月別: 2016年8月

結果的に携帯を交換

2016-08-30 おしゃべり No comments

なんだかんだあって、結局フリーテルの携帯を新しくした。問題だったwifiを解決する手っ取り早い方法だから。

しかし、携帯を新しくするといろんなものを再設定する必要になり、参る。パスはいろんなものをいかっているので、それがアダになるし、なんだか設定出来ないでいるものもある。参った。

こういう面倒なものをどう乗り越えるのか。これは携帯を使う動機に直接関わることで、歳をとるとなかなかやらなくなるだらうことは明白だな。今のうちに使っておくよりない。

ハードウエアを変えるとソフトウェアの調整をし直す必要がある。 これはこれで結構大変だ。何が変わらなくて何が変わったのかが分からないから、ともかく使ってみるしかない。そうするとパスワードがを忘れていたり、 再設定がうまくできなかったりと、すぐに使えなくてイライラしてくる。

ネットワーク上の個人情報

2016-08-28 おしゃべり No comments

個人情報には二種類あって、換金性があるものとないもの。クレジットカードの番号とセキュリティコードなどは直接換金できてしまう。一方どのサイトをよく見るのかいったリストにはない。報道で取り上げられ、またセキュリティがうるさく言われるのは前者であって、Googleなどビックデータ絡みでしか利用できない後者の情報はとやかくいう必要はない。

GoogleなどではスマホのGPS情報や検索結果などを蓄積、分類し、その結果に合わせて表示する広告を変えるサービスを提供している。さっき検索した商品の売り出し広告とがニュースページに表示されるといったことが起きる。こういうことが普通に行われている。プライベート情報だと考えているものが画面に出てくるので見る方は不気味さを感じ、Googleなどに不信を抱く。こういうことが起きている。

監視されていると。しかしこのような情報は集団として意味があるが個人を同定すると価値はなくなる。芸能人でもないなら、どうでもいいだろう。

おしゃべりに近いブログ

2016-08-28 おしゃべり No comments

書くことがなくともエントリーを作ってしまう。表現する内容がないのにブログというエントリーに引っ張られての行為、これは一体なんだろう。書く内容に意味はない。間違いなくない。では、なんなのか。

おしゃべりだ。別に会いたくとも話したくともない人に会ってしまい、挨拶以上の会話が必要になった時と同じ。なんか言わないとという動機のなさからの話は、内容がないのにエントリーを作るブログと同じだ。

するとブログが上手い人はおしゃべりが面白い人だろう。特に期待しないでも読み進めてしまうことを書けるから面白いブログなのだ。話がつまらなくても書くものが面白い人ってあるんだろうかな。ネットとリアルの充実度はだいたい同じだろう。

ネットワーク問題

2016-08-28 おしゃべり No comments

自宅のネットは優先無線両方共に使っているが、無線は2Gと5Gとを有効化している。最近はどれも5Gが使えるのでそちらがメインだが、使えないものが2Gのままになっている。

最近はほとんどの家でWIFIが使えるためか、外に漏れてくるのでも結構強いようで、参ったなあと言うくらいスキャン結果が長い。

なので窓辺では2Gが繋がりにくい。なので5Gだけにしたいのだけど、ぼくの携帯が使えない。参ったなあ。

そういう人ってどのくらいいるのだろう。

bindの終焉

2016-08-28 おしゃべり No comments

これまでブログの入力をbindというソフトで行っていた。bindは見た目ががたいへんきれいなページを作成するソフトで、昔はフラッシュを使った動きのあるベージを簡単に作れて、写真を中心としたページを作るには世界でも類を見ない高水準のパッケージソフトだった。

bindは言葉の入力が中心になる便利な道具ではない。ブログ入力にはあまり適していなかったが、それでも綺麗なページを作れるからずっと引き続き使ってきた。それは承知の上使ってきたが、bindの作成元のソフトハウスの挙動があまり面白くない方向に移行し、料金体系もなんだかいやらしくなってきて、無理して付き合うのが面倒くさくなってきた。だからバージョンアップもやめた。

今、次の入力方法を手に入れた。wordpressと音声認識である。 wordpress は簡単なブログならエントリーに手間がかからない。そもそもそういう事を省力化するために作られたので圧倒的に使いやすい。しかし、見た目がきれいなページにするための方法を知らないでいる。

