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vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

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文章になれてきたかもしれない

日本語のパーサー


 驚くべきことだが、こうやってブログのために文章を書くことがあまり苦にならなくなっている。何が原因なのだろうか。ただし、これは一時的な勘違いの可能性もあるので、ぬか喜びになるかもしれない。ただし、そのときはそのとき。今は気楽に日本語を打ち込めるので、せいぜいその時間を楽しんでおこう。

 さて、文章を気軽に入力できるようになったきっかけは何だろうか。それはおそらく、日本語の3/4/5/7形式に気がついたことだ。文章といっても、黙読ならば頭のなかでは「読んで」いるので、一つながりの音のシーケンスを単語に分解する必要がある。その際、日本語が3/4/5/7のどれかに当てはまるように切れている必要がある。感じを使っていてもその読みについて3/4/5/7にしたがわなければダメなのだ。この発見が大きな転機だと思う。もうひとつは、助詞の役割について。確かに助詞は意味をもっている。しかし、同じ意味をもっていてもその表現としてはたくさん存在するものがある。だ、である。ニュアンスが違うだけで、さて、どっちを使ったらよいのだろうか。成果予想に反して、あるのだ。ただし、感覚がジャッジするので一般性はない。ただし、個人差よりも地方差があるようだから、文章をの対象を吟味することで適切なものを選べるかもしれない。このような語尾も含め、どういう日本語の選択をするのかをスタイルと呼び、それが文体と呼ばれるものなのだろう。言葉の選択には恣意性があり、その選択における固有の特徴を文体と呼んでいるのだろう。