うぐぐっ、墨東病院日記(3)

IMG_0881.jpg手術がおわったからといってすぐに帰れるわけではない。
むしろその後のほうが苦しい。
僕はそれほどでもなかったが、全身麻酔をかけての手術をしていた隣の人は結構たいへんみたいだった。
ぼくの苦しさは、静脈に挿入されている点滴のくだだった。
柔らかい素材できているとはいえ、針が結果にズボッと入っている状態がずっと続くのは、息苦しい。

天井を向いて時間をすぐすよりない。
体調が悪くなっくとも、音楽を聞いたり本を読んだりということをする気力がでてこない。
寝れるといいのだけど、体調が悪いわけではないので、寝れるわけではない。
退屈なんだ。

毎朝検診で先生がやってくる。
傷口を観察して、これなら明日退院だなと言ってくれた。
ほんと3泊しかしてないけど、これはこれで辛い。
その中、看護婦さんってありがたいなぁと実感した。
弱っている時に気を配ってくれる人は、ほんとありがたい。
医療にお金がかかるのは仕方ないけど、お金がないならないなりの対処方法で気を配ってくれればそれでいいような気がしたな。

2012.09.22

うぐぐっ、墨東病院日記(2)

手術は朝から順番に実施される。
幾つか手術室があるのだろう。
長くて大変な手術から開始され、簡単ですぐに済みそうなものはあとになる。
ぼくは5番目、最後だということだ。

隣のベッドで全身麻酔をかけての手術が行われる人がステッチャーで運ばれていった。
物々しい雰囲気がする。
今は9時で、ぼくの順番は昼の2時頃だそうだ。
特に何をするわけでもない。
ただ、待つのみである。

特段緊張することはない。
いつもどおりに過ごすだけなのだが、時間が立つに連れて緊張感は高まってくる。
国際会議で発表の順番が近づいてくるような、そんな気分がする。

病室には本とiPodを持ち込んでいる。
何をするつもりもないのだが、だからこそラクな本を音楽を聞きながら読むつもりだった。

IMG_0883.jpg

昨夜も読んでいたが、この本のできはよろしくない。
どうして面白いのか? に答えてない。
あぁ、どうしてこんな本を買ってしまったのか、と思っていたら帯に内田樹さんが推薦していたから。

そうこうしているうちに僕の順番がやってきた。
極めて健康なのだが、車椅子に乗せられる。
専用のエレベータに乗り、手術室へ運ばれる。
なんだか怖い気分である。
クリーンルームというほどにはクリーン度は高くないが、病原菌という観点はかなり高いのだろう。
前室を経由して、商品のように「ぼく」が受け渡さていく。
そのたびぎとの腕のバーコードを読み取られ、本人確認をさせられる。
ホント、患者の取り違えを怖がっている。

脳天にある部分にメスをあてる。
ベッドにうつ伏せにされ、頭が動かないようにガムテープのようなもので固定される。
綿の布が多用されるので、独特に匂いがそこいらじゅうに漂っている。

手術のコアの部分は10分くらいで終わったようだ。
皮膚に穴を開け、幹部を押さえつけ、粉瘤というものを押し出していた。
局部麻酔なので執刀医たちの会話は丸聞こえ。

「もうちょっと、うん、押して、うん、あぁ、取れるか? 手でとる? もっと押して」

などと言っている。

「あぁ、取れるか、うーーんん、やったー、ギャハハ(笑)」

こちらとしては楽しくやってくれているのだから、きっと大丈夫なのだろう、と思うよりない。
このときまでの過程で痛みはなかったのだが、止血時のレーザーのようなものがきつかった。
血が止まらないから焼くことで止血しているようなのだが、そのときのレーザーが頭の中心まで痛みを感じるのだ。
ホント、泣きそうなくらい痛かった。

とはいえ、数分で止血も終了し、めでたく手術は終わった。
粉瘤は「つるっと」とれたそうだ。
ホルマリン漬けにして、見せてくれた(いや、見たくないけど)。

それなりに疲れた。
看護婦さんが迎えに来てくれて、病室のベッドまで連れて行ってくれた。
さすがにそれからあとは「病人」である。
寝るよりないだろう。

手術ってのは、このような状況下でも大変だ。
何かの災害のときに手術を受けるなってのは、やる方もやられる方もとても大変。
ぼくは改めて、医療については「大目に見る」ことが大切だと感じた。
少々問題があっても、本当に医療を受ける人には優しくしてあげたほうがいい。

