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今になって再び授業を受けてみると

自分なりに授業はこうあるべきだということを考えてしまうから不思議だ。

 秦剛平という旧約聖書の専門家がここ数年、『〜を美術で読む』という著者を毎年出版している。ずいぶんと偉い先生だし、専門分野が分野だけにお堅い雰囲気の本ではないかと想像するかもしれない。

 しかし、そうではない。普通の人に理解してもらおうという語りの本なのだ。しかも、下目線ではない。同じ目線なので、読んでいても嫌な気分にならない。「先生、質問があります」と手を上げたくなってしまう。
 
 どうしてまた普通の人向けの、しかも面白い雰囲気の本を定期的に出版するようになったのだろうかと疑問に思っていたのだが、どうやらこの本はカルチャーセンターでの講義の内容をまとめて本にしたようである。

 なるほど。相手がカルチャーセンターの聴講者ならば、時間を持て余した爺さんか(こういう場所で婆さんは出没しない、不思議だけど)有閑マダムであろう。となれば、高尚さや抽象的な説明がないはずだ。なるほど。出版時に注意を払えば、ウィークデイの昼間にカルチャーセンターに通えない普通の人でも、週末にソファーでごろっとしながら読むにはとてもよいものになる。
 
 秦剛平というひとは結構な歳だろう。山本書店でも著作があったくらいだ。こういうスゴイ人には生きているうちに教えをこいたいものだ。大学に通うのは難しい、どうしようかと悩んでいたら嫁さんがアドバイスをくれた。そのカルチャーセンターにかよえばいいじゃん。なるほど。

 早速、嫁さんが朝カルで講座があることをインターネットで探してくれた。時間をみると金曜日の午前中だ。うーむ。よし、午前中2時間の休暇をとれば通えるぞ。ということで、新宿住友ビルの朝カルへ通った。
 
 7回の講義のうち4回しか受講出来なかった。しかし、完成度の高い授業をされる。真の学者の講義とはこういうものなのか。ごく普通の人に対して、手を全く抜いていない。今はインターネットで写真を簡単に無料で手に入る。だから、スライドも豊富につかえる。google imageだけでも十分といえる。

 講義内容にあった写真を見て、ビデオもみて、そして本を読んでいるかのような明解でかつ論理的な日本語での講義。かくも講義とは有益なものなのか。20代全部を大学の学生として過ごしたぼくには、驚きだった。

 朝カルではもうひとつ講義を受講しはじめた。茂木健一郎の「脳と音楽」という講座。どこかの大学院の授業との合同なのか、大学生やOL風の学生さんで教室が一杯だった。今日は暑くて夕立もあったせいだろうけど、空気はまさにムンムンしていた。テレビではよく見かけるが、どんな人なんだろうか。

 講義が始まった。Macを多用している。画面をプロジェクターにつなぎ、EMobileかなにかでインターネットにつなぎ、ブラウザをつかって画像やら動画やらを見せる。映画のワンシーンを見せたいときはDVDをMacに入れる。いわゆる黒板というものの役割が大きく変わってしまい、他人のパソコンの画面をのぞき込んでいるような気分がする。今の大学院の授業はこういう感じなのかもしれない。

 ちょっとまて。これでは教師が何を伝えたいのか、ゆっくり考える時間がとれない。目の前で画面がちゃらちゃら変わっていいくから退屈しないし、面白いけれでど、これは「考える」クセが全く付かないような気がする。教師は楽だろうけど、相当できる生徒でなければ、「講義」としては成立しないのではないか。

 一応手元にはnatureからの論文コピーが配布されている。そのトピックを演壇から紹介する。話題としては新鮮なものだと言っている。そりゃそうだろう。しかし、この論文の内容をコアとした授業だとしたら、あまり成功しているとはいえない。確かに、論文はsmall worldの話で、人々は皆違っていいという話をしたいのだろうし、その意味では関係する内容を茂木健一郎は話いるのだが。

 いや、これはおかしい。講義の中のトピックは構造化されていない。いや、これは単なる「連想」に過ぎない。結論は決め手から話をしているのだろうけど、それにしてもそこへたどり着くパスは、あまりにも連想によるつなぎにすぎないではないか、
要するに、理路整然とは話すつもりはないのだろう。

 この授業のスピード感、ぼくはいかなる授業でも体験したことはない。たしかに、エネルギッシュだ。しかし、この内容を話すだけならば、2時間はいらない。じっくりと考えてから同一のマテリアルで話をするだけなら30分も要らない気がする。なぜなら、内容はとても薄いから。

 朝カル向きに、先のnatureの論文の内容のたとえ話をして説明していたが、あれはミスリーディングなものだ。ちょっと考えるとおかしなことを言っている。勘違いするんじゃないか? 協力するか非協力するか、ということを善人と悪人にしちゃっている。だめだよ、それじゃ。なぜなら悪人同士でも協力しあうはずだから。そうもって、軽ーく質問する形で間違いを指摘しようとしたが、茂木に構えられてしまったし、全体の雰囲気も「止まって」しまった感がある。KYということか。

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この本はいいです。
 
 
 
 
 

 この2冊は宗教に興味がないが絵画についてちょっと知りたいという人に持ってこいだ。ソファーにねっ転がってワインでも飲みながら楽しく読むことをお勧めする。