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長い文章が苦手な理由

それはレポート課題のページ数指定にある


 高校でも大学でもレポート課題があった。テーマを指定されページ数が決められる。内容の質よりもページ数のほうが条件として絶対だった。

 そもそも、文学的な授業において文章の書き方が講義されることはない。なぜなら、教える人が作家であろうはずがないから。文章を書くことは体を使うことだから、物書きを目指した人でないならば文章は書けんだろう。となると、文章をいかに観賞するかを教えるしかないわけだが、果たしてそんなものを人に時間をとってどれだけ意味があるのか疑わしい。そんなわけで「作者は何をいいたいのか」系の問題と漢字のテストばかりになってしまう。まぁ、それはよい。

 普通の人が文章を書くのは、宿題のためのレポートが土台になっている。そう思って良い。とすれば、何はともあれページ数が問題になる。20ページをどう埋めるのか。フォントを大きくするか、行数を増やすか、余枠を調整するか、あるいはグラフや表、写真を貼り付けるのかということが中心課題になる。分かりやすいなんて発想はでない。だから苦痛になる。多くの人がWWWページを立ち上げているが、小気味よいレポートが少ないのはこれが理由だろう。そんな苦労をしたことがない人のページがのほうがカッコ悪いかもしれないけど、面白い。

 普通の人のブログが面白くないのは、その人のナイーブさが理由なのではない。面白さよりもページ数を稼ぐことしか教わっていないことが問題なのだ。一般的な例ではないが、役所絡みなどでレポートがどう評価されるかといえば、厚さだろう。厚いほどよい。国の研究機関においても業務は報告書の厚さが内容の価値をかねている。業務委託などの報告書は値段によって厚さが決まっている。キングファイル何センチあたり何百万円という相場があるくらいだ。

 この呪縛からどうすれば自由になれるか。薬はないだろう。よさそうなのは、面白いと思う人のものを真似ることだ。小説家志望の人は、子供の頃からヒマさえあれば好きな作家のマネをしていたはずだ。それがどういう結果になるのかわからないでも、マネしないわけにはいかない。上手になるのには、自分を鍛えることが動機と重なる行動をとればよい。苦行は必要ない。

 いい大人になってもこんな普通のブログをつくるのに苦しんでいる。それには理由がある。いろいろ学校へ行ったけど、ろくな事を教わらなかったんだなとビックリする。自分が教える機会があれば、絶対にそんなことにならないようにしてあげたい。歳をとると教育に興味を持つ理由は、そういう過去に対する復習のようなものが動機にあるのだろう。