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ロンドン日記(1)

十月五日日曜日

 ロンドンにいる。大英博物館、ロンドン・ナショナルギャラリーなど無料でいくらでも一級品を見ることができる。あとは自分の体力がどこまでもつか次第である。人ごみで疲れてしまうのではなく、単に見るものがありすぎて疲れてしまうのである。
 昼ご飯はパブでいい。ハーフパイントのビールとソーセージでも食べればそれで満足するだろう。疲れたら適当にカフェでお茶でも飲めばいい。それに、自由時間が丸一日あるといっても見るのは大英博物館とナショナルギャラリーだけだろう。残った体力でチャーリングクロスの古本屋でも見て回ることにする。そんなラフな考えをホテルで朝食をとりながら想像した。

 今回のロンドン滞在で試したかった事がある。それは、iPodで音楽を聴きながら名画を観賞すること。実に地味なことである。なんだ、そんなこと? とがっかりされても仕方がない。
 しかし、こんな方法であっても、日本で実行できる機会は実はほとんどない。なぜなら、名画展はたいてい「大にぎわい」だから。招待券をもらったから来たのか、デートする場所として選定されるのかわからないが、国内海外の名画を東京で公開すると満員電車のような状態で観賞せざるをえない。行列にそってじわじわ歩いていくだけで、立ち止まったりゆっくり見ることは出来ない。単にエスカレータのような動く歩道にのって広告の前を通り過ぎるだけとかわらない。はらだたしいのは、そもそも絵などみない人ばかりが来ているものだから、途中で疲れて座り込んでいる爺さん婆さん連中が道を塞いでいて、雰囲気がまるでないのだ。とてもじゃないが、芸術を鑑賞する空気などはない。だから、いつも暗々足る気分で「もう、二度と来るか」という気分で家路につくのである。
 絵を見るならばヨーロッパが良い。日本の画家の作品であってもそうだろう。なぜなら、絵を見る空気が美術館にあるから。少なくとも「絵を見る人」が来ている。新聞のおまけで貰った入場券で来る人など、そんな場所ですれ違うことはない。だから、安心して絵に集中できる。

 ナショナルギャリーにはとびきり有名な絵はないかもしれない。いや、有名な絵はたくさんあるが、小学校中学校の教科書に載っている名画と言われるものは少ないという意味である。ルーブルとは違う。
 しかし、これでもかこれでもか、と名画がならんでいる。もう勘弁してください。そう言いたくなるくらい名画はそろっている。ちょっと絵が好きな人ならば、「世界にこんなところがあるのか」と言いたくなるような場所である。
 観光客はたくさんいる。だいたいぼくもその一員である。しかし、キャパシティーが大きいので、どの部屋に入ってもゆっくり見れる。立ち止まっても、何分眺めていても誰の邪魔にもならない。そして、静かである。
 今回気がついたが、ナショナル・ギャラリーでは空調に「匂い」を混ぜで流しているようだ。ある独特な匂いがする。その匂いは、時間によって強かったり弱かったりしている。
 このような静寂さの中で絵を見るのを気に入っていたのだが、今回はiPodを持ってきてある。さて、音楽を聴きながら観賞するとしよう。イヤフォンから音盛れがないことを確認し、お気に入りの絵の前に陣取って、クラシックをかけてみた。

 びっくりした。名曲アルバムとはケタ違いの効果がある。選んだ絵はベロネーゼやティントレットのデカイ絵である。そして、音楽はサイトウキネンオーケストラのブラームス交響曲一番である。ぼくは動けなかった。
 音楽が入ると絵の見え方が変わる。なんといったらいいのか。見るポイントが沢山あることに気付き、その場所を見ていると、頭の別の回路ではそれぞれのポイントごとに「動き」を感じるのだ。完璧な静止画なのにもかかわらず、印象的な「動きを」感じるのである。これ以上は説明不可能である。おそらく脳の中で、絵を観賞する回路と音楽を楽しむ回路が干渉するのではないか、と思う。
 いわゆる『名曲アルバム』をテレビで見るのとはまるで違う。あの場合はテレビを客観視している自分がはっきりとある。しかし、二十畳くらいありそうなベロネーゼを前にすると、絵の力をまともに身体に受けてしまうような気になる。自分の存在を忘れてしまうような感じなのだ。
 小さい絵でもこの観賞法を試したが、どの絵も音楽があると違う印象にある。もちろん、音楽も絵によってジャズやボサノバがあうものもある。が、一番感動的なのはデカイ絵の前でクラシックを聴くことであった。この発見は、ぼくの人生の中でも特筆すべきことだと思う。簡単に、感動できるから。
 この方法、じつはぼくの音楽の先生に教わったのである。iPodで聴けとはいわれなかったが、名画と音楽を並行して観賞すると頭の中で絵が動くよ。何かのおりにそう言われたのだ。そりゃまぁそうだろう。その程度の感想しか持たなかったのは、テレビの影響である。テレビの映像に音楽は付き物だから。
 ではなぜ今回、人生における事件といえるくらいに感動したのだろうか。なにがテレビ番組と違うのだろうか。簡単である。名画が「本物」であるということだ。コピーと本物の違いは人の感覚に訴えてくる力が決定的に違うのだろう。
 
