

2016-10-16 おしゃべり

競争するようでは、いずれ負けるのだから、そういうものには決して近寄らない。

今すでに負けているならなおさらそうだ。仮に勝っていても必ず負けるしことはあるし、歳をとれば必ず負ける。勝負をしてきた人なら、死ぬほど弱っている時は当然弱いのだから、それはそれはひどい目にあうわけだ。

成果主義は弱肉強食で、それが良いことだという発想はあるし、切磋琢磨は美しいとすらされる。だが、本当の自然は弱肉強食ではなく、「全肉全食」なんだ。

少し話が飛ぶ。官僚をはじめとしたエリートとマイルドヤンキーはconjugateだよなぁと思う。

粒がそろっているのでは、という疑い

2016-10-16 おしゃべり

新聞の見出しをざっと眺めるとため息ばかりが出てくる。

それは豊洲の問題だったり、原発の問題だったり、リニアの問題だったりと、いずれも巨大な資本と大規模開発など大企業がやることで、国の影響力が大きいことばかりである。海外について考える暇もなく、国内の問題だけで新聞を読んで考えいるうちに時間を使い果たしてしまう。

国がやることに責任があるのは内閣をはじめとした与党であり国会議員である。が、現状を冷静に考えるに、今はそれを言って議員を追求しても意味がない。となると実質の企画者であり命令者であるのは役所なのだから、これら新聞の見出しについて責任を問われるのは役人、ということになる。

議員に専門性は期待できない。実際のところ省庁の課長補佐クラスが実際的な立案や指示をだし、それ以上は追認しているだけであろうと想像する。加藤陽子の『戦争まで』を読んで、そんなところもそうなのかと思った。こういうことは、何があっても変わらないので、今でもそうだろう。

ではどんな人たちがその地位にいるのか。少し妄想してみる。まぁ根拠のない想像である。

簡単にいえば有名大学卒のエリートなわけで、もっと省略すると東大ってことだろう。旧帝大は複数あるが、実質東大というフィルターで濾された人たちがエリートとして議員たちが考えたというものを作っているのだろう。

大学といってもその実態は人の集合であり、卒業生というのは要するに生徒だった人のことだ。この人たちは時代によって色々な傾向があると思うが、入試というフィルターを通過してきたことには変わりなく、だから恐ろしく粒が揃った人たちだ。いやいやいろんな人がいるよ、と内部の人はいうだろうが、そんなの外から見たら呆れるくらいの違いでしかなく、名前が違う身長が違う程度のことだったりする。

そういう人たちがいろんな役所で今一斉におかしなことをしていて、それで全く悪びれないでいる。それを監視する方も捜査する方も裁判する方も報道する方も、つまり責任のある立場の人はかれらと皆同じ仲間だったりする。そしてその人たちが原因で引き起こされたニュースの見出しを見て、市井の人はため息をついている。そういう構図見えてくる。

大学入試までの生き方でその人の価値感はほぼ完成しているだろうから、彼らはお互いに「全く世間は困ったものだよね、捕まった彼らは運が悪い」という感想を漏らしているだろうなぁと、上記の推論から導かれる予想をしている。

だからこのようなことはこれからもずっと続くし、その数は減るどころか多くなるはずだ。

粒が揃った人の集団は怖い。そういう人が蔓延すればそれで一つの時代が終わる。粒が揃うとそうなるのは必然。ニュースを見た後の反応として、役所を叩くよりないのが、それをしたとしても何も変わらない。それどころか、おそらくどこの集団でも同じことが起きるはずだ。だって、エリートは粒が揃っているにだから。

とまぁ、こんな予想をするが、この先どうなるかな。

いまさらながらにマルチプラットフォームを便利だと

2016-10-16 おしゃべり

自宅でも職場でも複数のPCを使っている。機種はまちまちで、OSもいくつもある。まちまちなのは用途が違うからなのだが、だからといって「コンピュータ」という抽象的な道具として使うこともある。

例えばブラウザ、例えばメール、例えばメモ。これらについては結局はブラウザがあればなんとかなる。そして今はChromeを好んで使っている。大抵のコンピュータで動くからで、これが動けばこの上で動作するものは全部機種を問わず使えるからである。

使っているときは「その作業内容」に集中しているので便利だなというより、ここがいまいち不便だなということが意識されるだけだ。しかし作業が終わればPCをまじまじと見ることがあり、そのときなどにGoogleってすごいなと実感することもある。

