Scienza / Foglio

vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

IMG_2173.JPG

HOME > 2008 > 28 Mar

怒りや不愉快さをやり過ごす方法

すこし、わかってきたこと

 日常生活のなかで、いつも機嫌がいいことだけが起きるわけがない。朝起きて働いて帰って寝る。時間に余裕があっても余裕がなくても、どうしようかを自分で決められても他人から指示があるのだとしても、たった一日でも不愉快に思うことはある。ならば外にでなければいいではないか。いや、そういうわけでもない。テレビを見ても本を読んでも、家族と過ごしていてもムッとすることはある。じゃぁ、といって布団からでないで寝ていたとしても、過去や現在や未来を想像してしまい腹が立つことだってある。おそらくだが、地上の楽園のようなところへ行ったとしても、腹が立つのだろう。いや、何もないところへ行ったらどうなるかと想像しても、何もないことについてフッとイライラするかもしれない。要するに、この感情からは逃げられない、生きている限り。

 悲しいこと、身体的や精神的に辛いことから逃れたいと思うことはおそらく人類発祥当初からあったはずで、だから宗教が今でさえ盛んに信仰されている。良い方法があるかといえば、短期的には麻薬ようなものしかなく、長期的な解決策としてはダメなものばかり。タバコやコーヒーなども、味を楽しむ面とイライラや苦しみから逃れる取りあえずの行動という面とがあるだろう。まぁ、皆さんこれまでいろいろ工夫してきたのだろうけど、どうにも解決されたという気がしない。なぜならほとんど全ての人が毎日「嫌な」気分になっりするのだろうから。

 そんなことをぼやっと考えているぼくも、ご多分にもれずムッとすることは毎日ある。電車にのったときに、出口で立っていて道を空けない人など毎日見るが、ムッとする。そういうことはよくあるし、悲しかったり悔しかったり、はたまた腹がたつことも少なからずある。仕事についていえば、自分で自分の行動を決めることがかなり許されていると思う。そんな自分でもこの有り様なのだから、社会で仕事されている普通の人は絶対にいろいろ腹が立つことが多いはずだ。

 歳をとると知恵がつくんじゃないかと想像していたが、単に日々過ごしているだけではダメらしい。いったいどうしたらいいものか。これまで漠と考えてきたこと気付いたことは2つだけある。この方法は「イライラを防ぐ」ことはできないが、その被害を拡大させないことは可能である。そして、それはある意味簡単なことである。練習なんて必要ない。ただし、何時いかなるときでも実践できるわけではなく、どちらかといえば「どうでもいいけど、ムッとする」ような時に重宝するだけで、大きな問題には全く無力だろう。

暴発させない方法

 あるとき気がついた。怒りは爆発と同じだ。爆発とは、一瞬で燃焼するようなものだ。ゆっくりとじわじわ燃えれば大したことはないが、一気に燃えるからことが大きくなる。怒りも同じである。不愉快>イライラ>文句>口論>激昂という順で爆発に近くなるとしよう。不愉快やイライラ程度ならば、実は自分だけの問題であり、また後に尾を引くことはない。しかし、文句を言って口論になってしまうと、何らかの問題が残ってしまう。これは損だ。できればこうならないようにしたい。とすれば、どうするか。

 非常に簡単なことで、とにかく「声」を出さないことだ。これに尽きる。実に簡単な怒りの延焼防止策である。声を出したら、それがどんなくだらないもの(くそー、うー、といったうなり声であっても、なんだとぉ、てめぇ、という言葉であっても)ダメである。声をだすと、それをどんなに丁寧な言葉使いであっても自分の耳にその声が入り、その声が自分の怒りを増幅させるのだ。本当だ。マイクをスピーカーに向けたときにハウリングという現象がおきスピーカーからだんだん大きくなる騒音を聞くことがあるが、イライラしているときに自分のイライラしている声をきくとますますイライラしてしまう。となれば、ハウリングが起きるように怒りが爆発する。イライラのネタがどんなに小さいことであっても爆発するのだ。実に不思議だが、人の精神(少なくともぼく)はそうなっている。こういうときは、声を出さない。出した爆発する。

 昔から言われていることに少し疑いをもっている。怒りを爆発させると「すっきりする」と思われているが、あれはウソではないか。ある人が怒りを爆発させている。そのわきにいる友人は「どう、すっきりした?」と聴く。「うん、すっきりした」と答える。こういうシーンがあるが、そんなわけないだろう。どんなに大声をだして罵倒したところで、すっきりなどしない。むしろ、罵倒をやめるのは単純に「疲れた」からだ。そして、つかれて口論や罵倒をやめたところで、後で思い出す。そして、イライラを感じるし、悔しいくらい腹がたつ。大声を出した段階で、忘れ得ないものになってしまうのだ。これを「良い思い出」というには少なくとも10年、おそらくは20年の時間が必要なのではないかと思う。

