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グラスゴー日記(2)

九月二十九日月曜日

 部屋のカーテンを開けて、光を部屋に入れる。正面はレンガの壁。壁ビューの部屋である。窓の下は人通りの無い路地。身を乗り出し左を向く。大通りが見える。おそらくそれがBath St.であろう。通りに面した部屋ではないのでちょっとがっかりした。まぁ、室内はとても綺麗だからいいだろう、通りに面したからといって、地中海が見えるわけではないのだから。そう、自分に言い聞かす。
 朝食をホテルの一階にあるバーで食べる。コンチネンタルブレックファーストというタイプのいわゆるビュッフェだった。ハムやパンを自分の皿にとり、めいめいテーブルで食べる。実に寂しいものである。
 おかしい。ここはイギリスなんだから、朝食は卵料理を含めて充実しているイングリッシュブレックファーストのはずだろう。そう思ったのだが、メニューもないので仕方ない。
 侘びしく食べていたところ、ボーイさんがメニューを持ってきて卵料理でも食べるかと聞いてきた。自然に値段へ目が行くがばか高い。「これって、部屋代に入っているのか?」と聞いたら、部屋番号を聞かれた。フロントに電話し確認しているようだ。「大丈夫、入っていますよ」。なーんだと思ってオムレツを頼んだ。塩コショウは十分だったので、日本から持参した醤油は使わなくても大丈夫だった。

 今日は午後から会場へ行けばいい。だから部屋で時間を潰している。気温はちょうどよいい。部屋に問題はない。が、しかし、もうひとつ調子がでないのはなぜだろう。鼻が詰まっている。風邪だろうか。とくに風邪をひく理由は思いつかない。
 ひょっとしたら、この体調今一感は、アミノ酸不足からくるものかもしれない。内田樹のブログを見習って買ってきたマルコメみそのみそ汁をポットで沸かしたお湯で作った。今日は油揚げにした。240ボルトのおかげでカップ一杯分のお湯を沸かすには1分必要ない。恐るべき早さである。みそ汁はおいしく頂けた。
 すると、体調今一感というか、ある種の憂鬱感がすぅーと消えてしまった。海外暮らしが長いには体は現地に対応しているのだろうけど、出張や旅行の場合そうはいかないのだろう。感動的なくらいに気分が良くなってきた。今後は必ずみそ汁を携帯しようと決心した。
 この場所は安全だという「直観」やみそ汁で気分が明るくなるという「心情」など、迷信に近いことを自分が口にするようになるとは思わなかった。が、今はそうしている。これが歳をとるということなのだろうか。
 それもあるだろうけど、観念よりも身体の感覚を優先させるようになってきたことが原因だろう。こうあるはずだという知識や心情よりも、身体が感じるとかそう自然に思うということをより現実に近いと判断するようになった。だって、そうなんだもん、を信じるようになったということだ。

 学会会場まで電車で行くことにした。最寄り駅から二駅だし、会場は駅から近いのでタクシーの必要はない。
 早速グラスゴー中央駅へ行く。そこで電車の行き先を確認する。電光掲示板を覗くが、エキシビジョン駅がない。どの電車も寄らないようだ。どうしてだろうか。チケット売り場近くの案内図には二駅先がエキシビジョン駅になっている。案内係りの人は見当たらないし、チケット売り場の人は忙しそうだし、どうしたものか。地図なり観光案内所なりがないかどうかうろうろする。うろうろする。今日は締切りの時間はないので、ずっとうろうろできるのだか、なんとも情けなくなる。 グラスゴー中央駅だからまずいのかと思い、一駅隣まで歩き、そこから乗ればいいだろうと思いつく。なぜなら、その駅でのれる電車は、必ずエキシビジョン駅を通るはずだ。中央駅はいろんなところへ行く電車が沢山あるから探せなくなっているのだろう。
 隣駅までは300mくらいだろうか。にぎやかな町の中を歩く。天気は曇りである。いや、雨が降ってきそうだ。そう思ってきたら降ってきた。日本からユニクロの携帯傘を持っているのでそれをさす。隣の駅はどこだろうか。街路にある地図で場所を確認する。
 そのとき、エキシビジョンへ行く電車は地下を走っていることに気付く。そうか、中央駅に地下鉄へ通じる通路があったのかもしれない。見落としたかも。
 雨の中中央駅までもどり、地下鉄を探す。あった。そういうことだったのか。階段を下りて人の流れに乗って歩いていたら、ホームに出てしまった。チケットを買っていない。まいった。どこにチケット売り場があるのだろうか。階段を上がりうろうろする。階段近くの脇の目立たない位置にあった。そこで片道分を購入し、ホームに戻り、なんなくエキシビジョンセンターへたどり着くことができた。
 帰りにもう一度電車に乗るが、今度は勝手が分かっている。なんの緊張感もなくホテルへ向かう。行きと帰りとでまったくちがう自分がいた。

 知識を持っていること、知識をもとに行動した経験があること。これらのあるなしで人生は全く別に見えるのだ。行ったことの無い場所、ルールがいろいろと違う外国での行動。こういうときはストレスフルな時間を過ごす。ところが一端わかると、一切のストレスが消える。ビックリする。ストレスは気分の問題なんだ。
 もしも人生を二度生きるときがあったら、二度目は大分味気ない人生になるだろう。もちろん、ストレスは少ないから過ごしやすいのは間違いはないはずだが。
 同じ場所へ何回も行くと、楽しい思いが多く名る反面、印象に残ることも少なくなる。緊張が減るからだろう。それって、旅行の効果として意味があるのかないのか、よく分からない。

 夕飯を外で食べないで部屋に帰ってきた。水も買ってこなかった。荷物を置いて着替えたらでかけるつもりだったが、一度ベッドで休んだらもう起き上がれない。単なる時差が原因なのに、気分が優れない。とても起き上がれそうもないのでルームサービスでフィッシュアンドチップスと水を注文する。10分くらいで持ってきてくれた。費用は十一ポンド。日本円で二千円強。高い。しかし仕方ない。食べてみたが、おいしく感じられなかった。体調が悪いときは寝るより無いようだ。

 今では何気にフロントに電話したり、ルームサービスを頼んだりしている。しかし、少し前まで、こんなことできなかった。そもそも、電話で話すなど一番の苦手だったはずだから、つくづく少しは成長したのだと思い返す。
 いやいや、まだまだ「できるようになる」ことがあるではないか。技術の向上せいではなく、単に「下手くそな英語でもなんとかなる」ということを体験したからできるようになったのだ。最初の一歩は死ぬほど怖かったのを覚えている。たかが電話で英語を話すだけなのに。しかし、一度経験すれば、なんどもない。物事ができるできないって、実につまらない敷居をまたぐかまたがないかで大きく違ってくるのだろう。それが、本当につまらないことであっても、時間が経てば経つほど結果的な違いが増幅される。人の行動とその結果との関係は、カオスなのだろう。

 などをぼやっと考えながらベッドに入った。もう、国際学会には二度と参加したくないや。もう、歳なんだろう。この不快感に耐える気力がないのだ。人生短いものだ。いつの間にか寝てしまった。

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現代美術館前の騎馬像