月別: 2016年9月

国が壊れていく順番

2016-09-30 おしゃべり

今の内閣の答弁を見ていると、ますますおかしなことになっていると感じる。自民党にはあんだけ人がいて、今の内閣はおかしい、と思う人がいないのが不思議なんだ。

現状の憲法に沿って内閣は権威付されている。逆じゃない。が、内閣の連中は全くわかっていない。例えば、核兵器を開発しません、という現行憲法では当たり前なことを、今の防衛大臣は言えない、自分が大切だと言っている式典には出ない、それを指摘されると涙ぐむ。なんだよそれ。学芸会で政治家をやっているというか、国防ってこんなトーシローがやることなんだろうか。

http://jp.reuters.com/article/idJP2016093001002311?il=0

建前と本音、いろいろなトボケ。政治家はそういうことを普通にやる。正直が良いわけではない。子供ではないのだから。第二次世界大戦での各国首脳たちは、そりゃ食わせものが多かったが、いまだって海外ニュースを見てればタフなことをやっでいる。今の内閣のはこの人達との人間の差がありすぎる。この人達、よくもまあサミットなんかに生ける。場違い感がすごいのを感じないのだろうと思う。

こんな政治でもいいかなと思うマスコミ、その報道を見て理解の仕方までコメンテータに寄せる国民、その結果の世論があれば、流石に自衛隊の人たちは心配になるだろうこんなのに従って死ぬかもしれないのに。なので自衛隊はそのうち、こんな内閣のいつことなんて聞かなくなるだろう。そしてある時、政権が乗っ取られる。その後は、世界中どこでもある、軍隊のための国、になる。

一度そうなったら、そこから浮上することはもうない。経済だって何もないして売るものない、文化もない、資源もない、ひたすら人口が減っていくときに人々は奴隷化されていく。第二次世界大戦のあとは、偶然が重なり過ぎたのだよ、別に日本が優れているから今のような国になれたのではない。

いつクーデターのようなことが起きるのだろうか? さすがに226のようなことはないだろう。なので、想像するに何か有事のようなきっかけがあって、その時役所も政治家も、何にも出来ないでひたすら混乱し、そういうときに機能するのは自衛隊と警察だろうから、これが事実上のクーデターのような機能を果たすのだろう。壊れ方が予想できてしまうよ。

そうならないようにする方法はあるのか、と問われると、あまりない。選挙があるが、普通の人が事実上機能していない。テレビではそういうことをやらないから。となると、どうするか。

自我が肥大化して、細胞膜が破れるわけか

2016-09-29 おしゃべり

加藤陽子さんの本を読んで、昭和の中に生きているような想像をしている。自分だったら、特にぃの自分だったらどう判断するのか。その結果についてはわかっているのだが、この手の想像では、結果を知らないことにするという芸が求められ、それが出来るといろいろなことを学ぶことができる。

あれこれ考え入るううちに、どうしても豊洲とオリンピックのザマを思い出してしまう。あるいは、現在の電力会社についても同じものを抱えているように感じる。要するにくださいもうだめなことをわかっているのに、なぜ爆死に向かって進めていくのか、ということだ。

戦前の軍や政治家が、現在の政治家と役人になっているだけで、おそらく結果は同じことになるのではないだろうか。口には出さなくても、そう考える人は多いだろし、いや、普通に情報を処理すれば、そう思うはずだろう。

こんなとき、直接の関係者を呪ったところでなんら自体は変わらない。人にはそんな能力はない。では、何をすればいいのだろう。ぼくも市井の一人なので、何をすることも出来ない。報道を見て、腹立たしく思うしかできない。

では、どうにもならないのにわざわざ本を読んでどうするつもりだろうか、と反省するが、その理由は単純で、今を知りたいから、でしかない。

いつかはばれるわけだ

2016-09-29 おしゃべり

東京都に絡むニュースを見ていて、なんだがすごいことになっているなぁと。大きなイベントが瀕死状態になっているが、どちらも解がなさそうで、無理に実施しようが止めようが悲結局惨な結果になりそうだ。

ここ三代の知事がインチキしてたので、今どうしようもなくなっている。あのまま舛添だったらどうなっていたのか、あるいは選挙で次点だった人が当選していたらどうなっていたのか、そら恐ろしい気分がする。薄氷を踏む流れだったのか、と今今になって知ったのだ。

とはいえ今の知事なら本当に大丈夫なのか、については分からないが、その発言内容を聞きに、日本語の使い方から判断して「まっとう」だから大丈夫だろうと楽観視している。ぼくは現知事に投票しなかったが、都民の判断は結果的に良い方に転がったな、と感じている。首の皮一枚で繋がったわけだ。

