2010年10月 3日

二十四の瞳

木下恵介
松竹ホームビデオ[DVD]
お勧め指数 □□□□□ (5)

こういう映画も日本映画にはあったんだ。

たしか反戦映画だったはずだ。
不幸な時代に生まれた子供だちを可哀相に思う先生の映画だろう。
そう想像していたが、予想とだいぶちがった。
もちろん、原作の意図はそのようだが、でき上がった映画をみていいるに、制作側の意図は別のところに置いたような気がした。

といっても、原作を読んでいなので、オリジナルで著者が表現したいことがなんなのか知らない。
それでも、映画と原作は、結論が同じだとしても、そこへ至る過程が大分違っているだろう。

この映画、ある種の水墨画だろう。
モノクロ映画だからそういっているのではない。
圧倒的な自然と、そこに息づく小さな存在でしかない人間がテーマになっているから。
風景のなかに、小さく人や家が映り込んでいる。
そのなかで、人にとっては大問題が進行し、人々は泣いたり困ったりしているが、ロングショットでみれば風景にはなんの変化もない。
そんな映画だった。

ぼくはこの夏毎週日曜日に成瀬巳喜男作品をDVDで一本ずつみた。
10本みたところで近所のツタヤには見るものがなくなってしまった。
なので次の目標に木下恵介作品を選んだ。
最初に見るのは高峰秀子主演の作品。
評判が高い『二十四の瞳』だろう。
12人の子供の眼差しを通した反戦映画。
子供が不幸な目にあって、それを見て泣く、という感じの映画だと想像していた。
レンタルしたDVDはデジタル・リマスターされてなく、ちょっと映像が歪んだり画面に筋が入ったりと、もうひとつの映像が多かった。
今アマゾンで発売されているのはデジタル・リマスター後のものだから、そっちの方が見れれば良かったのだが、まぁしかたない。

見ていて何度か涙がこぼれてしまうのは仕方ない。
ただ、それが目的で映画を見たいのではない。
それとは別に、成瀬作品とはかなり違うことに気づいた。
この映画は何か違う。
ストーリーを追うようにはできてない。
人を惹きつける方法にストーリー(事の顛末)を使っていない。
むしろ風景画なんじゃないかと思った。

小豆島の風景が映る。
そこで生活する人は、数十年で別人になってしまう。
生まれるし、成長するし、引っ越すし、死んじゃうから。
それでも小豆島の風景は変わらない。
戦争の陰が近寄ってくると、人の視点からの風景は変わってくる。
生きている当事者であれば、いろいろと困ったことの巻き込まれるのは仕方がない。
が、それが風景の一つに見えてくる。

物語の視点は大石先生のものあり、大石先生は子どもたちが災難に見舞われながら生きてく姿を追うことになる。
ある種の無力感を感じながら。
一方映像としては、人の視点ではなく、ロングショットで全景をとり、小さく人を配置するものが多数挿入されている。
神の視点とでもいうのだろうか。
音がないままただ映像が流れているときもある。
それが時間の流れ、悠久さを感じさせる。
見てると、不思議と気分が和んでいる。
小豆島の風景には、心理的に何かを癒す効果もあるかもしれない。

ぼくはこれまであまり映画を見てこなかったので、映画についてあれこれ評論なことを考えたことがない。
内容はおろか、技術的なことも見分けがつかない。
それでも成瀬作品を10本見た後でこの映画をみたので、木下恵介監督の考える映画が成瀬監督と大分違っていることぐらいはわかる。
木下恵介という人はベタな意味での芸術作品を作ろうとしているように思えた。
自然(たぶん、時間だとか運命のような逆らえないもの)のなかで流されるだけの小さな人間の存在とその苦悩を見せてはいるが、主題はそっちにないんじゃないかと感じてしまう。
水墨画という表現がぼくにはピンとくる。

では、この仮説をもって木下作品を見ていくことにする。
当然外れるだろう。
けれど、何本もみれば、何か掴めるような気がしている。

 

2010年9月26日

娘・妻・母

成瀬巳喜男
東宝ビデオ[DVD]
お勧め指数 □□□□■ (4)

