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神輿に担がれる人を目の当たりにする。

茂木健一郎に罵倒されてしまった(笑)。

 茂木健一郎の講義を朝カルで受講している。一回あたり4千円と高額なこともあるし、そもそも興味があるので授業の内容を「覚えてしまおう」という意気込みである。発言内容を最大限に考えるために、にこにこ笑う余裕がない。一番前の席で単に聞いているということになる。どうやら、それが悪かったらしい。

 講義内容は、ようするに即興である。出し物に近い。構造などない、構成もない。というか、あれは講義という代物ではない。単に、茂木健一郎を見たいから集まっているという感じである。時の人が見れるのだから、それはそれでいい。

 とはいえ、それが続くと「あぁ、失敗したなぁ」という気分になるのは仕方ない。大学でやる分にはいいし、テレビを見るのと同じ感じで受講している人にもいいだろう。しかし、学ぼうとしている人はいいとばっちりである。それはそれで仕方ないと思うこともできるので、腹は立たないのだけど。

 講義の後、当然質問はないかと言ってくる。だから、質問する。今日のテーマとこの講義の内容とどんな関係があるのだろうか? よくわからない関係があるのだろうか、それとも全くないのか。確認の意味で聞いてみた。ところが、これが地雷だった。茂木健一郎は不愉快に思ったのだろう。

 「質問の意図がわからない。そういうシニカルな見方をすると自分が損をする」と半分罵倒口調で質問に答えた。いや、答えになっていないので、もう一度質問を繰り返した。なぜなら、疑問に思ったことを聞いているのであって、別に授業内容を批判しているのでもなんでもないから。

 よくわかったのは、ぼくはKYだとうことだ。ここは、講師を盛り上げる発言しか許容されないらしい。なぜ、実に当たり前のな疑問に茂木が怒り始めたのかといえば、本人もこの授業が実にインチキだとわかっているからだろう。大道芸といういうか、芸能としてテレビ番組として、もっといえば人を楽しませるには全く問題ないだろうけど、これ、授業じゃぁない。ぼくは、質問という手をつかって、暗にそれを批判した。そう取られたのだろう。実に残念なことである。

 意図せず、神輿に担がれた人を見た思いがする。『脳と仮想』までは真摯に考えて本を書かれていたが、売れる本を書くようになってマスコミで取り上げれすぎたことが原因だろうか。あるいは、有名人と頻繁に対談したことが原因なのだろうか。はっきり言えば、現在の茂木健一郎の人気はバブルになってしまった。まったくもって、残念だ。

 そういう背後には電通博報堂や出版などの人が必ずいるものだ。そして、当然この講義にも来ている。茂木はその風貌もといえば髪形を容姿のバランスが一種の「イコン」になって人気を得ている。もちろん、その背後には普通の学者としての見識もある。が、現在の彼を支えているのは学識やアウトプットではない。キャラクターの存在価値なのだ。

 神輿に担がれると、キャラクターを実際以上に面白おかしく増幅される。そして、それに水を差す人を取り巻きだけでなく、本人が敵視するようになる。実に、実に、当たり前のことが目の前で起きている。そういうことであろう。

 なぜ、歴史を学ばないのかとよく思うことがある。偉い人ほど歴史や科学を学んでいればおかしなことにはならないのにと思う。しかし、歴史や科学を学んでいたとしてもエラクなったら皆同じになるのかもしれない。自分が持ち上げられているという体験を初めてする人は、何を学んでいようとも同じ反応をするのだ。だから、歴史は結局繰り返すのだろう。