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カーライル日記(2)

十月四日土曜日

 カーライルからロンドンまで電車の旅。行程は五時間ある。乗り換えなしの列車のファーストクラスの席を予約してある。昨日乗ったグラスゴーからカーライルまでもファーストクラスであったが、この列車とだいぶ違う。こちらは車両内が広くて静かで乗客は大人しい。学生やインド人風の人もいる。お金持ちビジネスマンは飛行機を使うだろうから余裕がある人がここに席を取っているのだろう。
 昨日のファーストクラスと同じなのは飲み物が無料だということ。この列車は広さに余裕があるためか、ボーイさんがワゴンを押しながらやってくる。飛行機のような感じである。
 車窓には田園風景が広がっている。ゆったりとした起伏の地面には一面に緑の絨毯になっている。所々に林があり、ぽつぽつと白い点として見える羊は草を食んでいる。いい感じの風景である。昨日ハウスステッズから眺めた地平線の先にはこういう田園が広がっていたのだ。
 五時間電車に乗っていると、どんな気分になるのだろうか。揺れは飛行機よりも大きいが、気圧や温度は地上と同じなので、単純には比較できない。ロンドンまで着いたときにその違いがはっきりするのだろう。どちらが疲れるのか。
 こうして車窓の変化する風景を見ながら静かな気分で原稿を書いたらどんな気分がするのだろうか。このメモを取り初めて十分しか経っていないから、今の体調やワクワク感をもとに判断するのは危険である。もし電車で原稿を書くのは実に気分良い方法であるということならば、すでに多くの作家がこの方法を使っているはずだろう。日本でこういう列車が走っているのかわらかないが、電車にのって原稿を書くのがお気に入りなんだという話を読んだことがない。だからなにか欠点画あるのかもしれない。何かをまとめる時間としては、どんなに集中しても五時間は短かすぎるのかもしれない。

 あらためて今こうしてイギリスで電車に乗っていることを不思議に思う。インターネットが発達して、列車の情報などが簡単に検索できるようになったのでぼくでもどの電車に乗るかきめて切符を買えたのだろう。情報獲得手段の発達したことは大きい。もしも窓口で交渉して切符を買う必要があったならば、ぼくはこうして今この席に座っていることは無かっただろう。そこまでの英語力があるかどうか自信はない。
 何の前例も無いことをさくさくと実行できる人は稀だろう。大抵の人はまず考え、不安になり、情報を集めようとうする。そして、結果的には行動しない、ということになる。
 その理由は勇気のあるなしではなく、行動のついてのメンタルモデルのあるなしだろう。似たようなことをやったことがあるかどうか。その経験の有無が次の行動を決めていくのだ。

 経験をつむ必要があるならば、とりあえずやればいいではないか。でもそうはいかない。経験がないからだ。一種のトートロジーである。ともかく、どうやったらいいかわからないので何もできないのだ。
 外国では、電車での移動から公衆電話の利用まで躊躇するのが普通だ。日本で当たり前に使えるものであっても、色々な前提が違っているので混乱してしまうのだ。まるで小学生にもどった気分である。使い方を人聞きたいのだがそれがまた一苦労なのだ。

 内田樹のエッセイに「ルールを知らないゲームに気付くと参加している」という例えがある。遅れてやってきた人が背負う一つの苦労である。やり方が分からないことをこなす必要があるという場面はこの比喩がぴったりする。
 現時点での行動結果の数が次の行動を促していくのであれば、行動する人はより行動するという形の方程式が成立する。こうなると、行動する人としない人が二極化する。だが、人々が分極するとろくなことにならない。一番最初の一歩としてどうすうれば未体験のことでも進んで行動できるのだろうか。

 経験はすべて具体的なことである。例えば、グラスゴーからロンドンまでの電車の切符をグラスゴー駅で購入することを考える。
 ロンドンまで電車で行けるのか、切符はどこで売っているのか、いくらするのか、支払いは現金か、何日前までに買うのか。ファーストクラスなどのクラスはいくらするのか、だれでも買えるのか、スタンダードクラスと何が違うのか、買った切符はどういう風に携帯するべきなのか、何分前に駅に行っていればいいのか、荷物はどこへ置いておくのか。全く心配するときりがない。
 電車で移動する前に必要ことを全て知っておくことは難しい。というか、普通はできない。ここで人の行動は枝分かれする。分からないことに不安が募って行動を止めるか、なんとかなるだろうと高を括って行動を開始する。この僅かな違いが、すごい結果の違いを生む。

