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ものを教わることができる幸せ

チェロとの格闘

 チェロの個人レッスン。いい歳して下手くそという状態だが、少しずつ上達したい。そう思い続けている。今日は月に一度のレッスン日。これまではレッスンの直前に泣きながら練習して間に合わせていた。だから上達しない。同然だろう。そんないい加減な弟子でも面倒みていただける。先生は人として素晴らしい方なのだ。有り難いことである。
 
 なぜチェロを習うのか。始めたときは、かっこいいなぁという程度のことしか言葉でしか説明出来なかった。しかし、今ではいろいろ考えつく。それは、身体を使うことだからだ。武道やらジョギングやらは始めることが大変で、始めたとしても続かないだろう。しかも、それらをやる喜びを感じるには相当なところまでいかないとダメで、こういうものは有無を言わさずやらされる高校生くらいまでに始めないと無理である。縁の問題である。一方音楽は、やればやったなりに進む。才能がモノを言うところまで進めればいろいろ苦労があるだろうが、30過ぎの人が始めたところで成長の限界は当然低い。おそらく、誰でも出来るところ程度である。そこまでの道のりは単調増加の世界であるはず。つまり、やったらやっただけ出来るようになるだろう。とはいえ、身体を使うことだから思った通りにいかないというイライラと諦めも体験できる。そういう意味で大変都合が良い。

 ぼくの場合、チェロを初めて一番苦労したことは、チェロの演奏についてではなかった。音符だ。ト音記号ならばドレミがわかるのだが、ヘ音記号だとわからなくなる。音符の位置が一段ずれているだけといえばそれまでだが、譜面を見てもなんの音符なのか一瞬では認識できない。困ったものである。やもなく音符一つ一つにドレミファを書き込んでいく。情けない気分になる。しかし、これをやらないと進めない。ならば、やるしかない。

 個人レッスンは45分である。楽しい時間である。とはいえ短くはない。なにせ一曲についてやるのだから長いくらいである。下手くそなぼくの演奏に先生はピアノで伴奏してくれたり、チェロで伴奏してくれたり。ある種のカラオケ状態である。これがバカみたいに楽しい。なるほど、そうか。この楽しさはカラオケで歌う人の楽しさと同じなのかもしれない。

 教室は渋谷のビルの9階にある。明るい部屋である。月謝も高くない。ラッキーなことである。この歳になると何かを人に教わる機会は稀であり、しかも大抵ちゃんと教えてくれない。何かを身に付けるときに人から教わるのと独学するのではどちらがいいか、という問題がある。その答えは状況によりけりであろう。しかし、結果が同じならば楽しいほうがいい。だから、教えてもらえるほうがぼくは好きである。もっとも、これも先生次第かもしれない。人格込みで尊敬できる人から教わる。なんとも楽しいことだ。

 人からモノを教わることを「取引」のごとく考える人がいるらしい。内田樹の本によれば、それは小学生が学校で先生にモノを教わる段階からそういうことが起きているらしい。これは「消費者」というメンタリティーによる行動癖であり、治るものではない。その人の無意識の行動の根底にある「思想」である。長じてから人に指摘されても不愉快に思うだろうし、ましてや治すことは不可能。人生に消費者として登場してしまった人の悲劇であろう。

 お金を出してもどうにもならないことがある。人にモノを教わるのもそうである。教わるには時間もお金もそしてチャンスも必要である。全てがうまくいった状態ではじめて学べる幸せを感じることができる。そういうことを一つでも日々の生活に持っているならば、その人はとても幸せであると言えるのだ。

 尊敬する気持ちというものをどうやったら持てるのか。以前は幼少のころから神というものを崇めさせられることだった。今はそれはがない。だから、自然に感心するよりない。困ったことにそうなるには自分ではどうしようもない。そういう偶然のようなものは、たまたま起きるかどうかである。