Scienza / Foglio

vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

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よくよく見るとおかしい

なんでもない、ということはないだろう。よくよく見てみる


P4052226.jpg 4月から5月までの1ヶ月ほどの間、晴れた土日のお昼は皇居前の芝生でお弁当を広げることにしている。わざわざ郊外の公園や地方の観光地まで出かける必要はない。もしも目的がお弁当を食べるためならば、だけど。皇居前には広々とした芝生が広がっている。大手門から日比谷にかけての内堀通りの両側にはきれいに整備されたふかふかの芝生と松林がある。

 東京駅側の一帯は誰でも入れる。だか、そのことが余り知られていないか、あるいは都心だからか、芝生に入っている人はほとんどいない。松の木の根元でおじさんが横たわっているのみである。それもまばらだ。場所を選べば、だれとも場所の奪い合いなしに広々としたピクニック場所を確保できる。代々木公園なのでは場所とりで心理的に疲弊するからぼくは大嫌いなのだが、ここでは大丈夫。だから、この時期は毎週行くことにしている。お弁当は東京駅の大丸地下でいろいろ選べる。皇居周辺では自販機がないので、お弁当と一緒に買うと良い。

 日があたって暖かい。通りには車が走っている。しかし、騒音はきにならない。不思議なほど気にならない。その理由はこのあたり一帯にビルがないことだろう。明治生命ビルなどがならぶ通り魔ではたっぷり100mは芝生が続いている。反対側の皇居まではもっと距離がある。広い場所に道が一本あるだけだから音が空間に広がってしまうのだ。町中の道はビルが立ち並ぶ割れ目のようなところに道路がある。だから音がこもり、反射音がこもってしまう。音のパワーがなかなか拡散しないので騒音が気になってしまうのだ。だから、騒音はきならない。皇居前の芝生で日光を浴びながらゆっくりした気分になれる。

ぼんやりと松林を見ているとおかしなことに気付いた


 松の木を見る。松は曲がって育つものだ。しかし、冷静に考えるとおかしな気分になる。なぜ、単純にまっすぐ育たないのだろうか。枝が横に張り出し、それが曲がったり、垂れ下がったりすることは日光を浴びるか浴びないかが理由なのだろうと想像できる。葉に日があたるように枝が伸びるのだろう。それは、ランダムのように見えても、葉に日があたるようになっているはずだ。しかし、幹が曲がるのはおかしくないだろうか?

P4122405.jpgなぜ、こんなになる?
P4122407.jpgまっすぐにのびない?
P4122410.jpgトリッキーだろ。何が不満なんだ。

 枝.gif二股に別れるのは許すとしよう。それは、全体のバランスをとるために枝分かれした両方でバランスするように成長したのだろうから。何かの偶然で太い枝が発生し、それが幹なみに太くなってしまい、枝と幹の関係が対等になりどちらも幹になってしまったのだろう、多分。

 しかし、他のものは頭を傾げる。どういう理由でまがらなければならないのだろうか。松以外にも幹が曲がったものがある。だから、松ばかりせめても仕方がない。どうしてだろうなぁ。

 ただの風景。でも、ちょっとしたことから見方が変わることがある。何も問題がないと思っていかけど、気がつかなかったな。そいうものを知ったときには素直に面白い。そして、少しばかり賢くなった気がする。なにも解けていないのだけど。