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こういう駅は資産といえる

 都営大江戸線飯田橋駅のプラットフォームに降りて固まってしまった。驚いたのだ。ここは地下鉄の駅なのだろうか。
 柱が整然と並んでいる。天井が湾曲して間接照明があたっている。コンクリートで、さわってみたくなる素材感である。そして、全体の色が上品としかいいようがない。こんな駅はこの街の資産なんだろうなと思う。

 日本の公共施設にはださいものが多い。お金はかけたのかもしれないけど、こんなものを欲しいなと思わせるものにめったに巡り合えない。もちろん、いいものはある。しかし、それはそもそもが特別なものであって、役所はそれに全勢力を注いだのだろうな感があるものばかり。市民が日々使う施設にいいものはほとんどない。普通の公共施設は新しいうちピカピカ光っているけど十年で貧乏臭くなる。全部が全部そうでないかもしれないが、ぼくはそういう印象をもっている。
 地下鉄は毎日使うものの代表例である。電車待ちをするときには、ぼーっとプラットフォームの壁を眺めることが多い。待ち時間は十分程度の短いものかもしれない。しかし、それは毎日つづく。何十年もつづく。
 ひょっとしたら、自分の人生で一番累積時間ではもっとも長く眺めていたものになるかもしれない。それが安物の壁だったら、悲しい気分になる。
 めったに使わないものにお金をかけてしまう気分をわからないではない。年に一度しか着ない高級服を持っているようなものである。
 しかし、年に一度しか着ないならば、355日まぁまぁなものを着た方がいいという考え方もある。晴れとケとを使い分けるほうがいいという考え方と逆だが、ぼくはまぁまぁのほうを選ぶ。できればなるべくいいものを長くの方がいい。
 飯田橋駅のホームのようなものは大江戸線だから可能なのだろう。東京メトロではできない。東京メトロは営利目的の企業だから。私企業のほうがサービスが向上するのかもしれないが、人に自慢したくなるような公共財を準備してくれることはない。綺麗なものをつくるとしたらそれはデパートと繋がっているからというような理由が必要だろう。そして、それはある意味正しいし自然である。
 東京都ならば自慢できる駅を造ってもいい。金をかけていいと思う。どんな設備でも切れにするのかといえば違う。綺麗な都庁はそんなに必要ない。
 普通のビルでいい。なにを綺麗にし、なにを普通にするのか。その違いは、一体だれがユーザかという視点で決めればいい。地下鉄の建物は市民が入る。市民のものである。一方都庁は市民のものではない。役人の巣窟である。電車の駅は多いに自慢できるが、都庁がきれいだとしても誰が誰に自慢する必要があるのか。市民の日々の生活に無関係の建物は普通でよい。
 それは実質誰のものかという指標で公共財を二種類に分けることができるわけだ。市民ホールはじつは市民のものではない。管理している人が威張っているのだから、彼らのものなのかもしれない。そもそもホールにいく行く機会は年に何回行くのだろうか。
 一方、駅は構内の大部分を市民が使うのである。このようなものは市民の資産である。その町の活動を反映した、あるいは活動の結果生み出した生産物である。いいものであれば、メンテナンスをしながら使っていけばいい。イタリアには過去の反映のもたらした公共財が現在にまで資産として価値の輝きを今でも放っている。そして、それが現在の街にいる人のレベルはどうであれ、その所有者にいくばくかの尊敬を与える根拠になる。

 飯田橋駅はもちろん優れた建築家の作品である。そんな情報は駅が出来た当初から知っていた。しかし、実は利用したのは初めてだったのだ。知識は所詮知識なんだと実感した。またそう思い、深く反省した。
 そう思いながら、駅の天井を見上げた。柱だけでなく天井もコンクリート打ちっ放しである。局面が面白い。そして、間接照明があたって、不思議な色合いになっている。すりガラスを思わせるような素材感になっている。いやらしさのない高級感である。趣味がいいといえばいいのだろうか。キンベル美術館っぽい。
 こうなるとベンチや自販機、案内板、電光掲示板も雰囲気を演出する小道具もそろえる必要がある。こういうものは特注になる。だから、お金がかかっているはずである。もちろんその効果は抜群だが、視覚的な印象にしか影響を与えない。それでも、お金をかけたかいはある。だって、こういう駅があったほうがいいじゃないかと思うだろうから。
 こういう公共財を作るためにお金を使うためには知的な判断が必要である。この駅は、だれが決断したのか知らないが、偶然にもそれができた例になっている。
 ぼくは清澄白河駅を愛用している。そして、大江戸線の清澄白河駅のプラットフォームも一級のアート作品である。グッドデザイン賞を受賞している作品でもある。でも、駅なのだ。ぼくは半蔵門線を使うのでたまにしかそのプラットフォームへ行かないが、使うときはかならず壁を眺めている。その壁は実に眺めがいのある。おそらくは駅がアート作品になっている日本で唯一の例であろう。
 役所の人もこういう気概を持ってもらいたいものである。しかし現実は違う。国民全員に一万円給付するなどという事しか思いつかない人が政治をやっているのが現状である。その一派から、これらの駅を残すというような発想が生まれるはずはないし、そういうことを全く期待してはいない。しかし、偶然というか幸運というか、なぜか知らないけど実際すばらし公共財が登場する軌跡は起きるかもしれない。現にいくつかあるのだからだから、これからもそういう偶然があることを期待して、ワクワクしていたい。

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大江戸線飯田橋駅

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幻想的な風景になっている。
なんなんだろう、この感じは。