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読書&エッセイの効果

4年経っても「面白かった」という感想から抜け出れない

 本を読んで感想をメモする。ぼくは文章の訓練をこの方法でスタートさせた。かれこれ4年つづいている。日記はつづかないが、この訓練は比較的長くつづいている。努力が目で見えるから元気が出る。だから、続くのだろう。

 本の感想とは何か。面白かった、つまらなかったでは小学生のレベルだろう。引用で中学生、関連の書物を言及して高校生、そして、自分の視点から見えたものを表現できて大学生ということだろう。文系の優秀な学生さんならば、もっと凄いことができるだろうけど、とりあえずぼくのレベルではこの基準で満足である。

 読書メモを付け始めたとき、何を書いていいかわからなかった。だから「面白い」「つまらない」とう感想、本の概要の説明、引用といろいろハードルを上げていった。もちろん、だれかが採点してくれて赤ペンを入れてくれることはない。だから、上達は一直線とはいかず、いまだにあっちこっちに行っている。

 感想ではなく、エッセイにしてみようとしたことがある。ところが、それは長く続かなかった。というのは、本を読んだからといってすらすらとエッセイが書けるものではない。他のことも頭に浮かべつつ読むことになる。するとどうだろう。本を読んでいるのか、試験勉強しているのかわからなくなった。そして、本を読むのがひどくつまらなくなってしまった。だからやめた。

 今でも「つまらない」という感想を書く。なぜつまらないのかを説明しても、あまり意味がないから。好きだから感想を書いてみたくなる。つまらないならば無視したくなる。しかし、本の冊数を計測している以上感想を書くことにしているので、「つまらない」という小学生レベルのものを書くことになる。
 まぜつまらないのかという解説や、ぼくならばこうするなという提案をエッセイとしてかければいいなと思う。それが、すらすらと書けない自分がうらめしい。

 最近イギリス人についての本を読んだ。その中で、本を大切にする習慣について書いて会った。優秀な学生さんは、読書をしてエッセイを書くという訓練を小さいころからしているのだとか。勉強という知識獲得ゲームに一喜一憂するどころか、それが人生を決めると信じている日本の人とは大分違う。

 エッセイは点にならなんところがある。それに、自分で考察したことよりも、特典のチェックポイントであるキーワードをどれだけ漏らさず書くほうが試験には効果的である。だから、読んで考えるという「上級」なことを子供の頃からやっている人はほとんどいないだろう。じぶんのたどった道はなんと悲しいものか。

 最近はブログが流行している。きちんとしたブログを付けることを小さい頃から訓練していれば、読書&エッセイの片方くらいは補えるかもしれない。自分のノートに書き込みをするよりも、ブログサイトにアップロードし、googleに検索されるほうがよっぽど「やりがい」もある。多くの人がブログを書いてみるのは賛成である。それが、独りよがりなものだっていい。書くことで、もう一人の自分が自分をみることに気づき、それが客観視の強化につながっていくのだから。

 自分でやってみる。いかなることでもこれにまさる人生の生き方はない。読むより書くほうが大切である。書くことをつづけていれば、自然と他人の書いたものに目が行き、「どうやって書いたのだろう」という疑問に繋がるから。それって、試験でハイスコアをマークせよという圧力よりもずっと効果的な勉強法だろう。