2012.09.21

うぐぐっ、墨東病院日記(1)

昨年あたりからつむじのあたりにあるでっぱりが気になり始めていた。
蚊に刺された後のようなでっぱりは数年前からあったように思うが、去年くらいはら「でかくなっているぞ」と認めざるを得なくなっていた。
触ってわかる。
それ以上に、なにかあるとわかる。

つむじにあるので実物を自分では見れない。
奥さんに見てもらったところ「おおきいよ」と、ちょっと怯えた顔をしてた。
これって、どの病院へ行こうかと思っていたら、奥さんがネットで調べたらしく、「皮膚科」へ行けと。
しかも、「粉瘤」ってやつだとも教えてくれた。
近所の皮膚科に行ったら、
「こりゃ粉瘤だ。でかいなぁ。炎症してないから取るなら今ですよ。手術ができる病院へ紹介状書きましょう」
と速攻で診断された。
奥さんは医者なみの判断したわけだ。

紹介状をもらって電話で予約し墨東病院へ行った。
幸せなことに、これまでの人生では大病院には無縁だったので、墨東病院にはいやはや驚いた。
でかいビル、吹き抜けの会計、それぞれの診療科へまではエスカレーターに乗って移動。
なんだよ、ここでかい銀行?
本当に病院なのかよ。
カルチャーショックを受けた。

診断してくれたのは野老先生というお名前だった。
患部を見て触って、エコーして、MRIかけてといろいろやった後に手術ということになった。
「袋はきれいに残っているので、たぶんつるっっととれるよ」と。
そうかぁ、入院かぁ。
と思ってひるんだが、早くやってしまおうと手術を申し込んだ。

今日、入院となった。
手術日は金曜日と決まっているらしい。
前日の午前十時までに入院する必要があるそうだ。
なんで前日の朝なんだろう、気が早いよ。
そう思うのだが、病院側でもいろいろ準備があるんだろう。

3日分の着替えと本とiPodをもって入院病棟に入り、あてがわれた病室のベッドに座った。
4人部屋だった。
2人はおじさんで、1人はぼくと同じ日に入院した20代の若者。
いや、この若者からみると、3人のおじさんだろう。

相部屋の病室の雰囲気ってどんなもんかと思ったが、挨拶程度で静かなものだった。
面会に来ている人が世間話をしている程度なので、空いている電車の中のような雰囲気。
ここは皆さん外科治療の階なのだろう、命に関わるような重大な手術をする人がいるわけでもなさそう。
ある種の悲観や絶望のようなものはどこにも漂っていない。

病院側が一番恐れているのは、どうやら患者の取り違えのようだ。
確かにニュースでたまに見かけることがある。
これから手術までなんども「本人確認」が行われる。
その一番最初に行われるのは患者の「タグ付け」である。

IMG_0882.jpg

退院するまでこのタグが外れることはないのだが、ここまで徹底しているとそれはそれで変化気分になる。

2012.09.20

夏の雲ももうそろそろ見納めの時期

雲がダイナミックで、水面もうねっている。
夏だなぁ、という光景。

IMG_0851.jpg

2012.09.15

てけてけトリノ日記(5)

ローマから東京への直行便で変える。
アリタリアを使う知り合いと同じ日に帰るので同じ便かと思ったが、以外にも違う。
なんと2便あるようだ。
JALがローマ便から撤退していたので、イタリア便が2便も構成できるほどに乗客数が期待できると思わなかったので、早とちりしたわけである。
なんだかんだ言ってまだ人気がある、ということなのだろうか。

IMG_2409.jpgローマ空港でのCMビルボード。さすが、できがいい、ホントに。どこでもそうなのだが、トランジットする場所は結構めんどうである。
ひどいところだと場所がない。
隅の一角に無理やり押し込められる。
ひどいところだと座る座席が足りなく、立っている必要すらある。

トリノの空港は当然だが特段楽しい場所ではない。
何かが時間を潰すには本が一番で、とこでも読めるから特段問題はない。
それで楽しいのだけど、せっかく外国で過ごす時間なのだから、少しでも日本とは違うものを見ておいた方がいいという気もする。

