HOME > 2008 > 01 Aug

新聞は読んでいない。そのうちテレビも見なくなるかも。

意図を押し付けられるから面倒なんだ。

 そういえば、もう7,8年新聞を取っていない。読んでもいない。
 
 なければないで困らない。新聞を読まないで損をしたという経験はない。別に頭がわるくなったという思いを体験していないし、世間の流行に乗り遅れたこともない。社会の細部の出来事を新聞で知ってどうしょうという気もなかったので、知らなくていいことを知らないで済んでいるということだろう。新聞は僕には必要がないことがよくわかった。
 
 新聞がなくて困らないのは、テレビなりネット也があるからだ。テレビは見ない日があるが、ネットは毎日つなげており、ネットニュースをちらちら見ている。新聞を斜め読みしかしなかったのだがから、ネットニュースのタイトルだけ眺めるので十分ということだ。代替物が只から助かっているというところかもしれない。それぞれが只でなくなったら、また新聞の必要がでてくるかもしれないが、深刻なエネルギー問題が今日明日にでも起きない限り、今後はネットに移行するのだろうと思う。新聞の時代は終わったのだ。もちろん、新聞記者の仕事はなくなりはしないと思うけれど。
 
 新聞そのものが嫌いなのではない。それを作っている新聞記者が嫌いなのでもない。新聞記者あるいはマスコミという無謬性の上にいる存在が嫌いなのだ。何をしても誤ることはない。たまに謝罪がのることがあるが、あれは仕方ないので最小限の言葉を並べているだけだ。むしろ、彼らは怒っているのだろう。

 普通に生活するために、どれだけ情報が必要なのだろうか。本当に知らなければならないことはないか。情報も価値の問題があるから、万人に必要なものなどない。大切かどうかは、感情の問題である。結局のところ説得することはできない。そういうことを理解して記者をしている人はいないだろう。

 しかしなんだ、こうして不愉快の対象について言葉を連ねる意味は一体なんなのだろうか。嫌な対象ほど永いこと考え込んでしまうのは精神を痛める原因にしかならない。ブログは独り言の延長だから、こうして言葉にしてあらためて自分の考えていることを知ることができる。