 不愉快さからは逃げるよりない。できることなら走って逃げたい。声をだしていないイライラは数時間たつと綺麗さっぱりわすれることができる。たとえば、ここ1週間電車にのったときイライラした経験はあるのだと思うけど、大抵のことは忘れているのではないか。ムッとすることなどいくらでもあったはずだが、その詳細を憶えているだろうか。1月前くらいになると一切の記憶がない。催眠療法にかけても思い出せないだろうと思う。その場での行動の選択しとして、ムッとすることイライラすることからはとにかく逃げることだ。自分が正しくて相手が悪い、ということをあえて主張する必要などない。そんなことは、どうでもいい。関わらないに限る。

逃げられないときはどうするか

 ムッとすること、イライラすることに出会ったら絶対に声をださず、なるべく早くその場から立ち去ってしまうこと。電車ならばすこし離れたところへ異動する、会社ならばトイレやジュース販売機のところへ行くなど。イライラは人と人の間に生じる磁場のようなものだから、少し離れると消えてなくなってしまう。

 確かにそうかもしれないが、部屋に戻ればまた奴がいるからダメだ。どうにもならないことがあります。異動や転職が可能という手がいつでも使えるひとはあまりない。仕事は生きていくために必要だから、思ったとおりに逃げることもままならない。また、そこでイライラしてしまう。

住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。

 この世はとかく住みにくいと、漱石がちゃんと『草枕』の中で言葉にしている。それは芸術を生む動機にもなりえると言っている。これは諦めなのか励ましなのか不明だけど、自分の身の回りにおきるイライラの解決方法のような気がしてくる。昔からある問題なのだなと、感じ入ったりする。

 ぼくも逃げられない腹立たしいことにどう対応するか考えていた。まともにぶつかりあっても解決しないたぐいの問題ならば、我慢したほうがとくだと理性では答えがでるのだが、いかんせん気持ちがのらない。こういう時って、人生の時間を捨てているのだと思う。もったいない。いつまで幸せなのかわからないのに、こんな問題が頭の中をしめている。長く続くと体調にまで影響してしまう。実に阿呆臭いことだ。

 で、どうするか。最近得た結論は「まぁ、しょうがない」である。悟ったわけでもないし、ニヒルになったわけでもない。そうではないが、でも、どうにもならない怒りは黙って耐えるよりないだろうし、それは「可能なんじゃないか」と思うになった。不愉快さやイライラさを「感じる」ときに、それは物理的に存在しているわけではない。単ある脳の中での現象だ。しかも寝ていると消滅してしまうようなものである。だから、一時的なものだと思えばなんとかやり過ごせるかもしれない。

 イライラは痛みと同じに扱えば良い。裸足で歩いていて、タンスの端に小指だけ引っかけたときは猛烈に痛い。涙ができる。しかし、自分が悪いのである。昔からタンスはそこにあるし、歩く場所を決めたのは自分だ。その痛みは涙目で耐えるよりない。つらい。しかし、1、2分すれば痛いは痛いが、じんじんする程度になり再び歩き始めることができる。1日すれば完全に忘れるだろう。別の例がある。ぼくは冬の寒い時期、朝起きると足がつることがある。こむらがえり。猛烈に痛い。なんにも悪いことをしていない。寝ているだけなのだが、明け方足が冷えてしまったときは目覚めた直後に足がつる。痛くって泣き声をだす。嫁さんをおこしてしまい申し訳なく思う。あぁ、地震で建物の下敷きになったときはもっと痛い思いをするのだろうなぁと思いながら痛さに耐える。と同時に、30秒くらい耐えると何もなかったかのように力が抜けることを思い出す。しばらくすると痛さが消え、安堵感にひたる。全く困ったものだが、足がつるのだからしかたない。ただし、少し耐えていれば痛みが治まることを知っているから、なんとか我慢できるのだ。そして、実際そうなる。フッと思うのだが、イライラも同じなんだろうな。

 逃げ場がないイライラを感じたら、小指をぶつけたときや足がつったときと同じように対応したよいのではないか。実際そうできるかどうかはわからないけど。イライラする、腹が立つ。そう感じたら、「おれ、イライラを感じているなぁ、腹立つなぁ」とまず思う。そう認識したところで気分が和らぐわけではない。イライラは募る一方である。しかし、そこでじっとしながらそのイライラに耐える。数分すれば消えてなくなるはずだと思うのだ。怒りであっても、しばらくすると弱くなるのだからイライラごときは大抵消えてなくなるのだ。そう、思いながらイライラを感じる。やがて、足がつった状態が消えるときのように、イライラもふうぅっと消えていく。こうやって、かわすことができないだろうか。実は、実際ぼくはこうやって対応することを1,2回実践したことがあり、本当にふうぅっとイライラが消えることを体感した。もっとも、大抵は逃げる選択肢をとるのだけど。

はたしてそれでよいのか、という問題は残る

 不愉快さはイライラについては、2つの方法でかわせることができる。しかし、それ以上の怒りについてはよくわからない。何があっても動じない、という状態だと一発で死んでしまいそうな気がするから、なんでも受け入れるということではダメそうだ。まぁ、そういう技についてあれこれ考えながら、生きる工夫をしていくよりないだろうと思う。