2012.09.08

てけてけトリノ日記(4)

午後は自由時間となる。
インターネットでユーロスターを調べてみると、トリノーミラノ間は1時間のものがある。
なんだ、そんなに近いのか?
意気揚々と駅に向かい、ミラノを散策することにした。

IMG_2366.jpg窓口で買うの時間がかかるので、自販機。英語メニューとカードがあれば、何とかなる。切符をかうのはとても大変なことはわかっている。
大変といっても、旅行を計画するわけではない。
単なる往復きっぷを買うだけなのだから、パラメータは少ない。
日付、時間、電車のクラスを告げればよい。
場合によっては通路か窓かの選択はできるが、窓口で買う場合にはお任せする。
そもそも1時間しか乗らないので、どの席でも大して違わないし、一人だし。

というか、この用途にはネットで買ってしまうほうがよい。
普通に買える(前日までだったかな?)。
その場合は「PNRというチケット予約・購入番号」のようなものが発行され、通知される。
WEB画面でハードコピーを取るもよし、メールで送られてきたものを確認するもよし、要するに車内で検札に来た時に、自分の番号を通知すればよい。
ユーロスターのような新し目の電車ならば、紙は必要ない。
自分で書いたメモ書きでもよいし、携帯電話の画面を見ながら番号を「読み上げる」のでもよい。

完全なチケットレス、というのはどうにも心配になる。
日本の新幹線は「そうなっていない」から。
あまりに不安なので、少し前もって駅へ行き、自動発券機のようなところで「Collect tickets」のようなメニューから「発券」ができるか試してみた。
PNR番号を入力したところ、「プリントアウトの必要はありません」と表示された。
なんだ、やっぱり紙は要らないのか。

ヨーロッパので電車移動ではできる限り1等車を取る。
一等車といっても金持ちがひしめいているわけではない。
余裕をもった座席、ということで飛行機のビジネスクラスのような位置づけだが、エコノミーとビジネスのような値段の違いはない。
距離によっても違うが、数千円余計に払うだけで、多様な不安から開放される。
荷物はどうしようか、というような問題はない(ちゃんとした置き場所がある)。

IMG_2164.jpgネットで購入した切符の番号を記入したメモを車掌さんに渡した。ドキドキだが、問題無く通過。よかった。で、実際検札にきた人にPNR番号を自分でメモしたものを渡したところ、車掌さんは携帯電話のようなものにその番号を打ち込みはじめた。
それで、OKということになった。
隣のビジネスマンは、ブラックベリーを取り出し、なにやら番号を位置文字ずつ読み上げた。
それを車掌さんは聞き取り、装置に入力し、確認をとってOKとなっていた。

なんだよ、新幹線よりもずっと便利じゃないかよ。
電車については日本が一番進んでいると思っていた。
実際のところどうなのかは分からないが、ネットで購入、番号読み上げですむというこのシステムは、旅行者にとってとても良い。
プリンターがないからね。
日本の電車は駅構内に入るときに「入場券」が必要になるが、ヨーロッパは要らない。
完全なチケットレスが可能なのはその違いからくる。
だから、日本では残念ながら「ヨーロッパのような」進化の方向性はない。

別に日本で生活する分にはこのガラパゴス化は特段悪いということはない。
ただ、これを世界に広げることはやめておいたほうが良い。
つまり、ビジネスとしては全面展開するようなことを気にしないで、単に日本で楽しくやっていくことを目標とするのならば、それでいいじゃないか。
そんなことをぼやぼやと考えていた。

IMG_2166.jpgハイウェーの車をビュンビュン抜かす、ただごとでは内スピード感。新幹線より揺れないので、また驚き。車窓を眺めていたら、並走するハイウェー?の車がビュンビュン抜かれてゆく。
なんか速いなぁと思っていたら、速度が250Km、270Kmとどんどん上昇し、やがて300Km/hまで行った。
(車内に情報表示用のLCDモニタが設置され、それに現在のスピードは位置などが表示されている)

