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起こるべきして起こったことにがっかりする

未来はある程度見えているし予想できるものだと再確認した。

 多分うまくいかんだろう。そう、思っていたことを目の当たりにすると、なんとも言えない気分になる。

 一人でできることとチームでやることとがある。チームでやることでは必ずしも自分の意見が通るわけではない。それに、時間や予算という問題もある。こうすればよくなる、このままでは失敗する。そういう予測が立ったとしても、失敗を回避することができない。ただ、予想通りの展開になっていく様子を渦中にて体験するだけである。まぁ、仕方がない。

 予想したことを他人に話して説得を試みる。このとき、その人間のカリスマ性が必要となる。意見というものは、意見の内容で判断されることはほぼない。顔を知っていればいるほど、内容ではなく誰かどういう血相で話したが判断基準になる。どちらかといえば日陰者であるぼくの説得は、たいてい功を奏さない。おかしなことを言っていないが、面倒なので誰にもわかる程度の論理の階段を引くことはないからだと、実は原因まで承知している。まぁ、仕方ない。

 モノは正直である。機会やプログラムは誤魔化しがきかない。とくに、重いものに絶えて動く機械はバカ正直である。ぼくの忠告はそういう部分に気を使おう、というか、これだめだから捨てて新しいものを作ろうというものだった。誰も耳を貸さなかった。ぼくの役目はプログラムであったから、なかなか受け入れて貰えなかった。しかし、プログラムがいくら動いても、機械がダメだなら全体もダメである。しかも、モノが動かないとプログラムに疑いの目が向けられる。そういうところである。あまりに筋書き通りの失敗に、腹が立ったが、どうにもならない。まぁ、仕方ない。次から少しはぼくの言うことも聞いてくれるかもれしないと期待する。

 武器を持たない予言者は殺される。そう、歴史が教えてくれる。それは現在でも未来でも変わらないだろう。そもそも、武器を持っていたら予言なんかしないし、権威や地位があればさっさと行動している。権威も地位も武力もないから言葉で表現し、人々に教え得るのである。ところが、地位も権威もない人の言葉が受け入れられるわけはない。だったら、予言なんかしなきゃいいのだと思う。とばっちりを何度か体験すると、人と物事を勧めるのが面倒になる。

 ブログというメディアには、そういうやるせないものが結構あるだろう。書いたってしょうがないのだけど、書いちゃうンだよね。これがまた上手でもないのだけど、誰かに文句を言われることもないから書き続けてみようと思う。自分でも満足できるようなものが描けるようになったら、安い道楽じゃないですか。