スマートフォンでの音声入力という手段を手に入れると、さすがにbindを使う気にはもうならない。商用のベージではない市井の人のブログなら、圧倒的にwordpressと音声入力の組み合わせが楽。この方法に未来があるのかはわからないが、ともかくこれで今後は進めてみる。

bindjが税金方式の価格設定をするようになってから、その会社自体に興味を失ってしまった。新しい方法の出現は渡りに船という感じである。音声入力については野口悠紀雄の本を読んでから試すようになったのだが、 結構な歳なのに知の伝道師ぶりは健在、さすがと感心する。

この組み合わせがどのくらい意味を持っているのかを自分自身で実験してみたい。

簡単さが投稿を促す

2016-08-28 おしゃべり No comments

音声入力でメモをエントリーするようになってから投稿件数が増えた。これはスマートフォンでのエントリー入力が可能になったことに加え、文章の入力を音声に切り替えたことによる。

google の音声認識は句読点や改行を音声で入力できないという致命的な欠陥がある。が、まあなんとか使えるよう工夫をした。些細な工夫でもメモ取り方法に劇的な変化をもたらした。

このブログへの投稿は簡単だ。スマホに向かって喋れば文章の原案が出来てしまうのだから。考えてからキーボードで入力した文章はスマホに話して書いた文章とは印象が違ってくるはずだろう。言い回しや語彙も違っているはずだ。淡々と話すと単調な文章になるかもしれないが、ともかくやってみる。

こういうことは経験がものをいうのだ。すでにメジャーな方法であっても実践している人は少ないもので、練習し始めるならば今かなと思っている。

スマホでこんなこと

2016-08-28 おしゃべり No comments

スマホでも写真を取り、スマホで加工し、スマホでブログのエントリーを書く。今はこんなコトが簡単にできるんだなあ。

少し驚いている。画像加工は lightroom だ。パソコンでないと出来ないのかと思っていたが、最新のスペックでもないスマホでもこれだけのことができる。参った。

パソコンを持ってないから、ぼくにはできないことが多いんだ。今の子供にはそういう言い訳が使えないわけだ。これは大変なことで、それは経済的な意味でのハンディがなくなっているのか、そうでないのかよくわからない。できないという言い訳は何かを持っていないからということではないから。

逆にソフトウェアを使うということが気軽にできないと大変なことになる。パソコンに慣れていることが何にも増して重要になる。それが読み書きそろばんと同じ意味合いを持ってくるから。 自分が何かをやらないことを環境のせいにする方法する方法が使えないわけだ。

使うことより作ることに注力

2016-08-27 おしゃべり No comments

新しいガジェットに関心を持ってしまうが、 そういうことはそこそこにして止めておく。そうでもしないと、ガジェットを追い求めているうちに人生が終わってまうような気がすしてきたから。そんなに簡単なことではないけれど。

欲しいものを我慢するというより、 今手元にあるものを調べて数えてみて 、 それを使い回すことで自分をより良くすることを 中心課題とする。こうなるよう興味が移るまで少し買うのを待つ、というか待ってみる。

昔ならとても無理だがこんなことができるのも少しは歳を取ったからだと思う。

しゃべる文章

2016-08-27 おしゃべり No comments

塩野七生の本を読んでいる。昔はあまり気づかなかったが、この文章は書かれているというより読まれているような気がする。句点の打ち方がとくに自然なだから。句点が「論理的」な切れ目ではなく、文章のリズム的な意味での間に置かれている。これは音声として語られた文章の特徴で、だから語っている音声が紙に書かれていると言った方がいいと思う。

句点の打ちどころと入れ方は人によって様々に変化する。句読点については小学校で教わったはずだが、それ以後明確にその方法を教わった記憶がない。ぼくの句読点の教育結果はあの授業によるものだ。みんなできるようになるのだろうか。

日本語で一番難しいと思っていることは句点の入れ方だ。句点をいつ入れたらいいのか。 それが明確にわかっていない。例えば「私は」の後で点を入れる必要があるのかどうか。その文法的な根拠を説明されれば、なるほどなぁと理解出来ると思う。小説を読むと「私は、」と句点が入っているものも入っていないものもあり、どちらの場合でも読みやすいものもそうでないものもある。なので句点はどこで入れてもいいようなものだ、と今は考えている。