なるほど、時速300kmまで出せるのならば、トリノミラノが1時間であってもおかしくない。
実際は300kmないはずだから。
乗った電車はナポリまでゆくようで、停車駅はミラノ、フィレンツェ、ローマ、ミラノとなっていた。
フィレツェまでは8時発の電車で11時につくらしい。
なんだよ、朝早い電車と夜遅い電車をチョイスすれば、日帰りだって夢じゃない。
まぁ、トリノからゆく必要はないけど。
でも、ミラノーフィレンツェ間は2時間ということだから、ミラノ・フィレンツェ・ローマ(あるいはどこかにヴェネツィアを加えてもいい)は無理なく周遊できるってことだろう。
逆に言えば、今度からどこかで学会があったときは、この移動を考慮してイタリアの国内便はつかないという予定を立ててもいいかもしれない。

ミラノについて

IMG_2172.jpgミラノの駅のアナウンスは響く。「惑星メーテル」に来たみたいだ。ミラノ中央駅は凄まじく天井が高い。
20番線くらいまで列をなして電車が入ってくる形式の構内。
石造りの建物の巨大な空間にアナウンスが響く。
やっぱり中央駅って、こうあるべきだよ。
この段階でミラノに納得してしまった。

旧市内の城壁の中を目指す。
そのくらいならば歩いてもなんとかなる距離だろう。
地図なしで「ドゥオーモ」を目指した。
まぁ、中心やろ。
iPhoneのマップがあるので、慌てず騒がず歩き出す。
トリノと比べるとビックスするほど「都会」である。
そして、旧市内の道はぐちゃぐちゃである(歴史的理由だろう)。
基本石畳で、ところどころアスファルト、市電もガンガン走っている、いわんや車やバイクおや。
ミラノは北の街だから、正直もうちょっと「近代的」なのかと思っていた。
が実際は、ローマっぽい。
これなら東京の方がいっかな(建物は抜きにして、だけど)。

IMG_2194.jpgぐわぁっというドゥオーモ。写真でよく見たが、本物のは作りがいいので見てて飽きない。30分くらい歩いて、まだかなぁと思いiPhoneで地図を確認しようとしたら、奥さんからメールがとどく。
なんでも、iPhoneアプリの「ともだちを探す」を使って、ぼくの現在の場所を東京の自宅の食卓テーブルでモニタしているそうだ。
へぇ、すごいなぁと思っていたが、iPhoneのバッテリーが80%近くになっていて驚いた。
通信状況が悪いのかなぁと疑問に思いつつ、ドゥオーモまで先を急いだ。
いやぁ、道は歩きにくいし、バイクや車や路面電車は攻めてくるし、と難儀してたら「ガレリア」に到着。
天井がすっごい高いガラスと鉄骨のアーケードだ。
おぉ、と思ってそこを抜けたら「ドゥオーモ」に到着。
「おおお、これかあぁ」
と感慨に浸っていたら、奥さんから「おー、ドゥオーモについたね!」とメールが。
どうやらずっと監視しているようである。
あ、それで電池のヘリが速いんだ。

観光地について

ミラノ中心部は古い町並みというか道路計画のまま、それぞれの時代のツールを導入し蓄積し、混乱しているよい例になっている。
道は細い、入り組んでいる、路面電車がたくさん、バスもたくさんある。
このインフラに加え自転車を優先させている。
とわいえ、バイクと車がガンガン走る。
市内中心であることににくわえ数多の観光客、そしてそれを運ぶバス。
あまりきちんと整備されていない石畳や街路樹の根の影響で波打っている舗装道路はかなり厳しい。
喧騒と騒乱の中心部です。

僕としては、須賀敦子さんの描くミラノを見に来たのですが、まぁ、そんなものは影も形もない。
まぁ、そうだろうなぁと諦めました。
それにしても、ドゥオーモの側面には、工事のためのシートだからでしょうけど、でかい広告やビジョンが映しだされ、真面目に祈ろうとする人だってたくさんいるんだろうに、カトリックは大丈夫なのかと心配になります。
アンブロシウスは泣いているのか、それても時代の流れに乗じる人だから、もっとやれと思っているのか。

IMG_2210.jpgコルシア書店の面影は「ない」と思う。あの本の世界は地上から消えているんだなぁ。ドゥオーモの次は「コルシア・デイ・セルヴィ書店」があった教会を見に行きます。
これさえ果たせばミラノにきたかいがありますし。
ドゥオーモから続く道の両側は商業ビルが並び、休日の歩行者天国の繁華街となっていました。
大道芸が何組ももでて、刹那主義を煽る商品が左右上下から歩く人を襲います。
びっくりしながら歩くうちに、サン・カルロ教会に到着、目指す書店もありました。
それにしても、教会の前なのに、資本主義経済のまっただ中、買え買え攻撃で疲弊した人は、どこで癒されるのかと心配ですね。

