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vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

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シーシュポスの神話は不条理でもなんでもない。

腹は毎日減るだろ。いくら食ってもさ。

 賽の河原の石積み。ある大変に労力がかかることを成し遂げても、それをその瞬間破壊される。そして、ゼロから再び実施する。それを永遠と繰り返すこと。重い石を山の上まで運ぶことを仕事としており、苦労して上まで運んでも、その指令者が石を下まで落としてしまう。あるいは、穴を掘ることを命令され、苦労して実施したあとにそれをうめることを指令される。その状況繰り返し。そういう不条理さをさす表現方法のこと。

 こういう状況はある特殊なとき、精神的な死刑を執行されるようなとき、に遭遇する。あるいは、社会のなかで普通のサリーマンが疲弊する原因に近いものがあったりするのかもしれない。いずれも、不条理であると言いたいわけだ。そんなことが人の世にあってたまるかと。そういう意味合いで使われる表現だ。

 でも、珍しいことではないと思う。だって、どんなに飯を食べても腹は減るし、どんなに寝坊してもその翌日はまた眠くなる。何かを入力し、それを原料として活動していくような場合、ようするに生きている場合にはシーシュポスの神話が見受けられるだろうと思う。戦前戦後の一時期ではないから、腹が減ってどうしようもない、という状況にはあまり遭遇しなくなったけど、都市部で災害でもあれば全員が感じることだろう。

 なんで食べても腹がへるのに食べるんだろう。なんであれだけ昨日寝たのに眠いのか。普通の生活していたっていろいろ疑問に感じることはあるだろう。そういうときに僕はシーシュポスの神話のなかで生きているような気がしてくる。それが不条理だとは思わないけど、仕方ないとは思っている。

 月並みな感想だけど、腹が減って減ってという状態になると、いつまでも生きていられるわけではないなと思い出す。

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