本のメモ

村上春樹の新刊と幾つかの関連本

2017-05-13 本のメモ

2月に出版された村上春樹の新刊を読んでみた.発売されすぐ購入し読み始めた.電車などで誰にうっかりネタバレの話をされることが嫌だったからなんだけど,でもちょっとミーハー的な気分もあった.「もう読んだ?」「うん,読んだよん」っていうやりとりをすることがあるかもな,と想像してたが,実際それを2回ほどすることがあった.

ぼくは村上春樹の熱心なファンではないと思う.全作品を読んだわけでもないし,好きな作品について誰かと語り合うほどの知識も持ってない.それでも有名どころは何冊も読んでいるし,何回か読んでしまった作品もある.だからといって,ハルキストとあれこれ語りたいとは全く思わない.いや,全くない.

小説は自分で読んで面白いぞと思えたら「その任務完了」であり,何かのときに「本歌取り」をしてニヤッとする程度の効用があればもう十分だろう.そう思っている.それをハルキストたちは宿題の答え合わせをするかのごとく集まって内容について語り合うらしい。なんでまたそんなことが楽しいのか、ぼくにはさっぱりわからないでいる.

『騎士団長殺し(顕れるイデア編)』『(「遷ろうメタファー編)』は一人称小説で,へぇ昔に戻ったのかと思っていたら一気に読んでしまった.高い純度で「村上春樹だよなぁ」と感じるものだった.一部二部の2冊で4000円くらいしたし,だから結構厚い本だ.「どうせ世界でも売れるだろう本」を早い段階で読んちゃったよ,という小さな優越感が駄菓子のおまけの当たりを引いたような,ちょっと良い気分にさせてくれた.

読み終わったらもう終わりである.次の本はどのくらいででるかねぇ、7年先かな,なんて考えていた.著者の年齢から考えて,本当にそれがあるのかどうかもわからないし,またぼくが読むにたる興味を抱くかどうかもわからないし.そう思っていたとき,書店で平積みになっている川上未映子によるインタビューをまとめた本『みみずくは黄昏に飛びたつ』を見かけた.早速購入し読んでみた.うほい,これも村上本だなぁと感心した.川上未映子は村上春樹の小説に出てきそうな感じがするよなぁ、美人は得だよなぁと思いつつも,村上春樹の創作方向についていろいろと話を聞き出してくれて,その機転にありがたく感謝した。.

村上春樹の作品については,内田樹の『村上春樹にご用心』が一番スッキリした解説だと僕は思っている。この本を読まなければ実は村上春樹を読み返すなんてことをしなかったかもしれないくらいだ.著者である内田樹は著者の意図についてを推定しているのだが,この川上未映子がしたインタビューの本は村上春樹本人が回答している.本人が語ればそれは真実に近いはずだ.本当か?といわれると必ずしもそうではないとは思うが,しかし推測よりは信用してもいいだろう.両者ともに小説のコアの部分は無意識に近いところから発掘しているという趣旨だったので,そこはお互い矛盾していない.そして確認できたことは「小説は設計しないで最初から規則正しく書いていく」という行為だ.小説を書く前に小説の設計図面があるわけではないのだ.村上春樹の小説はプロットがあってトリックがあって,というような「設計された話」ではないのだ.

本人も結末を知らないで,例えば「騎士団長ってなんなのか」も知らないで小説を書き始めらた.著者である村上春樹ですら「読者」の視点をもって小説に臨んでいるわけだ.書いている人が「この先どうなるんだろう(わくわく)」という感覚を感じながら書いている.こうなると「小説の書き方」なんてものがHOWTOになり得るわけがないだろうに,と納得する.「小説を書ける状況を整理し準備する」ことは可能だが,なぜそれで書けるようになるのかは実のところ誰もわからないことになる.本人もわからないのだから,他人が同じことをしても書けるかどうかはわからない.

そういえば坂本龍一が「メロディーづくりは,ただ降りてくるのを待つだけ」という話をしていたことを思い出した.アレンジなどは技術であり構成することが可能だが,メロディーはともかく「降りてくる」としか言いようがないのだと言っていた.久石譲は,作曲できるても出来なくても毎日決まった時間に起きて,走って,シャワーを浴びて,ピアノの前に座り曲作りをすると言っていた.もちろん大抵はなにも浮かばないので,数時間してだめならば仕事は終わり.もし浮かんだらそのままやると.そんなことが著作に書いてあった.結局想像物の創作の肝心のところは「本人もわからない」ってことなんだと思う.その得体の知れない発生原因とどうやって付き合っていくのかを皆さん研究し,実践しているわけだ.

村上春樹の小説は構成されたものではない.どうしてかわからないがそうなっている.そういう書き方をしている.ならば分析や比喩の解析をして,それで一体どんな意味があるんだろうかと疑問になる.ハルキストたちは村上春樹の深層心理の解析を試みているだけだろうに.素人が集まってあれこれいうのって,テレビ番組でやっている相性や占い,あるいは心理学みたいな「エンターテイメント」でしかないように思う.それはやっている人は面白いかもしれないが,作品と関係ない.そう思っている.

本人も結末をしらないで書いている小説なのだから,これは小説全体は「作者の夢」なんだと考えればいいだろう.何かを表現したいから書くではなく,作者も自分の深層心理,井戸の底,地下2階に降りていって「夢を見る」わけだ.だから伏線の回収なんかあるわけがないし,それでいいように思う.

ハルキストとおなじく,この本を「伏線が」とか「メタファーが」とか「どこどこが矛盾している」とかいう指摘をして,それでこの小説を評価しようとしている人いる.素人がするのならば,まぁ仕方ない.しかし,プロの書評家たちがそれをしている.店頭で川上未映子のインタビュー本のとなりに豊崎・大森の『村上春樹「騎士団長殺し」メッタ斬り!』もがあったので買って読んでみたが,これがなんだかピントハズレに思えた.なんですかこれ,売り物?という出来に感じた.どうして普通に読めないんだろうか.ハルキストは謎解きの答案作成,豊崎・大森はだめ出し,という感じなのだ.内田樹は村上ファンだが「楽しみたい」というファンであって「解析の対象」としてはしていない.つまり内田樹は「ここが楽しい」ってところをいろいろと教えてくれる.何を読めばいいのか,迷う理由がない.

『ノルウェーの森』を読んだのはもう30年くらい前なのかと気づいた.一度しか読んでいないが,読んだことは読んだ.ただ,その多くを忘れている.楽しい本ではなかったはずだが,また読み返してみるかなぁという気分がしている.小説自体は変わっていないが,ぼくが大きく変わった.それで小説の面白さが変わったとしたら,果たして本の属性値として良い悪いをつけられるものなんだろうか,と当たり前のようなことを思った.

晩年図鑑

2016-10-08 本のメモ

作品なり行動なりで有名になった立派な人やその逆の悪人たちの最後を週刊誌の記事のような語りでまとめた『人間晩年図鑑』2冊読んでしまった。

有名になるといいことも悪いこともあるのだろうなとは想像できるが、最後は結局どうだったのか、それは晩年で決まるような気がする。いや、幸せにずっと生きて最後だけ不幸だった人は「不幸」と言えるのかなのかと問われたたら答えられないのではあるが。

この本で取り上げた人が有名人という人たちのの縮図ということもないだろう。有名人も最後はあまり幸せそうにない状態で死ぬんだなとわかる。逆にひどい悪党でも長生きして老衰で死んだりしているし。

そういう事例をいくつ読んだところでなんの道徳指針も得られないが、特定の個人の最後なんて道徳や心がけでどうにかなるようなことはない、ということの片鱗はよく見えてくる。