2010.09.27

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黄昏時の新大橋とスカイツリー@清洲橋

【想】最近の中国との外交についての報道について


いろいろと不愉快な気分になることが多いからマスコミの報道は見ないようにしている。
新聞やテレビニュース、ネットニュースを覗かないように努めている。
そうはいっても、いろんな理由によりニュースを目にしてしまう。
番組と番組の間にある短いニュースや電車内での縦吊り広告、そして昼食時のおしゃべりなどから。

ここ最近で、とくに嫌な気分になってしまったニュースは、中国と日本のやり取り。
領土に関わるいざこざがあり、中国も日本も天然資源に関わる可能性があるからだろうか、強行姿勢を崩さない。
ちらっと状況を知るに、なんとなくイライラしてくる。
もちろん、中国って嫌な国なんだよなぁ、と思ってしまう。
なるべく関わらないようにしたいものだ、などと小さく決心したりする。

しかしだ。
一方で、このイライラ感情はマスコミの報道によって煽られた結果であろうとわかっている。
実際はどうなのかぼくにはわからないけど、マスコミの報道を耳にして感情的な判断をしたくなるのは仕方がない。
人の性格だから、そうとうな訓練を積まないと逃げられない反応だろう。

ニュースによりイライラした数分後、ちょっとまて、という冷静さを持ち直す。
これまでの経験からニュースって鵜呑みにしてはいけないだろう。
とくに、感情的な気分させるようなものは、絶対に注意しなければならない。
もっといえば、これは「嘘」だろうと一端決めてけてから情報を吟味したほうがいい。
面倒なんだけど、この吟味は絶対に必要なのだ。

ちょっと思い出してみる。
最近の中国のニュースで印象に残っているものは、インターネットの検閲に関わることだ。
中国政府は、検閲をするしないでグーグルともめたり、ネットでの書き込みでは匿名では許さないようにしようとしたり。
中国以外では「それはありえないだろう」というようなことを推し進めていたではないか。
これじゃぁ、人々は窮屈な思いをしているのだろうと、想像した。

なぜこんな規制をするのか。
それは、中国内での民主化運動を進める人たちの情報交換や反政府運動の抑制などを目的としているのだろう。
ある意味、周りの国は呆れていてしまうくらいの行為なのだが、中国政府にはそれなりの事情があるはず。
彼らはアホではない。
それどころか、優秀でありしたたかで、そのあたりは日本の役人政治家を凌駕しているかもしれない。
その彼らがなりふり構わず情報交換止めさせようとしている。
ということは、そうしないと「相当やばい」状態にあるのだろう。
つまり、反政府的な活動が高まってしまうかもしれない状態にあるのだろう。

国内の不満を解消するもっともてっとり早いことは、外国に不満をぶつけることだ。
世界史を全部しらなくても、すくなくともナチスのことを思い返してみれば気づくだろう。
中国政府はおそらく、日本に人々の不満を向けるよう煽動しているのだ。
悪いのは日本だ。
20世紀を思い出せば、ろくなことをしていないじゃないか、やつらは。
そもそも、世界に冠絶する中華帝国が夷狄の日本などに迷惑をかけられてたまるものか。
そういう、ストーリで人々を煽動しているのだろう。

大変だよなぁ。
日本のマスコミは政治家をおちょくってばかりだけど、反政府運動はしない。
だれも革命を起こそうなんてしてない(だろうよ、多分)。
ところが中国は、無理を承知で不満を国外に向けている。
もちろん、日本に強くでて損なことはないから、一石数鳥のスマートな外交活動なんだろうけど。

一昨日の新聞の見出しをちらっとみたが、「軟弱外交」「及び腰外交」などという文字が踊っていた。
予想はしていたが、日本の新聞て本当に中を読まない。
そりゃもう、ビックリするくらい、表面的であり、中国政府以上に人々を煽動しようとするところがある。
新聞に冷静さがなくていいと新聞社のデスクが考えているのだろうか。
これじゃぁ、戦前かよ、日比谷焼き打ち事件かよ、という気分がして暗澹たる思いになった。
これだから、新聞なんてみたくないのだよ。

ぼくの情報源はない等しい。
それでも、マスコミに同調して「中国、なにするぞ」というような思いに埋没することはない。
日本政府にも、新聞とは別の次元で対応している人がいてくれることを期待する。
新聞なんて無視して行動してくれる人がいるって信じたい。

2010.09.26

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スカイツリーの根元のあたりの様子@実家のベランダから

【想】頭をはっきりさせる方法としてのブログ


ブログをつける。
読む人などいないのに、なぜ付ける必要があるのか。
自問自答しながら、ときにはいくつも書き、ときには全く書かないときが続く。
どうしていいかわからないので、とりあえず続ける。
そういうスタンスでブログを入力している。

こういう人は大勢いると思う。
調べたわけではないし、そういう統計を偶然見てしまったわけでもない。
ぼくは市井の普通の人であり、誰からも要請されていないのに書いている。
ならばそういう市井の人は沢山いるはずで、同じような思いで続けているのだろう。
大勢の人を対象すれば、ぼくのような活動方針の人はある一定の割合で存在してくるはず。

ブログをつづける理由をひねりだす。
一つは文章の上達。
一つは自分の自己紹介というか考えを記録すること。
しかしこの理由は投げやりもいいところで、説得力がない。
他人に対してではなく、自分すら納得させるには心細い。

そんなときに新しい考えを知った。
ブログを付けるのは頭を整理するためだ。
なるほどなぁ、確かにそういう一面はある。
考えというものが頭の中にあるだけであれば、すっごくいいことを考えているような気分になる。
しかし一度レポートなり論文なり設計なり、つまり「紙」に考えを表現するとビックリするくらいつまらなく思える。
一体なにがスゴイと思っていたのだろうか。
そう後悔するものである。
これは、「考え」を整理した結果を冷静に評価した感想である。

おれってすごい(あるいはすっごい事を思いついた)という幻想にしがみついているより、
つまらなくても平凡でも、とくにかく整理して客観的に「考え」を自分で眺めてみる。
これは人生の時間を無駄にしない良い方法である。
だから考えていることをブログに書くべきなんだ。