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vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

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何が好きなんだろうと考える

一番長くつづいたものが正解

 休日の午後など、とくに何もやることがない時間をつくっておくとよい。休暇をとるとか鋭気を養うなどという目的ではない。ぼやっと考えるためである。ぼくは何がすきなんだろうかと。

 自分について考えるには注意が必要である。着陸点を持たずに、ぼくは一体何がしたいのだろうか、などと考えても答えは絶対に見つからない。そういう問いは、ときには必要だとは思うけれど、考えたかいがないから。哲学である、などと意気込んで考えるのならばそれは道楽で、考えることを自体を楽しむ人でないかぎりお勧めできない。この手の問いは、何をどうやって考えたらいものか皆目検討がつかないものだ。さて、カンガエルカと思っても何を考えていいのやら。考えようがない。一体全体どうしたものか。他人はどやっているのだろうか、などと妄想しているうちに意識が遠のき昼寝になってしまう。いったん昼寝をしてしまうと、あまりやる気が起きなくなる。音楽を聴くか本を読むかするうちに、夕方になってしまう。

 こういう場合確実に答えが出せる方法がある。考えるのではなく、思い出すのだ。何が好きなんだろうなどと考えても良い答えが浮かばないだろうから、その場合は今まで何をしてきたのだろうかと思い出す。これは確実に答えがでてくる。最近のことでも、ちょっと前のことでも、10年前のことでも、20年前のことでもよい。憶えていることだけ、思い出せば良い。何もアルバムやら記録やらを探る必要はない。

 するとなんだかいつも同じようなことばかりやっているなと気付く。具体的な内容は人によって違うだろう。模型作りか、旅行か、あるいは本読みか。おれって進化しないなぁ、とため息ができる。という状態になったらしめたものだ。それが回答なのだから。結局いつも同じことをしているのならば、それは長く続いているものであって、それが自分の好きなものということになる。

 長く続けることは大変なことである。普通ならばスゴイ努力を要する。自分に合わないことを続けていると、精神に異常をきたすか、ストレスで身体を壊すことになる。そして、そこで終了する。そもそも自分に合わないものを続けることはできない。できないのが人間だろうとぼくは思っている。ちゃんと適用というものが働いている。人だって野生動物なのだから。

 その結果判明したことは、自分が好きだとおもっていたようなもの・ことではないかもしれない。しかし、イメージと現実は違う。しかも、「これ好きだな」と思ったものばかりが好きなのかはわからないではないか。地味に地味に好きなものというものはありえる。そして、地味だからゆえに自分でも好きだったと気付かないこともある。

 好きものとはどういうものかよく考えてみる。たいていの人は好きなことと「ワクワクする」ことと勘違いしているのではないかと思う。旅行へ行くときにワクワクする。しかし、結局1,2回行っただけで終わったしまったのならばそれは好きな場所ではなくて、ワクワクしていたに過ぎない。それは未知なことにワクワクしていたにすぎない。それよりも、どうしてきちゃうんだろうなここ、というようなところが好きなところで、それはあまりぱっとしないところかもしれない。

 好きな店を考えてみる。結局若い頃から何かと行ってしまう店、無意識に足が向く店が好きな店である。その店はぱっとしないものかもしれないが、ぱっとしないにもかかわらず長いこと営業しているのならば、良い店なのだ。多いのリピーターがいるのならば良い店だ。このことも、長く続いたことは好かれているものだということを示しているようだ。

 これまで長く続け来たことは、そのまま続けるほうがいいのではないか。それが人生のうま味なのではないか。そう思っている。

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紅茶を飲んでぼんやりしていると
心に浮かぶ風景

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コンサート会場ではない
 
これは隅田川花火大会の混雑である。
毎年行ってしまう。
というか、実家が近くだから。
 
家からでも十分見えるのだが、
やはり言問橋の上で見なければ。
この混雑もわりと好きだ。
 
しかし、今年は往けない。
いけないとわかると恋しくなる。
そういうものだ。