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100エントリーで見えてきたこと

 物事は数をこなすことで体得できる。人がやれることなら数をこなせば上手になる。文章書きもブログもそのはずで、そう思って今年は100以上のエントリーを書けるよう努力した。そしてなんとか100ちょっとのエントリーを達成できた。
 とはいえ品質はよくない。品質うんぬん以前に面白くない。まずは文章を書くことが目的だったので面白いかどうかは後回にした。そんなところまでとても気は回らなかった。品質はあとで解決すればいい。そうでもしないと書きはじめられなかっただろう。まずは日本語を書く事が第一で、それ以外はあとで。その方針で約一年続けてきた。

 この一年間で自分の下手くそな文章のクセが何点か気がついたこと。大きなものは3つある。
 まず、日本語の構造がおかしい点。
 日本語を書くとき、ぼくは文法が気になってしまうタイプのようだ。正しい日本語を書きたいという美意識が強いのではなく、英作文で苦労しているときと同じ心境になってしまうのである。これ能動態で考えているうちに言葉は受動態になってしまっていないかな、ということに注意が向いてしまい、読みやすさまで気が回らない。だから、人の発言をかくつもりが自分の感想になってしまうなど、小学生の作文と同じレベルで苦労しているではないかという情けなさを感じながら、せめて文法だけは許容できるような日本語でありたいと思いながら文章を書いている。だから、費やした時間の割に読みやすいものが書けない。そして、そんなことに時間がとられているうちに何を書こうとしていたのか忘れてしまうという状況に落ちる。これがぼくのブログが読みやすくない筆頭の理由である。

 次のダメなのは、言葉のもつリズムを大切にしていない点である。日本語には3/4/5/7という音の調子が組み込まれているようで、論理だけで文章を構成するとこれを無視することになる。最初は音まで気が回らないが、読みやすさを決めているのは内容ではなく音だと思う。
 俳句を書くつもりはなくとも5/7/5で書いていけば、長文でもするすると言葉があたまに入っていく。読みやすいなぁと感心する本をあらためて読み返してみればよい。するすると音読できるはずで、その秘密が3/4/5/7で切れるように単語が選んである。
 「である」という語尾はぼくは無意味でありノイズであると考えていたが、日本語の調子を整え、つぎの文がすんなりと頭に入れ込むためには「である」が必要になる。
 調子がそろっていると、平仮名が続いていても「、」が打たれていなくても言葉がするすると頭に入りこみ、綺麗に単語が分解されていく。同じ事を表現するのに複数の方法があれば、単語の選び方や配置の仕方や語尾によってびっくりするほど読みさすさがちがってくる。
 言葉の音に対する感度は作家として成功する最低条件だと想像する。音楽や絵画と同様な芸術的才能の有無で決まるのだろう。読みやすい文章は「詩」であると言える。
 詩は読まないし興味もなかったから、その観賞法や善し悪しについてさえぼくは分からない。詩に対する感覚を鍛えてこなかったのだから当たり前で、オトナになってから鍛えても楽器演奏と同じで、そもそも負け戦であろう。この歳になって詩に着目しなかったことを後悔している。まぁ、仕方ないとしよう。

 最後は自分にあった道具を見出すのに時間がかかった点。
 日本語の文章は原稿用紙縦書きを使うのが楽である。そう思っているのはぼくが文章の修業中の身だからかもしれないが、縦書きワープロには心底感謝している。
 原稿用紙にペンで字を書く機会はほとんどないが、パソコンでワープロを使う機会は日常である。ワープロを使うときでも、日本語のときは縦書きがよい。400字詰めの原稿用紙は小学生が使うものだと思っていたが、それは大きな間違いであった。横書きのレポート用紙に文章を書かせる習慣は中学・高校・大学から撤廃したほうがよいとすらぼくは思っている。もっとも、科学論文など図や数式を多用する場合は原稿用紙は不向きかもしれない。しかしそれでも本文が日本語ならば縦書き400字詰めで文章を入力できるワープロを使った方が、すいすいと入力できるだろう。日本語の長さも読むときのリズムも縦書きのほうが想像しやすいと思う。

 以上の三点が今年一年で100のエントリーを書いていくうえで発見したことだ。ただしこれらは素人の感想でしかなく、しかも年間で100しかエントリーを書けなかった人のものだから、この結論の汎用性はあまり信頼できないと自分でも思っている。