それにしても、「オリンピックは無限に金がつく」と考えている元総理やその舎弟がいろいろ難癖付けてくるだろうけど、きちんとIOCにまっとうに交渉すれば問題ないだろう。ホストが主体的にやればよい。日本人の国会議員に「論理」は全く通用しないが、他国では十分通用する。普通に交渉すれば済む。

東京の悲惨は締切が近づいたからバレたわけで、それまで何にもしてこなかったところに問題がある。豊洲もオリンピックも関係者は爆死しているようなものだ。それでも誰も責任をとらず、それどころかさらに金をつぎ込んで自らを偉ぶっている。何なんだろうか、この人たち。目に前にあるこの事実からして年金も保険も教育も、おそらくあらゆることがこのような結果に終わるだろうことを確信した。国がやっていることは、殆どはこれと結果になるはずだ。

ため息が出るのだけど、珍しいことではない。むしろ、これまでもあったし、これからもあるのだろうことだ。ただ不思議なのは、役人と政治家がやることは軒並み帝国陸軍化するところだ。事実に基づいた予測はせず希望を事実と騙り、あらゆることに責任は取らない。戦後教育を受けた人ばかりでも結果的にこうなるのはなぜなんだろう。

インチキはいつかばれる。その時悲惨なのは普通の人であり、彼らを信じた人なのだ。

人の不幸を笑うのはどうかと思う

2016-09-27 おしゃべり

何だが気に入らない人たちの活動をチェックする必要があり、あまり気が進まないのだけど、仕事なので仕方なく見ている。

なぜ気に入らないかといえば理由は単純で、この人たちの言葉の端々には人をバカにしてる感があって、なんでこんな風に扱われているのにおれは自分の時間を費やさないといけないのか、と思ってしまうから。彼らもチェックされること自体不本意なのかもしれないが、こっちもやりたくてやっているのではないので、まぁお互い様と言うことでぼくは納得している。

で、その人たちの活動については一段するはずの来月にで確認会がありそれに日参加するのだが、ここしばらくは彼らは作業の佳境に入っているはずで、最近はその進捗について確認してない。

で、その活動をしているメンバの一人に偶然会ったのだが、どう進んでますか?と聞いたら、止まっていると。なんでも、準備段階で不具合が出てて、かなり遅れ気味と。へーそうなんだと回答したのだけど、不覚にも笑顔になってしまった。

こういうときはどういう顔をすればいいのか?暗くなっても意味ないし、それだったら大したことないよという感じを表現するために笑顔のほうがいいかなとも思う。とはいえ、この時ぼくは自然に笑顔になってしまったのだけど。

それにしても、困っている人に笑顔はないよな。反省する。

感情を制御する方法

2016-09-26 おしゃべり

気分が暗いときの対処法で最も確実なのは、ご飯をしっかり食べること。それも美味しいものを時間をかけて食べる。そして、温かい風呂に入る。入浴剤も入れて。そして、出たら好きな飲み物をのんで寝てしまう。本当にこれができたら一番。

そんなアホなと思ってしまう気分もわかる。ぼくはむかしこういうことを全く信用していなかったからね。しかし、そういうことってあるんだよね、ほんとにある。ぼくの場合は風呂だった。バスロマンのスキンケアを入れて、ゆったりと風呂に入ったとき、これは心身ともに完全に癒しの道具だとはっきりわかった。同時に、古来日本人が、古くはローマ人がこれを愛したことを、そりゃ当然だよと腑に落ちたのだった。

長く生きていくとこういうことがわかってくるんだ。歳をとること自体は素晴らしいことだ。ただ、いかなることも副作用を持っているのは、まぁ当然のこと。それに尽きるんだよ。

突然感じること

2016-09-26 おしゃべり

歳のせいか、突然自分が随分と惨めな気分になることがある。その原因は、他の人との比較であって、なんか随分と失敗した人生に落ち込んでいると考え、なんと惨めなと思うわけだ。

だが、冷静になって考えると、比較した人よりはだめな評価を得ているけど、比較なしに自分の普段の生活を鑑みたら何もひどいことはない。あくまでも他との比較か、他人からの評価の低さに対して惨めな感じがするのであって、日々の生活ではそんなことは感じる指標はない。

感情は気の持ちようで、どうにでもなる。良くなっても、悪くなっても、それは物理量とは違うので、その感情を選択する理由はない。だがらからの要するに、気のせいでしかない。

