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vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

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遊ぶとは酒を飲むことばかりではない。BLOGも遊びだろ。

BLOGもデジカメも絵も旅行も全部遊び


 社会人になると不思議な会話をし始める。

 「よぅ、久しぶり? どう仕事は? 最近遊んでるん?」
 「まぁな。適当にやっているよ。ゴルフに行く時間はないけどね。新宿あたりで飲んでるよ、ちゃんとね。」

 ちょっとステレオタイプな会話だったかもしれない。しかし、そう外れていないだろうと思う。
 昔っから疑問だったことは、なぜ社会人になったあとの「遊び」は「飲み」なのだろうか。友人と飲みに行く。それはそれでよい。話をすることは楽しいことだ。お酒が好きならなおさらそうだろう。
 でも、それって遊びなんだろうか。で、どうしても誰もそれに疑問を持たないんだろうか? いや、おかしいと思っても話は通じているからいちいち指定するのは野暮だからやり過ごしているのだろうか。

 まったくバカ野郎だろう。飲みは飲み。遊びって、飲みを含めないだろう。食事をするのは遊びではない。食べないと死んでしまうから。もちろん、贅沢品を漁ったり、グルメになったり、お気に入りのラーメン屋に通うことは生死とは関係ないが、こだわりではあっても遊びではないだろう。
 遊びについてくどくど言うのは野暮だけど、あえて言うならば「完全に必要ない」ことをあえてやることだ。子供の頃の遊びは、完全に遊びであって、時間の消化方法の一つだったはずだ。安全にいてくれさえすれば、親は子供が遊んでいればそれでよかった。
 もうひとつ遊びで大切なのは、遊んでいるうちに学ぶことが多かったことだ。缶蹴りや悪漢探偵をやっていても、何やら学ぶことがあった。子供だから何も知らんのだし、友達と社会のなかでなにかをしていれば結果的に学ぶことになったのだ。それが遊びだった。
 では、「飲み」は遊びだろうか。時間潰しにもなるし、結果的に学ぶこともあるかもしれない。でも、「気付いたらそうなっていた」というものではなく、あえて時間を潰すことや友人と情報交換することはすでに目的を持った行為になっていて、遊びではない。
 ぼくは思うんだ。遊びに飲みに行くことを暗黙の了解としている人は遊ぶことができないし、遊んでいない人なんだ。そして、その人は決して何かをこれから学ぶことはないし、面白い人になっていくことはないだろう。

P4062326.jpg こうしてブログを書いているが、これはれっきとした「遊び」だ。友人に「最近遊んでいるか?」と言われたは「もちろんよ。ブログやっている。意外に面白いんだ。アクセスは無いけどね」と答えることにしている。そして、その友人にアドレスは教えない。だって、ブログ書きは友人への近況報告ではないのだから。
 そう、ブログは新型の遊びなのだ。オッサンたちがゴルフをやるのとなんら変わりない。ゴルフとちがって、ブログ書きは昇進とも営業とも接待とも関係ないし、友人ができるわけではない。奥さんから歓迎される遊びでもない。もっとも、だからこそ遊びなんだ。
 でも、そういうとらえ方をしている人はどのくらいいるのあろうか? ブログというと情報リークや自己表現方法だというようにとらえられる。雑誌や本を見ていると、芸術のような香りがする行為だと思われているかもしれない。
 しかし、普通の人が突然そんなことに目覚めるわけはない。ただし、アクセス数を増やして小遣い稼ぎということを真剣に考える人がいないとは言えないが。
 ブログを勉強のような行為で始める人はいるだろう。はやりに乗るという人も。でも、それだと長続きしない。
 なぜなら、行為そのものが目的になっていないから。ブログの結果何かを得ようとしている人は、つづかないだろう。なぜなら、ブログを始めたからといって、何かが変わるわけではないから。芸能人と普通の人はその辺りが決定的に違うのだ。
 逆に長く続くけるコツがあるとしたら、それは行為そのものを楽しむことだろう。こうしてページを作っていく、ということそのものが意外に面白いのであって、アクセス数がかせげればさらに面白い。ただし、アクセス数を稼ぐことが目的になると途端につまらなくなる。
 むかし、「マンガをテストに出したら、マンガを読む奴はへるだろう」ということを森毅の本でよんだ。全くそうだろう。娯楽って、行為そのものが楽しいことなのだ。

 ページを作るという行為を続けていると自分に変化がでててくる。それは、紙面やWWWページについてなんとなく「うまいなぁ」「へただなぁ」という評価が自然に浮かんでくる。「なるほどこうやるのか」などと一人で感心できる。
 今まで見えなかったことが見えるようになるのは、これすなわち勉強。勉強の愉快さそのものだ。勉強の面白さって矛盾しているいいかただけど、勉強が出来るようになてはじめて「愉快だなぁ」と思うものだ。途中でやめるとそれまでの時間を含めてつまらないことだけが残るし、なぜ勉強なんてするのか理解できないだろう。
 ブログを続けていると、たまに「これはうまくできな」と言えるものができる。単純だけど、それはうれしい。何度でも見てしまう。そして、今度はこうしようなとど考えたりする。
 今度はこうしように、新しい技術が必要になる。写真だったり絵だったり音楽だったり。今現在そういうことは出来ないけど、きれいなページを作りたいから勉強してみょっかなとなる。動機が遊びなだけに勉強することも遊びになる。絵を書くことも、楽器を練習することも、そして、本を読むことも。全部、時間を楽しく過ごすための方法になってしまう。
 そういうところがある。勉強にはそういうからくりがある。しかし、そもそも勉強の楽しさをしらない教師から教わる機会しか得られないと、そんなことは想像できないだろう。

 デジカメを趣味にする。その動機は単純で、綺麗な写真を自分でとってページに貼り付けたいから。著作権なんて一切気にしなくていいし、勉強していると目が越えてきて、いろんなことが見えてくる。これがまた楽しい。
 この一連の活動を遊びと言わずしてなんと呼ぶ。酒を飲むこととは全然違うけど、誰がなんといおうと遊びである。
 そして、この遊びは別の遊びに容易に飛び火するし、結果も残るし、比較的お金はかからない。
 今まで以上に言葉を使い始めるとすぐに気付く。なんだ、自分は対して日本語ができるわけではなかんったなぁと。