あれ、カラー映画になっている。
カラーだと古い映画の感じが弱まるので、ちょっと気分がのらない。
しかしレンタルできる成瀬作品DVDがもう残っていない。
仕方がない。

内容はホームドラマだった。
いわゆる嫁・姑問題。
それだけでなく核家族化がどのように進行していったのかについて。
戦後の高度経済成長期に指しかかる自分の、都心での暮らし方が変わりはじめた頃のスケッチのような映画といえばいいだろう。
良く言えば社会問題を分かりやすいようにまな板に載せたもの。
悪くいえば渡る世間のようなホームドラマ。

当時の人ならば、家も似たような問題を抱えているという人も結構いただろう。
真剣に考えない問題だったのだろうが、どこにもあるどうにもならない問題といえなくもない。
すでに核家族化が完了した現代から見れば、ふーん、と言えなくもない。
当時の人はこれを見て、考え込んでいたのだろうか。

 

2010年9月19日

めし

成瀬巳喜男
東宝ビデオ
お勧め指数 □□□□□ (5)

タイトルどおり、ご飯を食べようとするシーンが多い。
ちゃぶ台でご飯を食べる習慣、ぼくも昨年までそうしていた。
食卓テーブルもあるが、ちゃぶ台のほうが落ち着く。
だからずっと愛用していた。
原節子がてきぱきと整える食卓には、用途がなんだかわからない家具がある。
冷蔵庫ではない。
一体なんだろうか、あれは。
そんなことを観察しながらも、かなり見入った。

原節子の役は、幸薄い美人奥さん。
戦後直後の世界だから、旦那さんの態度がどういうものが一般的だったのかわからない。
画面から伝わる雰囲気は、現代(といってもぼくの世代くらいまでだが)と変わらない。
家父長制なんかない。
男尊女卑でもない。
そんなに違わないのかもしない、実際のところは。
そういう意味では現代劇と思ってみても違和感はない。
ならば原節子さんが現代劇に登場しても、いかなる問題もないだろう。
戦後って、30年代以降はそんなに変わっていないのかもしれない。
劇中、原節子がインクとペンで手紙を書くシーンがある。
携帯やノートPCの画面をのぞき込む原節子さんを想像することはたやすい(高峰秀子さんの方はちょっと難しい。何故だろうか)。

原作が林芙美子なので、まぁ暗い雰囲気が全編に漂っている。
見ている人は原節子の心情の側にたつだろう。
なにか「面白くない」ものが胸に詰まった奥さんの役、上手に演じている。
実際そういう生活をしているような気分になる。

映画には当時の日本人に向けたメッセージがある。
ちょっとベタな感じもするが、昔はこれで良かったのだろう。

劇中に小林珪樹が登場する。
まじめに働く人で、原節子を間接的にしかる役目でもある。
劇中に登場する人の中でもっとも常識人。
こういう役、似合うなぁ。
寅さん映画でのひろしの役割だ。

そういえば、先週見た映画は小林珪樹が主役だった。
そう思ってWikiを覗いたところ、ビックリした。
9月16日に亡くなったそうでだ。
3日前か。
ニュースには昨日でたようで、何かの因縁を感じる。
先週小林さんの主演映画を見て、今週も見た。
なにか不思議な縁があったようだ。

ツタヤに置いてある白黒の成瀬作品はもうない。
残る2本はカラーである。
成瀬作品の後は誰を攻めるか。
木下か溝口か小津か。
今年一杯つづければ、それなりの日本映画好きになってしまいそうである。

2010年9月12日

女の中にいる他人

成瀬巳喜男
東宝ビデオ[DVD]
お勧め指数 □□□□■ (4)

近所のツタヤで毎週成瀬巳喜男作品を借りている。
どうやらぼくの外に同じように定期的に全部見たおそうとしている人がいるらしく、次に見たいものが借り出し中になっているときが多い。
なんだか仲間意識をもってしまう。
おお、この人は浮雲まで行ったか、とか。
これを借りたときも高峰秀子作品が見当たらず、これはサスペンスだということで気が乗らなかったが借りてみた。