こういう便利なことを頭のいい人たちがよってたかって作ってくれるわけで、こりゃ大変ありがたい。あたまのよさってそういう風に使うべきだよなとしみじみ思う。

しかし現実は、というか狭い意味での頭の良い人たちはそういうことをしない。普通の人からみたら頭が良い人とみられるような人たちは、その力を「自分が優位に生きるため」に使っている。これが現実なんだけど、それを思うと嫌なことだとしみじみ思う。

python3

2016-10-16 計算機メモ

pythonでコードを書く必要があり、手元にあるThinkpadを持ち出し、久々なのでOpenBSDのバージョンをあげる作業したのだが、この安いノートよくよく触ってみるとかなりできのよい製品だと再発見した。

購入したらそこそこ動くように作業をしたのだが、OpenBSDの無線LANのドライバが古かったせいか、通信速度が大変遅く、またよく途切れた。Chromeを動かしていていたが、ブラウザを使うのがちょっと億劫になるくらいの鈍さだった。

自分では認めたくないような嫌なことは心理的に忌避するもので、だからせっせと使い込んでみるという作業をしなく、だからそのまま使わなくなっていた。購入時期はGWだったらもう半年近く使っていなかったことになる。

ただ、人はどういうわけか飽きがくる。飽きとは使っているものの使用を中止するということもあるが、使用中止していたものを復帰させることも含む。それで忘れていたノートPCを復活させ、いまこうして入力にも使うようになったわけである。

OSをRELEASE版にしたらこのノートでも「ちょっとネットがもたつく」くらいに改善した。一度画面が開けば問題なく、こうしてWordpressを問題なく使っている。OpenBSD6.0/E460の組み合わせ、十分使える領域に入っている。

なぜThinkpad/E460なのかと言えば、当時だいぶ安売りしていたから。購入の前提はKeybooadにUSを選択できること、Corei3くらいは欲しい。これで絞ったら選択肢はほとんどなかった。

一方OpenBSDは内臓のLANのチップの動作実績があるBSDがOpenBSDだった。FreeBSDもNetBSDも動かないっぽかったので、OpenBSDにした。そしてOpenBSDではChromeが動くことは分かっていた。選択過程はわりと単純なものだ。

現時点で気にくわないのはタッチパッドで、不用意に触ってしまうので突然カーソルが変なところへ飛ぶ。タッチバッドをDISしたいのだけど、BIOS画面にそれらしき選択肢がでてこないのはE460だからだろうか。ハード的な改変ができないのならば、人がなんとかするよりない。

さて、Python。プログラム環境としてこのPCをつかうことにしるが、Chromeを使ったmbedのIDEなどはよいのだが、Eclipseなどを想定したコードはOpenBSD用に提供されないので、例えばAndroidのSDKなどは動作しないだろう。コンパイラを使うものか、あるいはインタプリタで対応するよりない。

組み込みを最終ターゲットとしているのでC/C++を使うのだけど、その前の解析や検討ではPythonでいいだろう。iPython3を動かす都合上どうしてもPython3が必要になる。そして、それはインストールされている。

ただ正直これまでPython2.7を使っていたのでPython3についてはよく知らない。ちょとした改変で対応できるはずだが、かといって互換性はないのでちょっと不安ではあるが、とはいえ新しいことはそのようなところから出発するもので、これは旅の出発のときのワクワクと不安の入り混じった気分と同じだろう。

今日はこの作業に少し時間をとってみる。

日記を続ける意味

2016-10-14 おしゃべり

「ぼやき」なんぞ考えなくともいくらでも湧いてくるだろう。

そう思ったが、いやいやそんなことはない。ぼやこうにも「何にもない」ということが結構ある。これは予想外だった。

世間で人気を博する物書きの人は毎日のように締切があるようだけど、よくそんなことができるよなぁ、としみじみと感じる。なるほど彼は賞賛されるだけの人だよ。しかもだ、「人気の理由」は「書いたものが面白い」からだ。よくまぁ毎日面白いことを書きつづけられるなぁと感心する。

そのような「面白いこと」のネタはどこから来るのだろうかと考える。日々の生活の中にヒントがあるだろうか。

自分の日々の生活を振り返ってみても、面白かったことなんか滅多に起きない。朝起きて、電車で本を読んで、働いて(ほとんど人と話さない)、また電車で本を読んで、夕飯食べて寝てしまう。この連続の毎日だ。

