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vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

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忍び寄る恐怖を感じれば、人生を終わりから考えるようになる

風邪をひくまえにやっておくこと


 もう4日間も嫁さんは風邪で臥せっている。日曜日はロスへ出張するので、少しドキドキしている。風邪をうつされることは気にしないのだが、行きの飛行機内で寝ているはかわない。それだけは避けたい。だったら、さっさと引いて、週末には復帰したい。

 しかし、まだうつっていない。ウイルスだから潜伏期間がある。1週間くらいあるのだろうか。となると、行きの飛行機で最悪になることになる。弱った。どうしたらいいのだろうか。といったところで、どうしようもないのだが。

 出張のための準備をしておく必要がある。今週から開始するつもりだった。少し遅れ気味だった。先週末に風邪をひくことを覚悟したとき、風邪をひく前に準備を完了させておく必要があると考え、作業の割り振りを考えた。何時なるかわからない。水曜日ぐらいだろうか。寝込むと2日は作業できない。ただし、現地での作業は当てにしたくない。さぁ、2日で準備をしなくては。とまぁ、そんな感じだった。

 考え方を変えると、水曜日には死ぬからそれまでにやるべきことをやっておこう、と言っているようなものだ。風邪だから寝ていればいいのだが、作業をするかどうかという視点からみれば、寝るのは死ぬのと同じようなものだ。となると、生きている間?にあれをやり、これをやりと考えるだけでなく、優先順位まで決め手作業していることに気がついた。ぼくらしくなく、あまり計画的だからだ。

 なるほど。これが、死ぬなら癌がいい、といってた医者の言葉がわかった気がする。癌の場合は進行が予想され、いろいろ準備ができるからいいというのだ。非常に卑近な例もありとすれば、数日後に風邪になると予想したおかげで作業がはかどったというのは、同じことを言っている。ならば、物事は終わりから決めていくのがいいということだ。実は「出口から考える」というスケジュール管理についての本を以前読んだことがある(マッキンゼーの女性だったが)。

 ならば、こうも言えるだろう。40代まであと何年、50代まで後何年、定年まで何年。これを死と向い合うほど真剣に考えることができれば、死の直前にしか味わえないであろう「充実した」時間を今から過ごせるようになるかもしれない。ただし、ここまで話を拡大すると、なんとなく「説教」のような気がしてくるのだが。

滅びる前にやっておくこと


 死を想定するのに、自分の死だけを考える必要はない。家族や友人の死でもない。ふっと思いつくのは、現代日本の生活の死である。知識人ずらするつもりはないけど、歴史を学び、人の行動パターンを学び、エネルギー問題を学び、社会の移り変わりをしれば、そんなに長く今の生活をする日本人はもたないだろうと思う。すくなくとも、自分の世代で大きく代わっていくことだろう。子供がいないので、なんとも言えないが、今の子供はぼくの知っている日本と違う国に済むのだろうと思う。すでに、学級崩壊が状態かしている子どもたちにぼくの小学校中学校の話をしても、ピンとこないのではないかと思う。

 ぼくは明治維新から130年たって生まれている。幕末というのはずいぶんと昔な気がしている。太平洋戦争が日本時間を遡る想像力を分断し、それ以上過去を現在の連続のものとして想像できないでいる。戦後から高度経済成長期の日本の下町(もちろん、東京、隅田川沿い)の写真を見ると、自分の子供の時代から10年も戻るとこんなスゴイことになってしまうのかと驚くことがあり、そこから100年もどれば坂本龍馬がいたということにまた驚いてしまう。100年は短いのだとわかるようになったから。

 これだけエネルギーを使え、食べるもの飲むものに心配がなく、いろいろ薬も入手しやすく、海外旅行へいってもトヨタやソニーやキャノンが尊敬をもたれつつ社会に貢献しているのを見るのは、日本人としてうれしいものだ。それに、安全も水も只に近いところで、へんに階級社会になったり役人天国になったりしていないところがある意味、楽園の一つの形態なのだといえなくもないだろう。そういう状況で暮らしていける期間もそろそろゴールが見えてきたような気がする。これは、「すーぺー(スーパー・ペシミスティック)」なものの妄想なんだろうか。

 さて、遠からず起きるであろう日本社会の地盤沈下の前に何をやっておこうかいろいろ考えることには意味があるだろう。そう考えて行動することは、むしろ生産性を上げるのだから悪いことでもないだろう。ただし、長期的な投資や教育という方向に意識が向かなくなるので、結果的に崩壊を加速するかもしれないけれど。