よくわかったのは、須賀敦子さんが描いた世界(人も街も)は地上にない、ということでしょう。
来なけりゃよかったかな、とちょっと思いました。


ローマとミラノの違いは本質的にない。
だから、「ローマで勉強なんてできるのか」ということを言われた時代を想像するのは僕には無理です。

商業というか、「儲けいようとする」人の凄さ、すごいなぁ。
「儲けよう」というマインドが世界を食いつくしますね、そのうち。

2012.09.07

てけてけトリノ日記(3)

学会も最終日となるので、参加者はだいぶ減っているはず。

IMG_2127.jpg超早口の発表だったけど、聞き取れたので驚いた。まぁ、いつも論文を読ませて勉強させてもらってます>発表者様セッション数は少なくなるが、それらの内容は本筋から離れたものになっていくはずで、セッションタイトルもざっくりしたものになるのがそれを裏付けている。
だから最終日に割り当てられると、アクセプトされたとはいえもう一つだったという評価になっているといえるだろう。
通常の学会は、最終日のセッションにうまく収まらないものはポスターに回す。
ポスターセッションは初日に時間を取ってくれるのだが、その後はとくに何もないので、ポスターがはられたままになるという悲しい寂れた光景が会場の隅に見られる。
多くは学生のものなので、「ベストポスター賞」のようなものを設け、ポスターの人への配慮をするのだが、どういうわけか今回はそのようなものはなかった。
それを見た人は、次からは来ない。
参加者は減り続けることになると予想される。

朝、宿から会場までの道を歩く。
この風景に慣れた。
もう一つ活気がない、というかワクワク感を感じない。
ポルティコの高い天井部分と重厚な石積みで飾られた建物のが並ぶ道を歩くので、ここはイタリアだよなぁ、ということは十分かじられるのだが、それで終わっている。

気温だけど思ったほど暑くない。
日当たりの部分はさすがに暑いけど、日陰になると特段問題はない。
だから建物では冷房を使っていないと思う。
スリーシーズン用のスーツを着て歩いたときも、とくだん不便を感じなかった。
だから真夏とはいえ、日本の秋程度、気温について気づくことがない時期と同等ということだ。
ローマやナポリへ行けばそれなりに暑いだろうけど、トリノは北イタリアなのだと体感できたわけだ。

夕飯を特段食べなくとも問題はない。
というのは朝ごはんも昼ごはんもそれなりにありつけるから。
宿の朝ごはんはコンチネンタルだと思っていたが、温かい卵料理もあったので満足できる(イギリスほどの充実感はないけど)。
昼は学会会場で簡単な食事が出される。
立食形式で、大皿に盛られた数種類のものから一人ずつ更に持ってもらえる。
量は気にならないくらい。
ただ、イタリアの学会ではかならずワインが出るので、気をつけないと午後のセッションで気を失うことになる。
昨日の昼、午前のセッションで発表を終えた人ががぶがぶワインを飲んでいた。
グラスで78杯は飲んでいたので、「大丈夫ですか?」と聞いたら、「もう役目は終わったので午後は宿で寝ます」と言っていた。
英語の発表は心理的な構えを要求するので、終わったことの開放感を確認したくなるのだろう。

IMG_2131.jpg会場近くの広場でカフェだろうよ、ホントに。気持ちいいなぁ。とりあえず無事に学会が終了したので、知り合いが何人か集まって夕飯を食べに行く事にした。
が、夕飯は遅い時間にならないと回転する店が少ないので、集合場所を決めて各自散策することにした。
ぼくは、以前お世話になったおじさんと一緒に教会前の広場(といっても、イタリアなので何個もある)のカフェで無為に過ごすことにした。
そのおじさんは「ティラミス」が食べたいと言ってきたので、ティラミスとカフェを注文し、ぼんやりと広場を眺めることにした。
「なんで、この時間にこんなに人が集まっているのですかねぇ」
そう問われたので、
「そういえばそうですね。ローマなどの大観光地では広場でたむろっているの
は観光客なんですけど、トリノは違いますね。犬の散歩とか学生さんとかです
ね」
と答える。
まぁでも、こうやってブラブラして一休みするスポットがあるのはなんとも幸せな人たちだなぁと、東京の街を想定すると羨ましく思う。
この部分だけでも移植できないものかな。

