2011.10.01

再びブログへ戻ってきた

ツィッターがそれなりに意味があると思っていた。
ツィッターをどうやって使っていいかわからなかった。
だからとりあえず毎日気になる人の発言をチェックしていた。
眠いとか、腹がたったとか、宣伝とか。
ホント、個人的な内容。
それでいいものなのかな、と納得した。

じゃぁということで、自分でもツィートしてみることにした。
誰の発言も短いからすぐに読める。
一方で、短いからこそ書き込む量が増えてしまうところもある。
少しずつなら書ける、ということで書き込んでいると結果的にじゃかじゃか書いてしまうという具合に。
どういう人がツィートしているのかわからないが、多くの人にもそういうところがあるだろう。

アタマのいい人もツィーッターをやっている。
自分とは考える能力のレベルが画然と違う人でも意外に「普通」の人と同じような感情を抱くらしく、へぇと思ったツィートを見かけることがあった。
良い意味でも悪い意味でもショックがあった。
一方で、その人と自分との距離がぐっと近くなった気がした。

字数が限られていることがツイッターの特徴で、それには長所も短所もあるとうわけだ。
使い初めは長所がよく見える。
しかし、使っているうちに短所が目につくようになり、しだいにそれが大きくなっていく。
どんな商品でもサービスでもそういう過程を踏む。
ブームが一段落する現象のメカニズムには、それがあるだろう。
今になってツィッターから離れる人が増えるということもあるはずだ。

もう辞めるよ。
そう明言して書かなくなる人をちらほらとぼくがフォローしている人にも見かけるようになった。

最近始める人もいるはずで、全体として見れたら増えているのか減っているのかはわからない。
問題は、自分との関係なのだから、社会でどう評価されようがそれは気にしない方がいいだろうけど。

何かを言いたいとき、それらを表現する能力は皆同じではない。
表現に使える文字数は人によって違ってくる。
少ない文字数で表現できるのは、コメントというレベルのものだろう。
内田樹さんのブログで読んだのだが、コメントで人々から注目されるものは何かを批判していることなのだそうだ。
短い言葉で対象をずばっと切り捨てる。
それを鮮やかにやる人がいる。
それが見事だと、多くの人から注目されるようになる。
もっといえば、頭が切れる人という評価をされる。

しかし、何かを生み出すような表現は、短い言葉では難しい。
そもそも、無から有に変える行為はなんだって難しいということだった。

文章を書く習慣がない人は字数の多いものは扱えない。
字数が多いということはそれだけ複雑なことを表現するからで、多くのことを同時に考えてつじつまを合わせることは、練習なしではできない技だから。
とはいえ、短いことば表現できることがすべてつまらない、ということではない。
俳句は簡単ではないから。
当然初心者にも簡単ではない。
複雑なことを表現するにしても、短い言葉で詩を書くにしても、両者ともに経験がいる。

物珍しいからという理由でツィッターを初めたのだとしたら、最初のワクワク感が醒めてしまえば140字制限が面倒に思えるだろう。
あるいは140文字なら書けると思って始めても、書いているうちにそれ以上の文字数でないと表現できないと気づくかもしれない。
一言でいえば、だれだって成長する、ってことだろう。

ツィッターの中で連続ツィートがどのくらいでてくるのか。
個人個人でこの割合の統計をとれば、文章への習熟度の一つの目安が得られるかもしれない。
連続ツィートが多い人は、そろそろツイッターを卒業する時期に来ている。

文字を打ち込んでしまえば、知りあいにそれを簡単にプッシュできる。
この便利さを実現するためのコアとなるアイディアが140文字だった。
ならばなにか上手い方法を考えれば、ツィッターを卒業したいひとを吸い上げるサービスができるかも。
いや、ちょっと考えれば、それはブログサービスだろう。
技術ってのは、行ったり来たりをするものなんだとあらためて感じる。