Scienza / Foglio

vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

IMG_2173.JPG

HOME > 2008 > 14 Jun

楽器に慣れるのも時間がかかる

1万時間という閾値

 チェロを習っている。とくに必要になっているわけでもないことなのだが、チェロを弾いてみたいと突然思って、それから月に1度の時間で練習をしている。もう、6年くらいになる。ずいぶんと時間が経ったことに気がついた。小学校を一回分やったわけだ。
 
 だからといって上手になっていない。月一回の練習で上達するとは思えない。同じところを行ったり来たりするだけだ。その程度の腕である。取り立てて人に自慢するようなことではない。電車の中で英会話レッスンの広告があるが、週一でも対して上達しないであろう。それでもあれだけ宣伝するのは、もはや詐欺ではないだろうか。先日問題になっていた「水だけで動く自動車」というニュースと同じで、だれかがが騙されることでビジネスが成り立っているような、そんなものなんじゃないかと思えてくる。いや、言い過ぎだ。毎日練習すれば、良くなることは確かだからだ。

 チェロなど自分の身体の動きそのものが意味があるものは、自分が身体を動かさないと話にならない。文字通り、話にならない。先生は言葉で教えてくれる、実演してみせてくれる。しかし、そこまでだ。トイレには自分で行かないと意味がないのと同じで、自分が練習しないと意味がない。これは誰だってわかっている。しかし、そうは言ってもできないでいる人が多い。大抵の人はそうである。これはつまり、「わかって」いないのである。

 一万時間の練習を積む必要があると、先生に言われた。と同時に、10年やらないといけないと言われた。人の倍練習すれば、確かに上手になるが、だからといって時間を先回りすることはできない。練習量と同時に、時間もかける必要がある。なぜならば、脳が変化するのには時間がかかるからだろう。子供は栄養を与えてたって、成長するまでの時間が倍速になることはないのと同じというわけだ。

 なるほどと思う。四十過ぎの手習いということばがある。これは、10年かかったら50だろうということだ。努力を重ねても時間が必要だというのであれば、40ぐらいに開始しても身についたときには手遅れになっているということを言っているのかもしれない。もっとも、何歳で手遅れにするのかはその人が決めることだ。いつまでも生きていられないのだから、まぁ、出来るようになったあとの人生を楽しむためには、40ぐらいが一杯一杯ということなのかもしれない。

 ものごとには、努力だけではどうにもならないことがある。そういうことなのだろう。実に月並みな結論に至った。まぁ、でも、この理解は人の受け売りではない。自分の経験から言える確信なのだけど。


LinkIcon目次へ || LinkIcon前へ | LinkIcon次へ

紅茶を飲んでぼんやりしていると
心に浮かぶ風景

IMG_5464.JPG

 

エーゲ海の日没
 
トルコの山の間に日が沈む。
一応、エーゲ海の日没である。
こういうものなのだ。
 
風がさわやかだ。
手元のワインもおいしい。
意外な経験である。