Scienza / Foglio

vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

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上達しているような気がする

もう何枚か練習してみると上達した、と思っている


 毎日1枚ということで、もう2枚ほど絵を描いてみた。

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 果たして上達しているのか? と言われるとYESと答える。絶対的な上手下手ではなく、変化についてならばYESである。こんな絵であっても書いていると「あぁなるほど、こうすりゃいいのか」というところがある。次に描くときはそのあたりを気をつける。すると少し良くなるという連鎖が、描くはしから体験できる。
 同時に、上手な人との違いも「わかる」ようになる。どうしてその絵が上手なのか、ばっちりと見えてしまう。何がダメなのか、どうすれば良くなるのか。これについて自分なりの回答を持っている人は絵にはまるはずなのだ。その2つの疑問はテレビゲームの魅力と同じなのだから、魅了されない人の方が少ないはずだ。


 では、この先どうなるのか。そんなことを考える必要はない。絵を描くことは遊びなのだ。日本では何かを始めると大抵精神修業の道をとらざるをえなくなる。道を究める人が正当でそうでない人は存在の必要なしと、誰もが言っているような気がする。そんなアホな話はない。どういう方法でやろうとも構わない。遊びでやることも構わない。
 逆の見方もある。動力は報われるべきであるという考え方だ。努力した人は報われ、そうでない人はダメになるべきだ。精神修業をするようなまじめな人が上達し、遊びでやる人は失敗するべきだ。だから、遊びでやってもムダというようのだろうか。
 しかし、世の中そうなっていない。訓練に耐えてやる人も遊びで楽しくやる人も結果が全てである。結果を求めている場合は経路によらない。そういうものである。
 そして、結果を求めない人も世の中にはいて、過程が好きな人もいる。そういう人は結果はどうでもいいのだ。


 不愉快なことを自分で増やす必要はない。ぼくは描くことは面白いと思ったのだ。そして、見様見まねで始めて意外に面白いと思っている。それでいいじゃないかと思う。