客観的にみるなら、それは外から判断できる指標を使うことになる。まぁ、いわゆる地位だ。僕の場合考えてみれば、働き始めてからは変わっていないので、最底辺ということになるが、実際にはそんな感じはしない。

地位はないので部下もないが、部下なんて全く必要ないので本心から一人でやるのが気に入っている。だから今のままでいい。

地位はないので、責任あることは何もない。不思議と自分で何をすればいいのか決められるので、誰かに何かをやらされることがなく、自然と自由に振る舞うことができる。あれをやれ、とは言われないのならば、いわゆるノルマもない。これはこれで気楽なのだ。

こうして自分の現在と自分のあらまほしき方向とを比較すると、実にぴったりなのは、たから今が一番うまく生きている時期のように思われる。としたら、なんで惨めな気分になるのだろうか。おそらくゆえなきことで、ある種の集団的な同化圧力によるものなのかもしれない。

気分よりも身体の感覚を優先しよう。痛いところはないか、腹は減ってないか。気分に負けそうになったら、いちいちこういう確認をする方が良い。

役人の職能の定義と職人集団のミステリー

2016-09-25 おしゃべり

豊洲にニュースを見ていると、今は変な方向にズレつつあることがわかる。森山さんのブログの読者ならば、やっとかと思う話題がワイドショーネタになっているが、本丸に近い所から離れつつあるように感じる。森山さんの登場からの進撃は業界サイドは予想以上だったけど、ソロソロ逆襲が始まるのがもしれない。

どうしてこんなふうになったのか。今の焦点はそこにある。いつ意思決定されたのかを追っている。知事もそう考えていると表明している。誰が責任者なのかを追っているわけだ。

問題をこのように変換すると多くの人が取っ付きやすくなる。いつの間にかミステリーに変換されているからだ。現実を舞台にした経済ミステリーなわけで、死人は出てないし、誰の財布もすぐには関係ないので、老若男女か参加できるわけである。これが面白くないわけがない。シンゴジラよりも当然だがリアルなわけだし。

社会派を自認もしくはそうありたいと願っている人は真面目に取り組むはずだ。何が問題か、どうすれば良いがにだけ焦点を当てていくと森山さんのブログに行き着くような気がしている。しかし、一方で悪者を懲らしめろという避けがたいエンターテイメントに引っ張られる人も多いはずで、だからそれがワイドショーなんだと思う。

その中にいて、少し考えてみる。犯人は誰か地は別に、そもそもとの役人という職種の人に建物、いや市場の設計を管理する、あるいは評価する能力を期待できるのだろうか?と。役人とはどういうことをする人なのか、あるいは学んできたのか。想像すればいいのだが、「そんなことできるわけないじゃない、都庁で紙をいじっているだけなんだから」とすぐに気がつくだろうに。都庁とはいえ地方公務員でしかない。国家公務員だって原発対応以後を見てれば、その限界がわかりそうなものだろうと思うのだ。だから、ないものに対して彼らは精一杯見栄を張っていたし、今でも張っているだろうけど、そうい人たちに期待する方が間違っている。

この状況は昔から変わっていない。変わったのは、仕事を受ける側の企業だわ。以前は発注側が全くトンチンカンでも会社側がなんとかしてくれていた。おかしなことにならないようにしてくれていた。最終的に物と対話するのは企業で、だから現場はおかしなものを作ることを拒否していたのだろう。しかし今は違う。横浜のマンションの杭の問題を見てればわかる。紙は騙せても物は騙し通せないのだけど、それでも企業は物を騙し通そうとするようになってしまったのだ。なので、もはやおかしなものを悪びれず平然と作るようになった。ここが悲劇のポイントだと思うのだ。

これに目を向けないで東京都の建築素人の役人を責めてもしょうがない、そんなの昔からよくなかったのだから今後もよくならん、それより設計事務所企業側のおかしさを明るみに出した方が良いだろうけど。もう、この人たちは任せておいたらろくなことしないという態度で。

時間的な順序が逆転することはよくある

2016-09-24 おしゃべり

ある本を読んでいて気になることがでてきて、その本は途中でやめて別のところで別の本を読んでいると、その気になったことがその本に出てくる。こういうことは割によくある。本当に、俺がいま知りたいことがそこに出ているよ、と読みながら驚くことは稀ではない。この驚きは時間反転を観測したときであって、ホントにあることなんだ。

それは偶然か。いや、偶然ではない。では注意力が特定の方向に狭まっているからか。いや、それもあるだろうけど、それで説明がつくわけではない。普通の世界では起きない、あるわけないと言われていることが実は身近にしかも割と普通に起きていて、その在るべきはずがない現象の切れっ端みたいのが見えちゃった瞬間が。あれ、これいま考えていることだ、ということが読んでいる本に出てくるのはその代表例ではないかと思っている。