もうひとつだった。
舞台になる時代が「大分こっちがわ」に寄ってきた感があり、こんな風景ならば見た事があるよ、といいたい感じがした。
街の風景や部屋の感じに大分見覚えがある感がでてきた。
なので、昔の映画を観ている気がもうひとつしない。

それと、サスペンスというのもいただけない。
推理小説やミステリーをそれなりに見ているので、その手の技巧はいろいろ頭に入ってしまっている。
トリック的なものは積み重ねで進化していくから、現代人ほどいろいろ知っているようである。
だから、「全部読めちゃう」という問題がある。
伏線を貼っているところがバレバレ感があって、ストーリーはもうひとつだった。

ただし、この映画にはずばぬけていいところがある。
画面の作り方だ。
白黒ならではの光と陰、人の表情。
「この映像はアートだな」というシーンがいくつもあった。
手前の人の顔を陰にし、奥の女性の顔に光をあてるとか。
顔の輪郭をシルエットでだすとか。
そういう画面の作り方に感心してしまうし、見てて飽きない感がある。

能面のようなキレイさと怖さをたたえた表情をする新珠三千代に魅かれる。
高峰秀子好きのぼくからすると大分違う感じなのだが、それでもキレイな人だ。
でも、男性の方がよくわからない。
なんで主役が小林桂樹なのか。
せっかくだからカッコいい人のほうがいいのに。
役者としては一流だし、まじめな人柄であることを一見してわからせる必要があるからというキャスティングなのか。
新珠三千代とは釣り合いが悪いと思うが・・・(失礼だけど)。

この作品は昭和四十一年だそうだ。
なるほど、日本映画は下降しているなとわかった。
これまでみてきた作品よりも明らかによくない。
劇中にもテレビドラマがでていたけど、映画そのものが落ち目に入ったことがよくわかった。
知識ではなく、体感できた。
『乱れる』が作られたのはこの二年前でしかないのに、どうしてなんだろう。
一体何があったのだろう。
どうして、日本映画が下ってきたのだろう。

まだ数本しか見ていないのに、日本映画の盛衰を感じてしまった。
ぼくは30年代一杯までの映画が好きなんだとわかった。

まだ借りられる成瀬映画はあるから、そのあたりを考えながら見ていくと面白いかもしれない。
 

2010年9月 5日

乱れる

成瀬巳喜男
東宝ビデオ[DVD]
お勧め指数 □□□□□ (5)

加山雄三が出演している。
どんな演技なんだろう。
少し抵抗を憶えながらも高峰秀子作品なので見るよりない。
なので見てみた。
そして最後で感動した。
座っていたソファーからひっくり返ってしまった。
ラストシーンの高峰峰子さんの表情、一生忘れられないかもしれない。
完全に高峰秀子のファンになってしまった。

タイトルの「乱れる」の意味がわからなかった。
なにが乱れるのか。
ストーリーは地方都市の商店街にある酒屋の未亡人の話。
戦争で夫を亡くし、必然的に店の切り盛りを一人でやってきた。
そんな商店街でも時流にのった驚異が出現する。
スーパーマーケットである。
現代でもシャッター商店街という言葉があり、大型スーパーによって寂れ行く街という話は日々のニュースで紹介されている。
この40年わかっていないのかもいれない。
逆に言えば、40年かけてスーパーが完全制覇をなしとげつつあるのかもしれない。

成瀬巳喜男の作品は世界的にはあまり知られていないと本で読んだ。
アマゾンで、OzuやMizoguchiという名前は見ても、Naruseはあまり見かけない。
扱うストーリーに世界性がないことが理由なのだろう。
そう思っていた。
しかし違うようだ。
この「乱れる」のストーリーは世界があるはずだからだ。
ではどこに世界性がないのだろうか。
ぼやぼやと考えながら見た。

数作品しか成瀬巳喜男の映画を観ていないが、そのなかでもこの映画の展開を気に入っている。
どうしてなのか。
言葉では説明できない気分である。

ぼやぼやと考えてみる。
なるほど、そこに世界性がないということの理由があるのかもしれない。