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グラスゴー日記(3)

九月三十日火曜日

 まだ夜中のうちに目覚めた。午前四時過ぎ。寝ようにも寝られない。日本時間で正午ぐらいである。結局、時差は治りそうもない。この分だと午後4時頃の自分の発表時間あたりに眠くなるかもしれない。英語のろれつが回るだろうか。心配である。
 仕方ないので発表の練習を始める。本当はドレスドリハーサルでやるほうがいいのだが、いまだに内容(というか、セリフ)を決めてないので無理である。発表内容作りは、夏休みの宿題のごとく、ギリギリに始めたのでまだ完成していない。三つ子の魂は百まで続きそうだ。
 内容を考え、三回ほど練習し、スーツを着て一回練習した。時間内に話を終わらせることができそうだ。午前九時過ぎである。この部屋でやることはもうないので会場へ急いだ。

 心なしか昨日よりも街にいる人が少ない。学会会場でスコットランド衣装をつけたスィーティングさんを見かける。偉い人が礼を尽くしている。立派である。
 ぼくの発表時間は午後五時頃になりそうである。日本時間だと深夜一時。テンションがもつか心配になる。でも、どうしようもない。失敗はしないだろうと信じることにした。

 昼ご飯の時間になった。皆さん一体どこで何をたべるのだろうかと疑問に思った。カフェとコンビニは大盛況だから、そうするのがよいのだろう。カフェオレとパニーニのようなものを買った。食べているが、大分頭が回らなくなってきたようで、食べ物の味を感じない。どちらかというと吐き出しそうになる。仕方ないので飲みので流し込む。

 今回、イギリスにきてから食べ物をおいしく感じたことがない。イギリスだからといって食事がおいしくないことはない。だから今回は実に不思議である。なぜだろうか。
 イギリスの食べ物はまいずと言われている。しかし、ぼくはそう思ったことはない。普通の味である。
 ここ数日ろくに食べられないのは、体調のせいだろう。とくに風邪の症状はないので、時差か精神的なものが原因だろう。海外へ来ても時差でやられて楽しくないという身体になったのかもしれない。もう、ヨーロッパ旅行は面白くないかもしれない。歳を取るのは寂しいことだ。
 他の発表などを見ながら時間を潰していたが、どうにもつまらない発表ばかりである。

 さぁ、発表時間が近づいた。会場へ行き、PowerPoint資料を確認し、順番を待つ。同じセッションの他の人の発表を聞いたのだが、相変わらず面白くない。学会だというのに、ある種の宣伝ばかりである。私たちはこんなことを実行する予定である。こんな装置をこんな日程で計画している。しかし、なぁお前、それは学会で発表する内容なんだろうか?と心の中で問いかける。

 自分の順番が近づいた。参ったことに、あまたが回らない。自分でも覇気がないことに気付く。テンションはゼロである。さぞかし、つまらなそうに話しているのだろう。せっかく覚えた英語のセリフもかなりはしょったものになっている。
 そういえば、会場の人が大分減っていることに気付く。とういか、数人しかいない。一日の最後のセッションはこんなものだが、こんなことをするのに研究費を使って、飛行機で来る必要あるんだろうか、と疑問になる。正解は、「ない」だろう。
 セッション終了後、聴衆にいた知り合いの人と夕飯を食べに行った。大分気分が晴れた。

 もう、この学会には参加することもないだろう。全部で何回参加したのだろうか。三回くらいあっただろうか。最後の発表は今一だったが、これで蹴りを付けたといえなくもない。学生のときからなので、十年はたったのだろう。やり残したことはないかどうか考える。本心から「ない」と答える。

 なんとなくだが、学生の頃から頭の中にあったことが主役の座を交代しつつある。あれほど面白みを感じていた宇宙開発に興味がなくなりつつあるのだ。
 興味を感じるという言葉から分かる通り、それは対象の性質ではなく、自分の感じかたの問題である。このジュースはおいしいというが、それはジュースの属性ではなく、おいしく感じる自分がいるということだ。人によって「甘すぎ」とか「柑橘系の良さがない」という評価だってありえる。味とはジュースの状態ではなく人の状態を表現しているに過ぎない。
 そう考えると、宇宙開発に原因はないのかもしれない。単に、ぼくがおっさんになって変な妄想や夢を持てなくなってきたのだろう。
 
 宇宙開発とはなんだろうか。一人ができることは多くない。見栄えのするミッションに関わると楽しそうだが、その場合一人のやることは狭く、見通しも悪い。効率を重視した分業作用になっているので必要な経費はバカでかくなり、そのために管理する作業もバカにならなくなる。
 一方、全体を見渡す位置にいる人は、結局旗振りの役目でしかなく、また、膨大な費用の配分権という権力ももつため単なる偉い人になってしまう。
 口ではいろいろ言うがその中身をみてみれば、なんてことはない、宇宙開発そのもの興味は消えてしまっているのが普通なのだ。
 あまり出口がない世界である。もっとも、それを話し合う人はいない。だから、なおさら中身が見えなくなり、外側と内側の乖離が酷くなってしまうのだろう。

 頭に浮かぶこと感じること、どれもこれもワクワクしない。どうしたのだろうか。