 ぼくが外国で電車に乗ったのはイタリアでの地下鉄だった。地下鉄で電車の乗り方の感触を掴んだので、ローマからナポリまで急行電車を使った。切符の買い方がわからなかったので、そのとき泊まっていたホテルに聞いてみた。そしたらその人がインターネットで調べてくれ候補となる電車の情報を紙にプリントアウトしてくれた。それを駅のチケット売り場に持っていって見せ、クレジットカードで購入した。
 その次は、イギリスで地下鉄、バースまでの列車と少しずつリーチを広げてきた。

 あるところまで経験がたまると、日本の電車との違いを大ざっぱに飲み込めるようになる。このとき、あるポイントを超えることになる。
 その次の機会にイタリアに旅行した際、ベニスからフィレンツェ、ローマと現地でチケットを調達して移動することを当然のようにやるようになった。
 そして、今回もスコットランドからロンドンまで。まだまだ電車での移動に不安を感じるが、もうこれからは普通に移動手段として電車を組み込むことができる。
 もちろん、ヨーロッパの場合だが。その他の国ではシステムが違うだろうから、また少し探りを入れてから使う必要がある。

 電車にのるときに必要は知識の一式を抽象的なレベルで身に付ける。それを空気のように使えてしまうと、何が知識なのかわからなくなる。当たり前なことは知識とは感じないのだ。
 そして、それとは違う外国でのシステムがおかしなシステムだと感じるようになる。そうなると頭が新しいことを受け付けなくなる。こうなったらだめだ。
 まずは、その国のシステムが「正解」だと思って、ただ「ルール」を探すこと。自分以外の大勢がそのルールにしたがってこれまでずっと過ごしていたのだから、その信頼してよい。

 ダーリントンの駅を出て、三十分くらいたった。車窓からの風景は田園である。しかし、ニューキャッスル辺りから地面の色が変わっている。一面泥か、きれいに整理された耕作地か、草をはぎ取られた地面かである。緑色の場所が少ない。
 そんな風景を眺めていたら、ボーイさんがお皿に盛りつけた料理らしきものを隣のボックスに運んできた。どうやらサラダのようだ。皿で出てくるようである。なるほど。だから、シートにメニューが置いてあったのか、と独り合点する。
 一つ発見した。電源コンセントがテーブルにある。日本の新幹線でも最近始まったはずのサービスがここでは平然と続いていたのだった。
 少し前にワゴンで飲み物を運んできたボーイさんに紅茶をお願いした。スナックはどうか、と聞かれたときにワゴンにあるサンドイッチが目に入った。ファーストクラスは無料なんだと思い、サンドイッチとペットボトルの水を貰った。が、これはぼくの勘違いだった。三ポンド四十五セント請求された。なんだ、サンドイッチは有料だったのか。調子に乗ったところでの失敗である。

 大失敗ではない失敗はしたほうがいい。失敗したからといってうなだれてはいけない。勉強だと思うことである。勉強は必ずしも楽しいことばかりではない。むしろ、慣れないことをするのだから嫌な気分の体験のほうが多いだろう。けれど、それも経験として自分のものになる。そんな失敗をしたとしても、実際問題影響がなかったのだから、がっかりする必要はない。 

 自分が知らないシステムに対して、もっと信頼を置いてみる。すると、多くの緊張感から解放される。視野が広がるとは自分以外のものの価値を位置づけるかにあり、世の中にはいろんなものがあるのだとウソでもいいから思った方がいい。

 そんなことをゆらゆらと考え入るうちに列車はキングスクロスに到着した。列車の旅は短かった。イギリスは列車で移動した方がいいかもしれない。

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ファーストクラスの車中のしっとりとした雰囲気

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席にあったメニュー

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キングスクロス駅に到着