面白いな、と思うことがあるとしたらそれは「この本は面白い」と同義だろう。電車の中では面白いと感じるよりも、不愉快なことを感じる方のが圧倒的に多い。となれば、仕事の中にそれを見出すしかない。

しかし、仕事中での面白さは言葉にしづらい物が多い。状況の設定があって、やろうとしている意図があって、やってみたら想定外だった、という流れの中に「へぇ面白い」があるわけだから。

こう考えると、自分の行動の中で生じた面白いことを集めるという方法では、どっちにしろネタ切りになる。では、人気者はどういう方法をとっているのだろうか。

何かを作るときは予想以上の時間がかかる

2016-10-13 おしゃべり

9月頭には完成しているだろうと予想していた装置を自作しているのだが、これがまだできない。フライス作業も回路も設計と製作を同時に行っているのが、これが一人だと両者を平行してできないので自分の想像以上の時間がかかっている。

時間の問題だけではない。やっていると疲れちゃうのだ。朝9時に作業開始、昼ごはんも食べつつ作業するとせいぜい夜7時くらいまでしか気力が持たない。それ以後もやろうと思えば続けられるが注意散漫になるし、おそらく失敗や怪我、あるいは作業自体が雑になってしまうので疲れたらやめる。

どの工程でも失敗しないように確実にやると仕事の進みが遅くなる。そして自分のアウトプット量も低くなる。要するに他人から良く見られるための結果は出てこない。

だから確実にやることは自分にとって得とはいえないような気がしてくる。さらに、ぼくの場合は「いい歳してろくな成果が出てこない」ので、若い人からはバカにされるか、困った人扱いされる。こういうの、ホントに嫌なんだけど、他人から見ればそうなるのはしかない。

じゃ、やり方を変えるかといえば、そんなこと全くない。他人の目を気にしないなら、こんなに素晴らしい仕事の方法はないだろう。というのは、仕事が遅かろうが失敗しようが、仕事の結果とその評価については自分がやったことは全部自分のものになるから。良くても悪くても自分のせい。今は「何をするのか」すら誰からも指示されないので、なにをどうやろうとも、すべての成果となる。

この場合の成果とは人に自慢するものではない。自分で考えてやってみたその結果を自分で受けるようなもの。別の言い方をすれば、生きているそのものの行為なんだと思う。

何が起きようとやったのはぼくだし、やろうと言い出したのもぼくなんだからぼくが責任取るよりない。そういう活動なのである。生きているなぁとしみじみ感じる。

こういう働き方をできる境遇にいる人は、日本でもレアだと思う。世間の評価を得られるような境遇には全くならないが、こういう生活を送れる。なんでもそうだが、ブラスとマイナスは同時に立ち現れるものだ。

音声認識による入力

2016-10-11 おしゃべり

音声認識による入力を使いたいのだけど、実際にはあまり使っていない。一人でいる時間ってほとんどない。家でも電車でも仕事場でも。自分専用のオフィスがある人は存分にできるんだろうな。

では仮に時間ができたとして、何を書くのか?文章だけで事足りる文章はあまり書かないので、実際にはあまり必要ないともいえる。では、やらなくていいのかといえば、ノーなんだが。

アメリカの大統領

2016-10-10 おしゃべり

アメリカの大統領ってのは、実質世界の大統領的なところがあると思っていた。経済的にも軍事力的にも他国と比較したら頭一つ抜けているわけで、いい国かどうかという評価とは別に、実質スーパーパワーがある。

その国の最も権力がある人の候補にトランプがいるってのは、アメリカの共和党というのはなんかもう機能していないのかな。日本で言えば内閣法制局みたいな状態なのだろうか。大統領は人格者であらねばならないとまでは思わないが、そうだといいなとは思うし、だからそういうフリをするのが普通ではないかと思うのだが、アメリカの感覚は違うんだよね。

国や時代、歴史、あるいは言語構造によって人の判断基準や感覚は違ってくる。だから、共和党でトランプこそ大統領に相応しいと考える人もいる。それはそうなのだが、どうして何だろうと分からないでいる。さすがにまずいやつだろうと思うのではないか。

アメリカ人だからトランプ支持の気持ちが分からないと言うが、安倍政権の閣僚たちの発言、行動について支持する人の感覚もぼくにはさっぱり分からないから、何人であってもおかしな人はいるなぁと感じるよりない。ぼくの感覚が全てが一般的だとは思わない。思わないが、事実そう言う日本人が半分入るようだから、ぼくには理解できないことはまだまだ多いわけだな。