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vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

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ちょっとした不愉快さならば自分でいやせる

自分なりに考案したコツは効きそうな気がする


 毎日何度となく不愉快な気分になる。なにかスゴイ大きな不愉快の原因があるのではなく、ちょっとしたことに腹を立ててしまいやすい。電車の扉でたち塞いでいる人がいる、といった程度でもムッとしてしまう。そういう程度である。不愉快というよりもムッとするということだ。そういう場合、嫌な気分を引きずってしそのあと数時間過ごすはめになる。もっと別の楽しいことは注意を引くことがあれば、ムッとした気分を忘れてしまうことができるのだが、よのなか普通に生きていたらやたら面白いことは起きない。困ったものだと自分で思っていた。

 そこで、少し考えた。以前のここで頭を整理して考案した方法がある。これを何度となく試しているのだが、意外に効果がある。人の集団の中で生きているのだから、好きな人ばかりに囲まれて生きていくことはあまりないもので、ほんとにどうでもいいようなことにムッとすることがしばしばあるものだが、ムッとした感情を痛みだと「完全に置換えて無理やり理解」することで過ごしやすくなったようである。ムッとしたら、「あぁ、痛いな。治療しよう」と思いお気に入りの紅茶を入れて飲む。それでなんとかなるものだ。

 大抵失敗する方法がある。それは、いやなことを考えないようにすること。自分の精神次第で自分をコントロールすることができると考えると大抵失敗する。何かを思い出すとき、それは思い出そうとして思い出せるものではない。歴史の年号でも英単語でも、思い出そうとしてもどうにもならないという経験は誰でももっているはずだ。思い出すときはなんの苦労もなくフッとでてきくる。それと同じように、嫌なこともフッとでるし、楽しい記憶もフッとでてくる。ただ、そういう状態を受け入れるよりないのだろうと思う。まったく、困ったものである。

 嫌な思いでであっても、ムッとすることであっても、その対象自体に問題はない。それらはすべて他人事である。問題は、自分の中に湧いてきた感情そのものであって、いかにその感情を中和するかである。それは個人的なことであり、さらには自分の意思でどうにかなるものではない。心頭滅却すれば日もまた涼し、と普通の人は言えない。ぼくもそうだ。だから困るのだ。しかし、それは治療できる。方法は人によって違うだろうけど。それは以前提案してみた

それでも気にしない人ってうらやましい


 まったく気にしない人っているのだと思う。他人に何をいわれようと気にならない人。生まれつきそういう感度が鈍い人なのかもしれないし、逆に生きていくためにはそんなことを気にしていられないとばかり体験的に摩滅させてしまった人かもしれない。とくに後者はセールスマンならばだれでも身に付ける特技なのかもしれないし、状況次第では誰でも身に付けられる能力なのかもしれない。

 良い思いでと悪い思いで、自動的に思い出されるのは悪いほうだろう。生き延びるのならばその方がお得だろうから、おそらく進化の過程でそういう人が生き残ってきたのかもしれない。Only the paranoid suviveという言葉もあるし。そうではあっても、どちらかといえば楽しいことが頭にまん延しているほうが楽だろう。どうせ思い出すならばいいほうが良い。なんでまた、嫌なことが頭を駆け巡るのだろうか。嫌なことを思い出すとそれが顔に出ちゃう。そんな人とはなるべく一緒にいたくないと普通の人は思うので、次第に人が離れていく。そういう悪循環の根源にあるのが不機嫌さである。なんとかしたほうがいい。では、どうすれいばいいか。

 そんな方法があれば教えて欲しい。出版すれば大人気だろう。あるいは、宗教家になったほうがいいかもしれない。不愉快さから開放されたいというのは、ようするに、救われるということだから。そう考えると、なるほどこの問題はそう簡単になんとかなるようなものではないのだと気付く。そして、いくつになってもその年代なりに、いくら裕福なってもその収入なりに、いくら健康になってもその身体なりに不愉快さが発生するものなのだろう。そう考えると、まぁ仕方がないかな、という気分になる。