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vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

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不愉快の起源

丁寧さの裏側が見え見え


 ロス・アンジェルスのヒルトンホテルに泊まっている。高額な宿泊費をとる分、設備とサービスマンの質がよいとされている。部屋にあるホテルの紹介文には、つねにお客様が心地よく過ごされているのかどうかを気にかけている、とある。そう謳っているけど、ウソだろう。よく言えたものだ。

 ヒルトンホテルに限ったことではない。デンバーでマリオットホテルに泊まったときも嫌な思いをした。まぁ、海外で高級ホテルに泊まった経験はその2回しかないので一般化は無理かもしれないが、その人にとって経験はいかなる伝聞や知識よりも信頼性が高いので、高級ホテルのフロントは嫌な奴が多い、と表現してしまうことは仕方ない。もし、英語が少しは話せれば違った対応を取ってくれるのかもしれないが、そうでないと体裁よくあしらわれるのが落ちである。そして、それが普通と考えているようだ。

 誰のせいか。ぼくのせいだとは思えない。お金を払っているのだし、設備はきちんと使っているし、他の客に迷惑をかえていることはない。ならば、嫌な気がする原因はホテルでしょうよ、きっと。そう思っている。個人の選択が許されるならば、ヒルトンやマリオットはお断りである。もっと、フロントの人の顔が見える小さなホテルがよい。いろんな意味で、交渉の余地がある。ただし、それはアメリカのホテルではなく、ヨーロッパのホテルについて言っているのだけど。

 しかして、なぜ不愉快になるのだろうか。不愉快の起源についてぼんやり考える。不愉快になる、あるいは誰かに腹が立つ場合、その原因は突き詰めて考えると「バカにしやがって」である。それが起源であると思っている。いろんな原因があって不愉快になり、しまいには怒るのだが、原因をたどると「バカにしやがって」につながっている。これは人によって違うのかもしれない。

すこし別の観点から考えてみる


 本当にそうだろうか。少し別の観点から考えてみよう。差し迫って考えるきっかけは「ベッドメイキングの人向けにチップを置いておく必要があるのか、つまり、枕銭を置く必要があるのだろうか?」ということをぶらぶら考えているとしよう。ぼくは普通の日本人だから、1ドルを枕元に置いておかないとベッドメイキングに手を抜かれるらしい、と聞いている。誰から聞いたのか定かではない。本で読んだのか、友人に聞いたのか先輩に教わったのか、もう憶えていない。しかし、初めて外国へ来たとき、それはアメリカのヒューストンにあるヒルトンホテルだったが、律義にチップを置いた。毎日。そういう物だと聞いたからだ。

 しかしその後誰かから(これも忘れてしまった)、普通は必要ないが部屋を汚したとかちょっとゴミの量が多く余計な手間をかけてしまうだろうなというときに置けばいい、と聞いた。なるほど。それは一理ある。あるいは、毎日ではなく、最後の日にまとめて置けばいいということも聞いた。これも一理ある。というわけで、ここ最近は「置かない」ということにしていた。それで不愉快な思いをしたことがなかった。まずい場合は何らかのメッセージがあるものなんだろう。いきなり意地悪されるとは思わない。もし、チップを部屋に置いておかないことがまずいことならば、目で見える形で何かが変わるだろうと思っていたから。実際問題なにかを感じたことはない。もっとも、感じないだけであって、何かが起きているのかもしれない。

 では、ネットで調べてみるか。そして、目ぼしいページを見てみた。グーグル先生に教えてもらったサイトは旅のガイドのようなものが多く、ほとんどが「チップの置き方とその額」を細かく提示してあった。旅行会社が関係しているものが多いようだ。一方で、ぼくと同じことを考えたひとがネット上の不特定多数の人に質問した回答がならんでいるものもあった。ぼくはこれが一番参考になった。

教えてgoo!LinkIcon

 なかなか読みがいがある。このページがよいのはプラス・マイナスとりまぜてそれぞれの思うところをそれなりに根拠を示して提示しているからだ。黙って従えばいいというメンタリティーの人からみれば困ったことだが、世の中のことは人が決めているという視点を持った人ならば、さて、その意見を参考にしようかという気分で耳を傾けて決めればいいので、大変ありがたい。もっとも、カエサルさんの言う「大抵の人は自分の見たいものしか見ようとしない」という行動をとるだろうから、勉強にはならないかもしれないが。

また不愉快になる


 そのページの回答を見ていたら不愉快さを感じた。なぜだろうと思って読み返していたが、どれだかは言わないが、「これが真実なんだけど、周りの人は知らないからバカだよね」というトーンのものにはムッとしてしまう自分がいるようだ。言っている内容が真実だろうがなかろうがあまり関係ないみたいだ。要するに、人をバカにしている発言には不愉快な気分になってしまうのだから仕方がない。

 結論めいたことが言えればいいのだが、それはなんだろうか。まず、自分のクセというか、感情の仕組みを自分で再確認できた。そして、どうすれば腹が立たないのかの解答の一つに「自分をバカにする発言をそもそも耳にしない」ということがあげられよう。でも、腹が立たないようにする方法はわからない。不愉快の起源はわかったのだが、だからといってそれを制御するワザを私はまだ知らない。そういうことになるだろうか。

 最初に戻る。人からバカにされることが不愉快さの原因だとすれば、大手のホテルのフロントに不愉快さを感じる理由もそれだろう。人の感情は鋭いのだろうと思うので、彼らはどうも人をバカにするようだ。何をもって判断しているのか。身なりだろうか、言葉だろうか。身なりはお金をかければある程度どうにでもなる感はあるが、言葉は育ちにリンクしてしまっていてどうにならないところがある。ぼくの場合はそもそも英語がだめだから、相当悪い印象をフロントの人が持つのだろう。

 一方で、ヨーロッパで不愉快に感じないのは、ヨーロッパでは高級ホテルに泊まったことがなく全て小さなホテルだったということではなく、どの国も母国語が英語ではないからなのかもしれない。ヨーロッパのフロントの人は内心「どいつもこいつも英語で話しかけやがって」と思っているので、英語がダメなことに対して寛大であり、その国言葉を無理にでも使おうとするお客には下手でも好印象をもってもらうのかもしれない。さらに、イギリスではイギリス人以外の英語は全部ダメだと思っているだろうから、王者の風格として英語が出来ない人にもそれなりの暖かさを恵んであげるという発送で接しているのかもしれない。

 まぁ、以上、妄想かもしれないが。