HOME > 2008 > 27 Sep

晴れ晴れとした空なのに

 秋晴れである。気温も絶妙。外で歩くだけで幸せを感じる。今日は芝生で寝転がってみよう。音楽を聴いても食事をしても運動しても、このさわやかさを他の方法で再現することは不可能であろう。

 明日からイギリスに出張する。10日ほど日本を離れ、どちからといえば寒いスコットランドに行く。スコットランドの夜はもう寒いらしい。摂氏十度以下のようだ。とはいえ、日中はコンベンションセンターにいるだろうから、世界中どこで開催されようとも同じ気温になる。何も心配することはない。

 僅か二十分間の発表のために、高額な出張費と膨大な航空機燃料をつかって出張する。その理由は研究成果は発表する必要があるからだ。発表場所が海外であれば日本国内のときよりも評価は高い。研究とう道楽ができる余裕のある国で開催されることが多いから、会議開催の経済的な効率を考えると場所は必然的に欧米になる。というわけで今回も欧米である。

 発表のために海外へ行くのはもう何回目になるのだろうか。ぼくは海外発表はあまり好きではない。だから避けて通っている。同僚よりも回数はぐっと少ないはずだ。それでも、年に数回はでかけている。その度に思うのだ。本当にこれって必要なんだろうか。
 もちろん、現地ならではの話を聞ける機会はある。外国の研究者と食事を共にして話をすることもある。英語を話すのは厳しいのだけど、それでもそれをしないと意味がないと知っているのでなんとか会話になるよう努力している。だから、会話は楽しさよりもストレスになっている感がある。ぼくにはあまり向いていないのかもしれない。

 出張費はバカにならない。節約する必要がある。どの会議に参加するのかは、最近は会議の開催場所で出張決めていた。
 しかし、それでもだんだん面倒になってきた。そんな費用を使うよりも、研究のための実兄機材を買った方がいいだろう。発表なんぞ、日本語でいいではないか。そう思うようになったのだ。

 英語で発表しないと研究成果の公表として意味をなさない分野がある。科学などはそうだ。同じ分野の研究者が国内にあまりいなかったりすると、日本語論文の作成そのものに意味がないからだ。
 研究成果は消費される必要がある。この場合の消費とは読まれること。それをもとに次の研究が行われることである。
 ならば、国内の研究者が少ない分野の場合は海外で消費される必要がある。もっとも、ならば、その分野は国にとってどんな意味がないのかもしれないが。

 工学の場合は少し違う。とくに応用分野が自分の間近にある人は、その国でで消費されればいい。だから、わざわざ研究発表を海外で行う意味はないといってもよい。
 とはいっても、研究者の評価はユニバーサルであるほうが望ましい。社会貢献を謳っている研究施設に勤務する人ならば、成果の直接消費される場所以外にも多くの場所で消費されるほうが望ましいのだ。
 だから海外発表をするのである。誰も反対する人はいない。むしろ奨励される。

 発表にだって費用対効果を考える必要がある。海外へ行ったことがない、あるいは、行く機会がいない人は出張を気に見聞を広めることになるから、無理しても海外発表をしたい気分になる。ぼくもそうだった。何処でも良かった。

 しかし、自分のやっていることを冷静に眺めると、海外発表の投資効果が上がっているとは思えないことに気づく。もっと別の方法をとっても同じ結果を出せるのではないかと思うようになった。
 ここで気付く。口頭発表というのが良くないのだ。あるいは、数多くある学会がよくない。簡単にいうとセレクションの問題である。発表件数が多いからといっていいものが数多くあるわけはない。
 「いいものがある。だけど、悪いものもある。」である。
一定の数にしぼっていくことで、質は上がる。そういう発表機会を狙っていくべきである。

 全く当たり前のことだが、研究成果の意味を考えるのならば、有名な雑誌に掲載されることを目指す。これは単純でわかりやすい成果発表の方法で、逆にいえばこれ以外にない。もし、あなたが研究者ならばだが。