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絵画の味

絵にも味があり、段階があるのか

 絵は静かなところで見るようにしている。上野で開催されるなんとか展には一級の絵が来るのだけど、見る場所としては最悪。ウィークディの朝一に一手もおばちゃんで一杯。中に入ると行列ができ騒がしい。行列にならんでいるわりに絵を見てないで話をしている。たぶん、新聞勧誘員からもらった入場券だろう。展覧会の共催に新聞社が入っているのは行きたくないが、大抵入っている。どうころんでも、絵を見る環境にないところで遠くから絵を眺めて終わる。
 失敗したなと何時も思う。次こそは来ないぞと誓ったりする。

 東京で絵を見るのならば、東京八重洲にあるブリジストン美術館が一番である。こじんまりしているし、入場券は高くない。館内は静かであり、いつもおちくつく匂いがしている。警備員もしっかりしている。
 そして一番大切なことだが、一級品の絵がある。なんでこんな絵があるのだろうか、というものばかりである。西洋美術館よりもずっとよい。常設でここまでそろっているのは、日本でここだけではないか。

 休日はここへ出かける。年間パスポートが2000円とお安い。ビックリするような価格である。月に3,4回くるので、すこぶる助かっている。日本橋で休憩する場所として、ここを使っているといってよい。モネの絵の前のカッシーニの椅子で休憩をとる。
 こんな贅沢が許されるのは、ロンドンのナショナルギャリーくらいなものだろうと思っていたが、スケールが日本的であるが、それでも東洋の端に住む市井のぼくでもこんな贅沢を味わえるのだから、うれしいではないか。

 芸術的なものは僕の周りになかった。子供の頃は。下町の子供だから。それでもとくに不幸せなこともない。今の仕事だって、とくに美術なんて関係がない。それでも、寂しいじゃない、そういうのないと。
 そんな気持ちがきっかけだったのだろうけど、東京へ引っ越してきたときをきっかけに美術館へたまにだけど行くようになった。不思議なもので、だんだんと絵に味を感じるようになってくる。きれいとか、明るいとか、絵を評価するための語彙を余り持っていないので、何と表現してよいのやらと思っていた。ふーん、程度であったのだけど、何度も通っていると不思議なことに味を感じるようになる。

 最初はモネの絵がいいなと思った。これは多分に義務教育かステレオタイプの反応であっただろう。しかし、何度みていても、また海外の美術館で絵をみていても、やっぱりいいなと思う。だから、好きなんだろう。
 日の光、水、空、そういうものに味を感じるようになる。おいしいなぁ。サイダーのシュワシュワ感のようなもの、あんみつの甘味のようなもの、そういったものだ。

 今日も見ていた。いつもどおりのたたずまい。ただ、不思議な体験をした。
 ジョルジュ・ルオーの絵をまじまじと見ていた。そのときである。絵と自分の間にある目がねのガラスとか、絵をカバーしていたガラスの存在がまったく感じられなくなった。絵の細部が脳にうつり込んでくるような、そういう感触だった。
 なんでこんなによく見えるのだろうか。筆とかキャンバスとか、厚塗りかげんとかがよくわかる。そして、不思議と記憶できてしまうくらいよく見得た。
 別の絵も見てみた。ピカソの女の顔というものだった。今まで見ていたのは何だったのだろうかというくらい、絵が目の中を通り過ぎ脳にうつり込んでいる。
 なるほど、ピカソの絵はそういうものだったのか。これは凄い。
 ただし、その絵が好きになったわけではないのだけど。

 脳は変化するものだ。知識としては知っていた。しかし、自分の感覚のレベルがより細かく見分けられるようになってきた気がする。今までは一段階しかなかったのが、じつは10段階あったのか。そういう発見である。
 時間をかけると、子供の頃には無縁だったものでも、すこしは近寄れるようになったような気がする。時間は偉大だと感じた瞬間である。