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vietatofumare.grazie のblog

どうしてなんだろうか。隅田川を眺めながら清洲橋で考えた。

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頭に浮かぶことをどうとらえるか

すぐに記録しないと忘れる


 最近、哲学的なテーマを扱った本を読んでいる。学問としてではなく、普通の生活で体験するような事柄について、あれこれ思索したものをエッセイや小説のスタイルをかりて書かれたものだ。それを読むと、自分でもつられて何やら思索してしまい、あれこれと反省したり考えついたりする。それは過去の出来事だったり、自分の思いだったりする。「この本を読み終わったら、メモをとろう」などと考えるが、読み終わったときには何を言いたかったのか忘れてしまったり、憶えていてもつよく主張したいと思わなくなっていたりする。いざ、こういうブログで何かを書こうかと思っても、なにも書くことがないとがっかりしたりする。その繰り返しが多い。

 何にせよ、頭に浮かぶことは記録しないと忘れてしまう。自分で「いいな」と思ったことでも忘れる。いろいろ思いついたことがあって、それを「いいなぁ」と感じていても、別のことを考えているうちに忘れしまう。とくに、本を読んでいるとき自分の経験からあれこれ思いつくのだけど、感想メモをその場でとらなかったために忘れることが多い。物忘れがひどくなってきたのかもしれない。ならば、対策をとらないといけない。

 あるいは違う理由かもしれない。自分の物忘れが原因ではなく、だれでもそういうものなのではないか。そう思うようになり、いろいろ考えてみたが、今では確信をもって言える。実は、「いいことを思いついた」というのは勘違いだったのではないか。つまり、いいことを思いついたと「思っている」だけで、その時点では思いついていなかったのではないか。いいことが思いつきそうだという予兆を感じたことは確かだが、その内容までは立ち入って立ち入って考えていないのだから、そんなものは存在しなかったではないか。つまり、内容(ボディー)は空だったのだ。もし、思いついた時点で内容を「言葉」で把握していたら、その断片くらいは覚えているものだろう。しかし、言葉を使って考察しなかった。つまりは何も考えていなかったのだ。

 では、どうすればいいのか。ひねった回答ではないが、言葉をつかって考察しそれを記録することである。哲学者でなくても「ちょっといいこと」を思いついたりする可能性はあるし、自分の考えをまとめておくことは本を読むことと同様大切だ。それに異論はないだろう。次の段階は、思いついたときに書けばいいじゃないかと思う。手帳やパソコンが取り出せないときには、ポケットメモ帳でもいいではないか。道具がないからあとで記録しよう。それがダメだったのだ。まずは、パソコン、手帳、それにメモ帳を常に取り出せるとこに置いておくこと。それと、恥ずかしがらずに町中でもメモすることだ。

文章と言葉の違い


 メモ帳に文章を書きつけると、本当に言いたいことを忘れてしまうことがある。文法にそって記録していると、どうしても助詞、助動詞が冗長に思えてくる。語尾が面倒になる。接続詞が目立たなくなる。動詞が不適切になる。書くがごとくしゃべれる人はこういう作業を一瞬でこなせるのだろうど、文章が不得意な人には無理だ。無理して書いていると、そもそも言いたかったことを忘れてしまう。参ったことである。

 ならば文章ではなく、単語と記号で表現しておき、あとで思い出すよすがとするだけと割り切る。矢印と線で丸やアンダーラインで関係や論理を書き込み、後ほど文章へと変換していけばいい。ビジネスマン向けの新書にはそのようなメモ術が紹介されている。研究としてのアイディア作りの際にはそういうことをよくやる。ノートにも、ホワイトボードにも書きつけを行っていく。最近ならば、マインドマップなのかもしれない。

 しかし、それでいいのだろうか。厳密なことを後で考えるという方式は成立するのだろうか。考察するときには気分のあり方が重要だ。それは、緊張感や好奇心、ワクワク感や荘厳な感じなどいろいろある。静かな深夜に昔のことを思い出すと詩が書けそうな気がするものだが、それは自分の外側の状態が自分の気分に影響しているからで、実際そういう時の文章は太陽のもとでみるとろくでもなかったりする。環境が書こうとすることを生ませているともいえるのではないか。だとすれば、思いついたときにゆっくりと考えてみて、それを言葉で記録する作業をしなければならないのではないか。

 一方で、何を書くのかおぼろげにしか決まっていないのに、書き始めてぼやぼやしていると道筋がみえたりする。そういうときはメモが大いに役立つ。文章になっているメモは読む気がしなかったりして、単語や記号の方がありがたかったりする。だから、一概にどうしたらいいかとも言えない。

 結局、最終的にどうしたいかということと、その時できることは何かということとが互いに矛盾することもある。文章を書くことと、単語でメモすることは違うことだし、互いにメリットを共有するときもあれば、足を引っ張りあうこともあるということだ。今、こうしてブログに言葉をまとめているが、時間が長引いたせいで、書き続けようという気分が弱くなってしまっている。これも、あっさりと書く必要があったものを、無用に引き伸ばしたせいである。どのような方法にせよ、衝動的な気分が発生したら、その気分を大切にし、その気分の勢いをかりて文章をまとめるのが良いだろう。まずは、そこから。