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本の中の友人

くらいとか、そういう問題でもない話

 あえて、暗い、と言われることを言う。現実世界の友人には限界がある。人の問題ではない。出会いの問題である。

 友人になるならないは偶然のきっかけが左右する。生きている時代、住んでいる場所、子供時代の環境、社会人としての仕事などいろいろな要因によって、どういう人と友達になれるのかが決まってくる。逆に、どういう人と友達なのかで自分も変わってくる。

 自分で選択できる範囲はすくない。最後のYES/NOくらいである。こういうことを言うと、暗いヤツという評価を貰うことになる。しかし、自分が興味をもっていることを共有できる人やいろいろなことを教えてくれる人、あるいは教えてあげられる人はそんなに多くない。現在よく顔を合わせる人だからといって、友人なのかと答えると愛想そうでそういう人しかいない場合が結構あるものだ。

 同様のことが先生、師についても言える。よき師に恵まれた人はラッキーである。本当に。財産だから。そうではなかった人も多いであろう。いい先生だったけど、結局は音信不通になってしまい結局今現在師と呼べる人がいない。そういう人もいるだろう。

 それは残念なことだ。しかし、仕方がないことだ。自分じゃぁ、どうにもならない。そういって暗くなるのも悪くないかもしれないが、それでは面白くない。自分の人生は自分で面白くするよりないのから。

 では、友人や師が不在の人はどうすればいいのか? 探す。それも人の解ではあろうが、なかなかうまくいかない。少なくとも、すぐに解決できるものでもない。 では、どうするか? 月並みだが、時間と空間を越えて友人や師を探せばいい。その場合は友人は難しいだろう。なぜなら、一緒に成長するというファクターがなくなる。なので、師を探すことの諦める必要があろう。それはそれで仕方がない。

作品と作家に注目すると、人生ヒマなしになる。本当だ。

 人に会って話を聞く。直接教えを受ける。それは効果的なことであろう。そういう人と出会えれば、であるが。しかし、普通はそういうチャンスはあまりない。だからといってぐれても仕方がない。確かに教えて直接受けるのはインパクトが大きいし、憶えようとしなくても憶えてしまうことができる。そういう意味でいいことなのだが、インパクトが若干弱くても、学んだをとを忘れやすくとも、ないよりあったほうがいい。そういう一番現実的な方法は、本から学ぶことだろう。分野によっては絵からあるいは音楽から学ぶことかもしれない。
 
 そもそも、自分が何かをしたい(作品を残したいを含める)のだとすれば、それを上手にやっている人が師になりうるわけである。才能や運に恵まれないひとだって、目標を目指すことが物理的に社会的に、もっといえば、金銭的時間的に許されるのならば、やればいい。それが将来モノになろうがなかろうが、やりたいのだからやればいい。だって、それがその人がやりたいことなのだから。
 
 ぼくは本を読んで自分の師となる人を探している。これだ、と思った人は本を読み自分で考えることで弟子になった気分になる。これはまったくの想像力である。赤毛のアンのような想像力は要求されない。普通に、だって実際にあえないんだもん。という態度でいい。それでも、学びたいからね。本でいいじゃないか。
 
 そう考えると、感激した記憶がなくとも今思えば自分を変えた出会いが本の中であったなぁと思うことがある。ぼくは本を読む習慣は大学受験浪人になるまでなかったが、そういう時期に読み始めた本が今の自分を作り上げていくもとになったことを知っている。これが小学・中学・高校生の頃に出会った本ならば、もっと影響力があったのだと思う。
 
 好き嫌いで本を読むのは当然である。そして、何冊も読むうちに自分の師だと思うような著者が浮かんでくる。そうなると、その人の本は全部読みたくなる。そして、その人の考えかたを自分に身に付けようとする。自分に光かなくとも、その人ならばこうするだろう、ということが想像できるようになる。
 
 そしてあるとき気付く。そういう人っていっぱいいるんだってことを。読めば読むほど学べるのだが、そういう本がやたらたくさんでてくる。それはなぜか。
 
 大抵は本のなかで推薦されている別の著者の本を気に入るということが発端である。それで推薦されていた本が気に入るようになる。この時点で師が増えたことになる。そして、その著者から別の著者を推薦される。こうなると、爆発現象のように増える。
 
 本を読むのと人から直接話を聞くの違いを想像する。質問出来ないだけのような気がする。本の方がずっと長い時間話を聞けるわけだし、読む方が聞くよりも情報量が多いでより多くの話を聞いたのと同じだろう。だから、どっちでもよくなる、そのうち。
 
 実際の友達と会って話をするのが楽しいならばそうすればいい。しかし、そういう友達がいないのならば、無理に飲みに行く必要などない。単純に自宅に帰って本を読むことで話を聞くことにすればいい。それって、現代だからできる大変な贅沢なのだと思う。コストもエネルギーもかからないのだから、大いにやるべきであろう。
 
 孤独感というものは、あまり感じない。だって、読んでいるときには面白いのだから。人と関わっていないとたえられない人のほうが今の社会には多いのだろう。なぜならば、いつもケータイの覗いてメールをしているから。そういう生活をつづけていると、いったいどうなるのか。まぁ、ぼくには関係がないのだが、面倒なことに巻き込まれたくはないから、そういう人からはなるべく離れていることにしたい。
 
 本の中友人は、時代も空間も越えてくるし、翻訳を読めば全部日本語で話しかけてくる。同時代に生きていてもあえなかったであろう偉大な人の話もきけるのだ。こういう話を昔聞いてもピンとこなかっただろうが、今はよくわかる。歳をとるということの有り難さである。

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