東京に広場を移植したとしても、たちまちよくわからない輩に占領され、その後その輩を追い出すために役所が大量の禁止事項を発令し、相互監視の住民のようなものが大手をふるい、結果的に「楽しくない」場所になってしまうだろう歴史が頭に浮かんだ。
多分無理だ。
だから実際ないんだろうな、と一人納得した。

あすはテクニカルツアーが予定されているが、午前中には開放されるので、反日観光ができる。
トリノからミラノまでは一番早い急行で1時間なので、速攻Porta Nova駅からミラノへ向かい、ぜひとも「コルシア・デイ・セルヴィ書店」跡のLibreria San Carloへ行ってみようと思っている。
サンタマリアグラツィエ教会へは奥さんとミラノを訪れるときにとっておくことにする。

2012.09.06

てけてけトリノ日記(2)

二日目ともなると、少しずつ時差が解消され、食事などをしているうちに普通に過ごせるようになる。
今回も体調という面から言えば、順応した。
が、心理的な意味からすると、しっくりこないでいる。
なんだか楽しくない。
なぜなんだろう。

まぁ、旅行にきているわけではないから、楽しくなくても問題は無い。
それに、自分の発表前ならば、緊張というものがあるのは当然で、でリラックスした状態にはなれないのは仕方がない。
それはそうだろう。
とはいえ、ぼくの発表は昨日あっさりと終了している。
内容も英語も出来が悪かったのは、まぁ、自らの不徳のいたすところ。
仕方ない、事前からわかっていたことだが。
だから、発表そのものは滞り無く終了したのであとに引くものは何もない。
気がする、のではなく、実際にない。
ひょっとしたら、気分が晴れないのは、例えば「食事に要因があった」ということか。

今日の会議はもう一つだった。
メインテーマとなるものが比較的狭いので、2日目の段階で見たい発表も底をつく。
一応最後のセッションまでまで見るつもりだったのだが、見なかった。
最後のセッションはどういうわけか開始予定時刻の30分を過ぎても二人のチェアーが会場に来なく、発表者も聴講者も「ぼー」としている状態だった。
そんなの初めてだよ。
正直ほとんど関心がないテーマのセッションだったのが、まぁ「ひとごと」として受け止め、会場のすぐ外の休憩スペースでiPhoneでメールを眺めながらスタートを待った。
だけど、予定1時間遅れになっても開始しなかった。
スタッフ側の大チョンボだなぁと思いつつ、会場をあとにした。

午後5時をまわってもトリノの街は明るく、人通りもそれなりにある。
とりあえず市内の中心の方へと歩いた。
ブランド店などが並ぶ道をブラブラしたれど、それほど興味を引くようなものがない。
どうしてなんだろうか。

IMG_2103.jpg古本のワゴン販売、おおって惹かれる。教科書?ってわけじゃないけどなぁ。トリノについて、地球の歩き方にはほとんど記載がない。
イタリアの観光地としてはあまり認識されていないわけだ。
考えてみれば、ぼくもトリノについては知らない、塩野作品の舞台にはなっていない。
冬季オリンピック会場になったよなぁ、ということくらいしか知らないし。
地図を眺めると、それなりにMuseoはあし、大きな教会もある。
が、おそらくそこには「これが」という芸術作品を所蔵していないのだろう。
イタリアの都市が観光地となるかならないかは、実は美術品の無味が決めている。
なんてことがあるのかもしれない。
とくに日本人に対しては。
いや、美術品ならばここにもたくさんあるので、「ダビンチなどの有名人の作品の有無が」というべきだろうか。
住には良い街のような気がするけど。

2012.09.05

てけてけトリノ日記(1)

駅前の宿に陣取った。
だからとくに意識しなくとも街の雰囲気はわかる。
窓の外にある風景をぼやっと眺めるだけでつかめるから。

重そうな石を積み上げて作られたファサードの建物。
背の高い窓が規則正しく並ぶ街並み。
そして歩道はポルティコとなっており、何百メートルも続き、商店のウインドウが続き、ところどころにカフェがテーブルを置いている。