 エントリーの内容についても反省する点が多い。面白いことをエントリーに書けないでいる。
 普通の人ならば毎日毎日面白いことが身の回りに起きることはないはずで、それは普通の人でなくとも同じだろう。そもそも面白い事をエントリーに書くのはハードルが高い。だから、素人ならばつまらなくて当たり前なのだが、とはいえ、少しは面白いことを書きたい。
 個人で面白い体験のストックがないなら、知り合いから譲ってもらえばいい。普段会話をする上でいろいろ聴く機会もあろう。ところが、ぼくは日々の生活の中で言葉を交わす人は数人と少なく、いろんな考え方に遭遇して発見があったという経験はほとんどない。多くのお客さんと接するような職の人とはちがう。自分ではごく普通の人だと思っているが、考えようによっては閉鎖的な世界に住んでいるのかもしれない。
 それではいかんと思い、人一倍本を読むことにしている。知り合いがたくさんいるメリットは「いろんな面白しろい発言や行動に接する機会がある」ことであろうから、それなら本からでもある程度は吸収できるはずだ。もっぱら通勤時に読む本の世界から知るしかないとしても、その冊数が年間数百になれば単に友達が多い人よりは視野は開けるだろうと信じている。あとは、個人的にチェロ教室や朝カルの講義に足を運ぶことで、普段の生活では会わないような人の話を直接聴ける機会をつくる。できることは多くないが、まったく努力しないよりはましだろう。
 どうやっても人と会う機会が少ないから、結局は考えることは自分のことに収斂してしまうのかもしれない。考えるテーマが単調になると、同じことを考えがちになる。同じ後とをぐるぐると考えて、それが脳にいいわけない。
 例えば人間関係で不愉快な思いをしたとする。するとたいては自分が損したことに腹を立てる。「なんでおれがこんなめにあうのだろう」とか「失礼なことがなぜまかりとおるのだろう」という感情になり、同じ事を考えてしまう。これではダメだ。精神的に「すすめられた」ものではない。
 普段から自分のことを考えており、それがあまり愉快なことではない。そんな人が書くブログのエントリーが面白いはずはない。あり得ない。となると、次の目標がはっきりしてくる。
 まずは自分以外のものについてエントリーをたてる。自分の感情がベースになる思索は避けてる。いかにして自分の感情による重要度付けをやめていくか、いかにして視点を自分の外に持っていくか。こんなことが訓練対象になる。
 ただし、これらは普通の人がブログをつける根本動機であり、それを二つとも外すとなると、エントリーを立てるのはかなり難しくなるだろう。それでも今年が100だったので、来年は200を目標とするくらいにしないと文章の上達は望めない。できるかどうかは別として、今年の反省から設定した来年の目標として妥当なところではないだろうか。

 エッセイの面白さにはいろいろあるが、ぼくは「そういう見方ってあるよね、自分にはない視点だった」というのが気に入っている。立派な行いの話やためになる話、あるいは、蘊蓄、あるいはユーモア。そんなものはプロの作家の書いたものを読んだほうがいい。情報は確かだろうし、読みやすいし、お笑いの技術も上なのは間違いないので。これまでは考えていることを論理的に言葉で表現することを練習していたので、自分で読み返したいと思うようなものはほとんどなかった。が、次のステップとしては自分でも面白いか気が利いているかためになるかのどれかを評価基準としたい。
 自分のサイトをアクセスすることがあるが、それはあくまでも確認のためである。そもそもコメントやトラックバックなど期待していないし、そんな設定をしたらスパムばかりになるだおうからしない。このサーバーのアクセスロゴはその50%はロボットであり、49%はスパムであり、残りの1%程度がグーグルからジャンプしてきている人である。
 まずは自分でも「使える」サイトを作ること。せっかくエッセイを書いているのだから、自分でも読み返して見たいというエントリーをつくる。自分を実験台にして、意識してみる。自分のエントリーを他人のものように読めれば、内容の向上が期待できるかもしれない。単にエントリーを作りました、枚数は10枚でしたを卒業して、次の段階に行かないといけない。
 するすると読める日本語とはどんなもので、どうやってその技術を身に付けるのか。こんなことは高校生のときの課題だ。だがぼくはやって来なかった。だから今やる事にする。今でもやればそれなりに技術は向上する。
 日本語で文章をかくようになって何年も経っているが、その間にへんなクセがついている。自分でも気になる。それを意識して排除する。そんな基本的なことから始めていくよりない。高校生よりも不利なのは添削をやってくれる先生、アドバイスをくれる先生がいないことで、これはある意味致命的なことだが、仕方ない。

 意識してブログを文章練習ボードとして使って1年。たいしたことができるようになったわけではない。他人からみて技術も内容も良くなったわけでもないだろう。しかし、目標としていたラインは通過できた。自分で設定したラインだけど、それでも達成できるとうれしい。実に地道でドラマもなにもなかったけれど、一年前よりはブログをつけることへの抵抗は減り、文章を書くことに対する忌避感は和らいできた。
 頭の中で考えて「できるのはわかっているから、やらんでもいいや」で終わりにしないでよかった。いかなることでも、それが許されるのならば実際自らやってみることだ。この教訓は一生もの。