言葉として正しい、あるいは誤りだ、と言うものを静的には決まらない、一概には決められない。そう思う。ある場面では有効でも別の場面では有効ではないことがあるから。そんな状態ならばルールを設定してもそのルールが有効かどうかが、その句点が置かれた文章全体での状況に変わってしまう。だからルールいう形で文章から切り離せない、ルール単独で存在しえないはずだ。

句読点の打ち方。これは書き言葉で文章を書くとルール設定出来ず混乱する。言葉と言葉の論理的な繋がりを切る、あるいは論理的な構成を視覚的に明らかにするために隙間を入れる。句点の意味をそのようにぼくは理解している。文章がコンピュータ向けのプログラムなのだとしたらそれが正しいと思う。しかし人が読む文章なのだとしたら正しくないだろう。

句読点の用い方の正しい正しくないの判断基準は、読者が感じる読みやすさ。この基準は単純で、誰でも判断できる。読みにくい文章おとなっていたら正しくないと考えてよい。文章は読者、つまり人に向けたものだから、それは句点の使い方を基準を読者が決めてなんの問題もない。

文章がこのような基準で判断されるならば、音声認識によって書かれた文章はより良いものへと変わるかもしれない。句点の打ち方が話し言葉によって変わるかもしれない からだ。というのは、話すときはわざわざ句点を入れないから。話し言葉での句点は意識しないでも入り込んでくる。そう考えてもいいだろう。

良い文章を書くために紙や万年筆、あるいはキーボード、ワープロソフトを選ぶように、音声入力エンジンを選ぶようになる。現状では長文入力があまり得意ではないようだ。長文ほど良いのか、短文ほど良いのか、siriとGoogleでは少し異なる。今は何とか使えるようにしているにすぎないのかもしれない。これがクリアされた後は、句点の自動挿入が問われるようになってくる。恐らく句点の位置による文章のリズムが口述筆記結果の出来を左右する。

人にはそれぞれ喋り方がある。言葉の直し方の特徴である。これが表現である。それは句点の位置でにも左右される。こういうところで勝負してくる音声入力ツールの到来は遠くない。

Iphone 7

2016-08-27 おしゃべり No comments

Iphone 7買いたいたいなーと思っている。が、この物欲を認めていたらきりがない。こんなことをやっているとお金を使うばかりである。

最初欲しかったのは音声認識機能だ。特に改行が出来る、句読点が打てる、という機能はgoogle にはない。だから iphone を買いたいのよ。しかしそんなことやっていたらお金がいくらあっても足りない。現在使っている freetel でも何の問題もなく、こうして音声認識ができている。本当は iphone は必要ない。

じゃなんで iphoneが必要と考えているのか。単に欲しいだけだろ。

それは分かっている。iphone は象徴価値でだよ。iphone 持っているということを他人から認識されたい。僕の衝動はそれが原因だと思う。

確かにこの音声認識では句読点が入力できない。しかし強烈なメリットもある。この google 音声認識では、漢字変換していく過程を画面上で見ることができるのだ。リアルタイムに文字列入力した文字列が、最初間違いがあった状態であっても次第に適切な漢字へと直されていく。これを見ることが出来る。そして漢字変換機能は google の方が一枚上手である。この機能をsiri は持っていない。そもそも漢字をうまく変換してくれてない。だから iphone は必要ないのではないと合理的に判断出来る。

長い文章を打つ時には一文ごとに一旦停止、これを繰り返して入力するなどの工夫が必要のようだ。工夫自体も次第に改善されるかもしれない。それまではこのフリーテルを工夫していけば十分便利かもしれない。

グーグルでもsiriでも最後には編集しなければならない。画面の大きさから考えてこの freetel のサイズはちょうど良い。iphone seでは画面が小さいかもしれない。このように現在の手持ちの道具の使い方をブラッシュアップしていく行動の方から後々自分のためになる。その方が正しいのだよ。

でも、買いたい。これは見栄ではなく、新しいのは技術に対する憧れだと思う。