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本で読んだものを自分でもやりたくなる

マネがしたくなっただけなのか、想像力が人を動かしているのか。

 ある人のブログを読む。豚カツを食べて人間らしい心地がしたとある。なんだか無性に豚カツが食べたくなる。とはいえ、通勤時に食べるわけにも行かず、夕飯は食べないで寝てしまうから週末まで我慢するよりない。
 
 あるいは、ベッドで「ののちゃん」の文庫本を読み、突然「チャーハン」が食べたくなることがある。おそらく、きくち食堂の絵に食欲が発火したものと思われる。家の近くに食堂などというものはない。せめて、生駒軒なり来々軒なりの普通の中華屋があってもよさそうだが、入りたいと思えるような店はない。あるいは、テレビで王将がうつると、なんともギョウザが食べたくなる。
 
 実に困ったものである。どれもが他人の行動から欲望が発火し、しかも安いモノばかりと来ている。庶民で小市民のぼくには分相応の欲望なのだが、すぐには実行できないことばかりだ。週末になると普通の店や休みだったりして、なかなか妄想が達成できないときている。
 
 そういう時に有給をとる。なんだか得した気分になる。今日も有給をとっているが、世間もお盆休みだったり、嫁さんもパートに出かけていたりともうひとつの休暇気分である。仕方ないのでたまった読書メモの整理をしたり、こうして滞っていたブログを書いたりする。そして気付くと2時をこえ、太陽は部屋に入らなくなる。もう少し立つと夕方で、なんとくなく一日が終わってしまう。やろうとしたことは、ことごとくできないうちに夜になってしまう。日暮れて道遠し。きっとぼくの人生もこういう感じなのだろう。
 
 さて、何をするわけでもない。読んでも読むかという時間である。あるいはたまったビデオをみるか。周りにはまだ読んでいない本が何十冊(実は数百冊)あるのだが、読みたい本がないなと思ってしまう。自分で読みたいなと思って買ったわりに、時間を持て余すと読みたい気分ではないと思うこの身勝手さ。我ながらびっくりする。
 
 このブログもはっきりとした意図がないまま続けている。なぜ、つづているのだろうか。文章の練習であるのが最大の動機だ。どんな本でも毎日書き続けろとある。司馬遼太郎にいたっても数日書かないと書き始めが苦しかったそうだ。脂汗がにじむくらいというから、書くことは一種のスポーツなのか。すくなくとも、頭には文章モードというものがあるのは確かだ。ぼやっと考えるのではない頭の使い方があるはずだ。
 
 こうして書いている合間に、また古本を3冊も注文してしまった。amazonマーケットプレースや日本の古本屋という存在は偉大である。送料が300円前後するのは仕方ないとしても、いながらにして相当数の本を買えるのである。まったく、僕の資産は古本ばかりとなるだろう。当然、金にはならない。読まないで終われば、全損である。