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どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

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エッセイと詩の違い

自分なりに違いを定義する

 エッセイと詩の違いは、読んだ時の印象にあると思う。論旨や言葉遣い、反復などの形式や韻などによって分類するのが普通なのだろうけれど、そんなことを考えなくても、それを読んでいるときに「なんだか気持ちいいな」と感じているかどうかで分類したほうがいいのではないかと思っている。きっかけは、エッセイであるような顔をして、じつは詩として読者を惹きつけているようなものが結構あることに気がついたことだ。

 エッセイは論理をつかって論旨を構成している必要があるとどこかで教わった。ぼくの勘違いかもしれないが、何らかの対象について、テーマについて自分の考えた内容を「論理でもって相手に納得させようとする試み」ならば、それはエッセイであるというもの。もっとも、論理があれば分かりやすいというものではない。だから、エッセイであっても分かりやすいもの分かりにくいもの、面白いものつまらないものとたくさんあるが。

 エッセイなら論理なのかというと、そうでもないものが結構ある。日常のこまごました体験を書きつづったものなどがそうで、相手に伝えるものがそもそも「感情の断片」だったりすると、論理で伝えることがそもそも難しい。そういうエッセイは、自分が体験した状況を言葉で再現し、読者も同じような気持ちになることを期待するという方法をとることになる。もっとも、多くの人の持っている記憶や体験は人それぞれなので、言葉でかかれた状況を読んだとしても連想する事柄は多様であり、同じような感情を湧きおこすことはできないかもしれない。そういう人にはこういうエッセイは全く通用しなことになる。

 詩の定義をぼくは聞いたことがないが、おそらくメッセージの内容が「感情」なのであろう。つまり、自分が感じている(あるいは感じた)ことを言葉を媒介として相手に伝えるもの。それが詩なのだろうと思う。手段や形式によってではなく、目的・意図によって文章が詩なのかどうかが決まるのだと思っている。だから、論文の形態をとっていても、論理で相手を納得させいようとしても、目的が感情の伝達であれば、もっといえば、クオリアの伝達であれば、それは詩だ。音を使えば音楽になるし、絵を使えば絵画、人の動作を使えば芝居にという芸術になる。みな、同じことを目的としている。手段が違うだけだ。

 今日、清洲橋で見た夕日はとても綺麗だったな。これをブログに記録しておこう。そのとき、そのブログのエントリーは詩だと言っていいだろう。いくら橋の形や夕日の色について説明していても、目的が「感情」になるから。もし、そういう文章を上手になりたいと思うならば、文章の訓練よりも詩を勉強したほうがいいかもしれない。別に、「詩」という形式のものを書かなくても、どうやって感情を表現しているのかはエッセイを読むより詩を読んだほうがいいから。

 詩をいくら読んでもエッセイは上手にならない。もし自分が好きなエッセイが「読んでいて気持ちな」と思うのならば、それはエッセイではなく詩なのだから、いっそ詩を勉強したほうがいいだろう。どちらがいいのかは、言葉にする内容が何かによるのだ。