タイムスリップまではないと思うが、局所的な瞬間的な時間の辻褄くらいは合わないことくらいはあるかもしれない。いや、あったっていいじゃないか。そう思っているのだが、どうであろうか。

無意識の時間は生きてない気がする

2016-09-24 おしゃべり

あることが気になると、大抵は嫌なことなのだけど、ルーチンワークがおろそかになる。というか、無意識でやってしまうことがある。これはいかん。シャンプーや髭剃りなどは、もはや視覚情報を必要としない。それくらい慣れているのだが、それだと完全に無意識で作業を完遂してしまう。これはいいことなのか、よくないことなのか。

無意識でこなす理由は嫌なことを考えることに意識を使うからだ。これははっきりしている。そして一見便利なので、だから好ましい能力に思える。しかし、一体何に時間を割いているのかといえば嫌なことを追体験することであって、そんなこと考えて自分が得することはない。そんなものは考えなくていいことだ。だから、無意識で行動することは良くない、と思っている。

生きているかぎり、なるべくならば気分良く過ごす方が良い。気分良くとは、出来ればそよ風に吹かれて、といった時間である。腹がへってがつがつと食う、とは違う。そよ風に吹かれて寝てしまうのは惜しい。吹かれているなぁ、と認識し続けることだろう。

他人から舐められるのはお得

2016-09-24 おしゃべり

安田さんのツイートにいたく感動した。

なめられるって、いやがる人がいるけど、僕は好きです。だってなめられないと相手の本音ってなかなか引き出せないし、本音が出てこないといろいろな事が先に進まない。さらには、なめて不遜な態度を取る人とは、こちらもちゃんと距離を置けるし、いいことづくめです。

言われて初めて気づいたが、確かにそうなんだ。

一般に人からバカにされると腹立たしいもので、誰かを嫌う理由のほぼ全ては、バカにされた、というものだと 僕は思っている。本当に。誰からもバカにされない世の中はなんと素晴らしいものかと思うのだけど、実際は逆で、世の中のほとんどの人は他人をバカにしようと常に、あるいは無意識にチャンスを伺っているわけだ。

だから、多く人は、バカにされないように自分の身を繕っているし、バカにしている疑いに目を光らせている。そんなことばかりやって、せっかくの人生を捨てている。

しかし、多くの人がやっていることをなぞると、実はあまりいいことがない。というのは、多くの人がやっているのにさっぱり効果が上がらないからこそ、多くの人がやり続けているからだ。上手くいかない方法だからこそ、やり続けていると言えないだろうか。

そこで、舐められるメリットを考える。舐められること自体に身体に影響はない。もっというと、バカにされたところで、それがケガや病気の引き金になることはない。もちろん気分が良いことではないので、ストレスはたまる。そのままに放置したらいずれ身体に影響が出る。少しくらいならばほって置いても問題ない、ということだ。

舐められていることで影響がない時間は人によって違う。しかし、歳をとると耐久時間は長くなる。その間になんとかすれば良い。多くの人は、なんとか舐められないようにするだろう。若者はむしろ尊敬されるようにするのかもしれない。が、その時間は、相手を観察する時間に当てたらどうだろうか。人を舐めることでこの人は一体どういう状況を作りたいのか。そこを見極めることだ。それが安田さんのツイートの意味だ。

他人の認識を他人が思うように変えることは出来ない。だから、舐められていることをやめさせる事に時間も努力も費やしても無意味だ。そんなことはしない。その代わり、相手を観察する、必要ならば逃げる。これでいいではないか

こう思うのだけど、感情というものは制御出来ないものだから、考えた通りにやろうとすること自体に無理がある。舐められたら苛立つもので、そこで苛立たないためには、自分の中に絶対的な評価軸が必要になる。そういうものがないと、相手に揺らされる。

自分に絶対的な評価軸を持っている人はどういう人か。これが不思議と客観的な評価軸のことだったりする。地位や名誉というもの。え、それって絶対的なのか?と問われても、あまり動じないだろう。というのは、客観的な指標なゆえに誰に来ても同意を得られるから。だから人は地位や名誉を求めるのだよね。

では、そういうものを持っていない人はどうするか。確実な方法はあって、自分は何かを探している、という状態に落とし込むことだ。探し物は研究なのかもしれない、何かの能力、例えば柔道でもラーメン作りでも、今とは違う地平に立ちたいいう要求ならばなんでもいいだろう。何もないなら研究せよ、ということだ。