視界が開けた場所は公園。
高い建物はあまりので、高台のようなところらでも同じ色合いの屋根がひしめく色合いに見とれる。
うん、こりゃ、ヨーロッパだわ。

IMG_2082.jpg天井高くて広々のポルティコ例によってヨーロッパでは超早起きになる。
だから明け方には目が冴えてしまう。
起き抜けに風呂にはいると水の音が大きく響くので隣の部屋の人にうるさいかな、と心配になる。
なのでヨーロッパの宿では7時ぐらいまではぼやっと過ごしている。
窓から外を眺めたり、テレビを無音して眺めてみたり。

当然、外は静か。
明け方は車もあまり通らない。
たまに路上を清掃する車が通過する音が窓の下を通過するだけだ。

ヨーロッパに泊まるときは宿の選定に注意している。
大きなホテルはダメ。
近代的なチェーン店も避ける。
そして絶対に旧市内の中心にする。
三つ星かそれ以下のプチホテルだと部屋の中で夜明けを待つだけでも、ヨーロッパというかイタリア感が体に染み込んできて、さぁ今日はどこへ行こうか、という気分になる。


この感覚は、これまで宿泊したイタリアのすべてのホテルで味わったことがある。
フランスでもハンガリーでもそういう気分を味わえた。
そんなに多くない海外出張・旅行の経験を振り返っても、宿の選択で失敗したことはあまりない。
ホント、インターネットの時代に感謝している。
でなきゃ、予約なんて取れなかったよ。

最初に自分で宿を予約したのはフレンツェだった。
そのときからインターネットでメールで予約することを始めた。
あの自分はファックスも同時に使ったりした。
心配だから両方から確認のメールを送信したこともある。
とくに、ネットが不慣れな頃は常にそうしていた。
今ならば、電話で予約することもできるだろうけど、インターネットがあるのならばそれを使う方を選択する。
旅行会社経由だったら、今こうして過ごしている風情を味わうことはできないだろう。

IMG_2089.jpg中庭の魅惑数日滞在するが、そのすべての時間を自由に使えるわけではない。
というか、ほとんど使えない。
夕方には仕事から開放されるので、それが終わり次第自由に街を散策する。
日暮れの時間が日本に比べて少し遅いので、夕方からでもそれなりの時間はある。
それに食事をする店は7時を過ぎないと開店しないので、それまでの間は街をぶらぶらするよりないし。

ぼんやりとしながら街を歩いていると、風景以外のことが頭に浮かんでくることがある。
たいていは、うまく行かなかったことや不愉快な思いをしたことだけど。
あまりうれしくない場面が繰り返し浮かび、思い出し怒りになる。
その場面を思い出しながら、事実関係の確認をするようなことに囚われてしまうこともある。
といっても、そういうのはたった数秒間のことなんだけど。
それでも、気分は濁る。

そんな状態でも、夕暮れからトワイライトの数分間は何も考えられない。
綺麗な風景ではなくとも綺麗にする時間だが、綺麗な場所にいたら、それは文字通り、えも言えない風景が目の前に現れるから。
重厚な建物の巨大な石の凹凸やポルティコのアーチ・ボールトの天井の漆喰の不均一さ、飾りとして存在するギリシャ式の柱などに太陽と空気がつくる不思議な作品が現れる。
うぅぅ。
街って、こういうことも大切しながら作られているのか、とあらためて感心する。

朝ごはんはホテルで用意してくれている。
コンチネンタルということだったけど、温かいソーセージや卵もあった。
が、ホテルで食べないで、ゆったりとしたサイズの歩道に並べられたカフェでお茶を飲みながら朝の出勤風景をぼやっと眺めるのも悪くはないだろう。

こういう、本質的には「時間をつぶす」と考えられそうな行為に日本では考えられないような価値を感じてしまうのが、イタリア旅行の醍醐味だろう。
名画を見なくとも、名刹まで行かなくとも、まちなかで十分に楽しめる。
カフェの椅子に腰掛け、通りを歩く人を眺めながらコーヒーを飲む。
コーヒーたってイタリアだから日本で出るものとは違うので、すぐに飲めちゃうような量だけど、そういうものでぼやっと過ごす時間を持つ。
旅行者ではなくともそうしているところを見ると、ヨーロッパ人はみんな「禅」の行為のようなものをしているのではないか、と思ったりする。

2012.09.04