 そんな感じで絵を見ていた。一枚を三十分くらい見ていたのだろうか。ナショナルギャラリーに入館したのは夕方だった。午前中は大英博物館だったし、ロンドンの街もすこしうろうろしたので、夕方になったのだ。何枚か見ていたら、6時の閉館時刻が来てしまったのである。
 閉館時刻5分前になると、係員が近寄ってきて閉館だと言われる。そして、出口に追い出されてしまう。むなしく中央玄関に向かって部屋を通過してくが、閉館ギリギリでも結構人がいるものである。出口へと向かう人の流れが川のように合流してくる。そして、トラファルガー広場に向かって吐き出される。
 絵を見ることはこんな楽しいものであったのか。次回はもっと時間をとって見たいものである。幸い、月曜日の夜と火曜日の半日をロンドンで過ごすことができる。また試すかな。

 ちなみに、この名画鑑賞法は日本では全く出来ない。理由は先に述べたが、電車の中で名画を見ても感動しないだろうからだ。デカイ名画がある空いている美術館があれば、そこで可能かもしれない。ぼくが知り得る範囲では、東京八重洲のブリジストン美術館くらいだろうか。ただ、あそこは名画はあるが、デカイ絵はない。なので、この方法をつかったとして、どれだけ感動するかわからない。

 さて、名画鑑賞は疲れた。休憩場所は決めている。1階にあるエスプレッソ・バーである。ここで名画リストをみながらカプチーノを飲む。
 以前イギリスに滞在していたとき、ロンドンには毎週末やってきていたが、昼ご飯はここでビスケットを食べるだけだった。お金がなかったのだ。ひもじい思いをしたが、それでもこれだけの絵をじっくり見れるのだからあまり気にならなかった。
 カプチーノを下さい。そうお願いしても「お茶」がでてくることが何度かあった。か・ぷ・ちー・の、と行ってもお茶が出てくる。当時はわけわからなかったのだが、あるとき嫁さんに教えてもらった。「たぶん、カップティーと間違えられたんじゃないの?」 なるほど!!! それ以後、カプチーノと行った後にイタリアンコーヒーの一種だよ、と念を押すようにしている。まったく、情けないものである。

 今回の滞在ではロンドンを近所のように歩くことができている。思えば不思議なことである。英語は非常に苦手なのだが、1年前の3ヶ月の滞在経験でロンドンは合計18回来ているのだが、その回数の経験で、なんだか慣れた気分で街を歩けるのである。
 英語は上達していない。それでも、「ダメ英語でもいいや」と思ってからは、英語コンプレックスはとりあえず海外にいる間は起きなくなった。日本に戻ると下手な英語を残念に思うけど、だからといって外国で過ごせないということはない。
 町中で英語の学校が流行っているが、あんなのにお金を使うくらいだったら、3月ほどロンドンに住めばいいのではないかと思う。ロンドン滞在は高く付くから、もうちょっと地方都市に住めばいい。単に生活しているだけで「自信は」つく。英語が障害になって何かのチャンスを逃すという心配は一切しなくなるくらい、英語に対してずぼらになれると思う。
 普段日本でつかう日本語を冷静に見つめると、果たしてぼくは上手なのか疑問に思う。書き言葉ならば一目瞭然である。こうして書いている日記の文章は、文筆業の人とくらべるといかに下手くそなものかよく分かる。ならば言葉が上手な人と比べれば、ぼくの日本語もたいしたことはないだろう。ならば、英語と同じじゃねぇか。

 歳を取るといろんなことが体感としてわかる。楽しいものである。

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チャーリングクロス通り沿いのビルの装飾 ここは神保町やお茶の水の雰囲気

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ナショナルギャラリーの正面入り口。中は撮影できないからね。

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ナショナルギャラリーのエスプレッソバー。結局、ここが落ち着くのだ。

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ホルボーン駅近く