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イスラエルとアラブの折り合い

ニュースを聴いていて思うけれど、ダイナミックな解しかないのだろうな。

 BBCのポッドキャストでニュースを聴く。アフリカの問題と中東の問題はいつも流れている。ワールドのニュースということだが、アフリカと中東までがイギリスからみた世界のようで、相変わらずヨーロッパ人は地中海世界のなかで生きているのかもしれない。
 
 中東については、日本での扱いはイスラエル対アラブ、アメリカ対イラク・アフガン・イランという構図で報道されていると思う。たまにしかテレビを見ないので自身はないが、そんなにはずしていないであろう。まぁ、複雑な問題がいろいろあると背景説明を加えたとしても、視聴者はこの構図にニュースをしまい込むので、結局イスラエル対アラブ、全く困ったものだという発想をしているだろう。
 
 全く困ったものだ、みんな仲良く。そう思っている人がいる。とくにおじさんあたりは。仲良くしていないと、あいつらダメなヤツだと見下げる人だ。こんなところが平均的な日本人の考えるところだろう。もっとも、自分たちは隣国との間で決して「仲良く」なんかしていないのだけど。
 
 定常的に仲良くする。しかし、仲良くするのは「たまに仲よくなる」という方法もある。一生仲の良い友達、という人がいるかもしれない。べたべた一緒にいて仲が良いという状況は何も考えない子供の頃の友達関係にしかないだろう。40年も親友だという人がいたとしても、それは別々の仕事で生きいるはずで、顔を合わせて話すのはたまにだけだろう。

 ずっと仲がいいと主張する人たちの関係も、フタを開けてみれば「たまに合うときいつも仲がいい」というものだったりする。調べていないから、ぼくの勘違いかもしれないが、藤子不二雄みたいな人はそういないはずだ。
 
 イスラエルとアラブであっても、場所的に離れていればお互い「変わった人なんだよね」といって、うまい対処方法を確立していただろう。現にヨーロッパ諸国とアラブはそれなりにうまくやる方法をみつけている。たまに会って、あとは離れていればいいのだから。
 
 しかし、毎日顔をあせるように近くにいるとそうはいかない。どうやったって、うざったくなる。だからケンカする。生物って、そういうところがあるのだから仕方ない。棲み分けが果たしてきくのかどうかといわれると、所詮人間は同じ種族だからリソースの競合が必ずおきる。となると、いざこざは起きる。
 
 両者は「リソース競合」で憎しみ合っているという面がある。もちろん、それにくわえ宗教の対立というものがあるだろう。しかし、結局はずっと住んでいた土地から政治軍事力で追いだされたということにたいする問題で、それを周りのアラブ人が見かねて怒っているという構図なのだろう。このあたりは、東京と大阪人に置換えて、土地の奪い合いだと思えば容易に理解できる。かれらは何も特殊なことをやっているのではない。
 
 人の行動はその人たちの特殊性で説明されなければならないものでもない。特殊なところは目に入るが、だいたい人間は生物学的には似たようなものだ。となれば、国や地域レベルのいざこざも、自分の友達のなかでの関係に似たようなものを探すことができるはずだ。
 

全滅か振動かの二通りの様相

 完全に対立する人たちの今後はどうなるのか。仲良くなることがありえるのか。

 ないだろう。あるとすれば、当事者たちに普遍的に存在する考え方が変わらないと現状のままだろう。つまり、戦い会うということ。そして、どちらかが臨界量よりもすくなくなったらそちら側が絶滅するだろう。一方、シーソーのような状況ならば争いもシーソーのように続くだろう。つまり、その状態が「解」ということなのだ。

 アラブの人がイスラム教に価値を置かなくなるとか、ユダヤの人がユダヤ教をナンセンスと思うことがおきれば話は別だろう。実際、高度文明社会の恩恵をその人たちが受ければ価値観がかわってくるかもしれない。たとえば、携帯電話を子供でも持つようになるとかYouTubeにはまるとかすれば、子供から違う価値感の人が登場し、30年もすれば違う社会になるかもしれない。これは、実際には進行しつつあるかもしれない。

 考えてみれば長いこと争いをやっているのだから、今日明日に変わるとも思えない。イスラエルの問題は、土地の問題でもあるのだろう。ならば、生きている人がいる限り災難があるわけで、同じ宗教の人を兄弟として大切にするイスラムの人はイスラエルの人にケンカをしかつづけるだろう。

 困ったものだといえば困ったものだ。しかし、そういうところなんだからしかたない。第三者が割って入っても、原理的なコンフリクトを解決しないならば仲裁は一時的で無意味なことだろう。となると、構造がかわるような手はずをうつか、さもなければ見ているよりない。

 人の争いは必ずしもすべて解決できるわけではない。この問題のように、片方が全滅するか優性と劣性を繰り返すということが解というものもあるのだろう。



 そう思っている。とすると、なぜまたBBCは報道し続けるのだろうかとも思う。どうにもならないことをずっと見続けるということも大切だということなのだろうか。

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